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アメリカで第二子出産。日本と全然違う、ザ・西洋医療を感じた一部始終。
第二子をアメリカで出産した。日本で産んだ第一子のときとは何もかもが違い、ザ・西洋医療!を終始感じたお産だった。
といっても私、第一子は畳で生んでいるので、もしかしたら日本で一般的な出産方法はむしろアメリカのやり方に近いのかもしれないけど。
第一子の娘もいることだし、自然に陣痛が始まるのを待つのではなく、産む日を予め決める「計画分娩」で産むことにしていた。
本来の予定日が2週間後、計画分娩の日が約1週間後に迫ったある日の午前2時、ぴゅるっと何かがお股から出た。
何!?
水?!
え、破水?!
娘の出産も破水から始まったのだけど、あの時は「これが破水でなくてなんであろうか」という量の水が溢れ出てきていたので、判断が容易だった。
今回はちょろっとだけ。しかも一度出たら止まった。
もしや…… 尿漏れ…?
尿漏れも決して喜ばしいものではないけれど、家族も草木も眠る丑三つ時に破水なんてご勘弁願いたいので、尿漏れと思うことにした。
そして1時間後の午前3時、またぴゅるっと何かがお出ましになった。
また!!!
しかしこれは尿漏れということで脳内閣議決定がされていたので、もう無視した。決定を覆す気力も意志もない。
そしていつも通りの朝が来た。ルーティンをこなし、娘と夫を送り出す。
午前8時、やれやれ、と落ち着いたところで、またきた。ドバッと。ちょっと尿漏れで済ますには多すぎる気がする。私がもの凄い量の尿を体内に溜め込んでいたのではない限り。
ちょっと心配になってきた。予定日まで2週間、破水するには早い気がするけれど、破水ならば放っておくのは良くない。とりあえず病院へ電話し、事情を説明して指示を仰ぐと、「まあいっぺん来てみて」とのこと。
夫へ連絡し、万が一に備えてトートバックに着替えやら何やらを詰め込む。計画分娩まであと1週間あったので、入院準備も何もしていなかった。
午前9時、超特急で帰宅した夫と共に病院で向かう。ちょくちょく漏れていたお股からの水は、いつの間にか止まっていた。陣痛も来ていないし、早まったかも。
病院へ到着し、ロックされた扉の向こうへ入るとすぐに個室へ案内された。すごく広い。部屋の中心にはベッド、その脇に複数の機械たち。大きな窓の下にはソファベッド、手前にはナースが使うのであろうデスクとパソコン。可動式のベビーベッドと、処置する台のようなもの。そして専用のシャワーとトイレと洗面台。ホテルかここは?
午前10時、担当のナースがやってきた。ベテラン感の漂うおばさまもといお姉様。
全て脱いでこれに着替えて、とペラッペラの紙でできた羽織を渡された。左右に紐が付いていたので結んでみたものの、全然前がピッタリ閉まらない。え、隙間から全てが丸見えなんですけどこういうもんなの??と戸惑っていたら、ナースが「前後逆よ」と直してくれた。羽織じゃなくて割烹着式か!恥ずかしい!!
そうこうしているうちに何人もの人が部屋を出入りし、着々と準備が整えられていく。ベッドの下半分には防水シーツが敷かれ、その上に横になるように言われた。破水か尿漏れかも定かでない状態で来たのに、なんだか大仰なことになったぞ。これで尿漏れだったらどうすんの?
「破水しているか確認するね」とナースが子宮口に指を入れた。もの凄い強さで押してくるので、体が動かないように必死で抗う。
「破水してるわ。このまま入院ね。今日産むよ。」
午前11時、今日産むことが決まった。
…今日?!
気持ちが全然追いつかない。
で、娘、どうしよう?!
15時半には5歳の娘が学校から帰ってくる。娘も出産に立ち会えたらいいなと思っていたけど、それまでに生まれるだろうか?それとももっと時間がかかる?夜までかかるようなら、誰かに娘を見てもらわないといけない。見てもらうって、いつまで?!ご飯どうする?!どこで寝る?!?!
見通しが立たないにも程があるけど、いつ生まれるかなんて誰にもわからない。
取り急ぎ夫から友人たちへ「娘のお迎えをお願いするかも」「娘を見ててもらうかも」と連絡してもらった。いざという時は頼ってね、と言ってくれていた友人たち。みんな快諾してくれて、一安心。異国で助け合える友達がいるのは本当に心強い。
あっという間に、私自身も出産に向けた仕様になっていく。右手には血圧を測る機械が装着され、左手には注射針が差し込まれた。カテーテルも挿入され、気付けば大量の管に繋がれていた。こんなに要るの?娘を産んだときなんて、体に繋がってるのは陣痛を計測する機械だけだったのに。
午前11時30分、陣痛促進剤の投入がスタート。
痛くなったら麻酔を入れるから声を掛けて。ただ実際に入れるまでには1時間かかるからね、とナースから言われた。準備に1時間かかるなら早めに言ったほうが良いんだろうか。でも現時点では全く痛くない。
どのくらい痛いときに言ったらいいの?と聞くと、彼女は自分のお腹に手をあて、眉間にぐっと皺を寄せて痛そうな顔を作るとフーーッと息を吐いた。
「このくらい」
いや、わからん!笑
午前11時45分、お腹が痛くなってきた。促進剤すごい。でもまだ耐えられる痛さ。まさしく先ほどナースが見せてくれたような感じで、フーーッと息を吐いて痛みを逃す。もう麻酔を頼んだ方がいいのかな。でもこれくらいの痛みでいうのはどうなんだろう。とりあえずあと15分、正午まで耐えてみるか。
なーんて思っていたら、この15分で痛みが急激に強くなった。息を吐く程度じゃ痛みを誤魔化せない。さっきの痛みが3だとしたら7くらい。倍以上痛い。ベッドの手すりを力の限り握りしめる。あまりの痛みに思わず目を瞑りそうになるが、目を瞑ったまま力むと瞼の血管が切れると聞いたことがあるので、目をかっぴらいて必死に耐えた。
こんな短時間でここまで痛みが増すとは。促進剤やばい。
本来は数時間かけて徐々に増幅していくはずの痛みに十数分で到達してしまう恐ろしさ。娘のときも同じ痛みを味わったはずなのに、比べ物にならないくらい痛く感じた。
ま、麻酔を!!!直ちに麻酔をお願いします!!!!
午後12時、麻酔を依頼。
そこから1時間は、ただひたすらに耐えた。耐える以外の選択肢がない。痛みが増すだけでなく陣痛が起きる間隔も短くなっており、息つく暇もない。どういう種類の拷問ですかこれは?
午後1時、麻酔科医が到着。飄々としたおじさんで、「さァー!いっちょやるか!調子はどう?」とめちゃくちゃ軽い調子で話しかけてきて笑う。いや、笑えない。絞り出すようにGood… と答えたが、どう考えたってGood ではない。
上体を起こしてベッドに腰掛けるように指示されるも、それだけの動作が凄まじく痛い。あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ と大きな唸り声が自分から出てきてびっくりする。ナースに介助してもらい、やっとのことで起き上がることができた。腰掛けた私の目の前に、ナースが立っている。
蚊に刺されたような痛みだからねー。という軽い掛け声と共に、背中にチクっと何かが刺さった。恐らくぶっとい麻酔針を刺す前の局部麻酔と思われる。そして、いくよー的な掛け声があったかなかったか、冷たい液体が背中から入り始めた。これがもうめちゃくちゃ痛い。鋭い液体が細い血管を切り裂きながら無理矢理通っていくような感触。
"Worst part! Worst part! Worst part!" (一番痛いとこ!)
おじさんがサイレンのように大きな声で繰り返す。
今が一番痛い処置だから、これを耐えれば終わりだからね、ということだろう。
あまりの痛みに顔を歪め、握り拳にありったけの力を込める私に、ナースが「私の手を握っていいから!」と左手を差し出してくれた。
その手を力の限り握っていると、次にナースは右手で私の後頭部を抱き寄せてくれた。
お、お母さん…?!
ナースの肩に顔を埋めて痛みに耐える。ナースの腕と母性に包まれ、心強すぎて涙が出るかと思った。お陰で痛みに耐えられた。ありがとうを一億回伝えたい。
そうして無事にWorst partは終わった。
10分ほどで麻酔が効き始めたのか痛みが和らいできた。痛みが消えたわけではなく、まだ息を吐いて耐えられるレベルまで落ち着いた。
すると突然、手がぶるぶると震え出した。何?怖い。「なんだか手が震えるんだけど…」とナースに訴えると「あ、それは麻酔のせいだから大丈夫」と一蹴された。さらには足先が異常に冷たく感じたので「足先も冷たくて…」と言うと「それも麻酔のせい」だと。麻酔、すごいな。陣痛レベルの痛みを和らげるんだから、何も起こらないわけないね。
ほどなくして、陣痛が起こると下腹部あたりに違和感を覚えるようになった。便意を我慢しているような感じ。デスクで作業中のナースにそれを伝えると、「陣痛が来ていないときにもそれを感じるようになったら教えて!」とのこと。
そうなるとどうなるの?と思いつつ夫と話したり痛みに耐えたりしていると、ナースが言った通り、陣痛がきていないのに違和感がある状態になった。「感じるよ!」と言うとナースは「OK、ドクターを呼ぼう!」とインカムで誰かに指示をしながら、私の足元へやってきた。ほう、これが産むサインってこと?!
ナースがガコンガコンとベッドの下からアームのようなものを左右に出す。アームの先はU字になっており、「ここに足を載せるよ」と言われた。自分で載せたくても下半身の感覚が麻痺しているのでできない。助けてもらいながら、鈍く重くなった足を片方ずつどしん、どしん、とU字に載せた。
ベッドの上で強制的に開脚した状態。ドラマで見るやつだ。本当にこういう姿勢で産むんだなあ。
医療の発達に伴い、医師が出産に介入しやすく(子宮口が見えやすく)するためにこのような姿勢で産むようになった、と『ニュー・アクティブ・バース』に書いてあった。娘を妊娠していたときに読み、畳での出産を選択するきっかけになった本だ。本が言う通り、足側に立てば子宮口が丸見えである。
「陣痛が来たときにちょっといきんでみて。赤ちゃんが降りてくるか見てみよう。」と、ナースが言った。ドクターはまだ来ていない。
まずは深く息を吸って、息を止めてグッと力を入れる。息を吐くと力が逃げちゃうからね、とナースがいきみかたを教えてくれた。
陣痛を感じた瞬間、教わった通りに深く息を吸い、ぐーーーーーーーーっと股の辺りに力を入れた。どれくらいいきめばいいんだろう?!と思っていたら、ナースが「10秒頑張って!」と10までカウントしてくれた。これが良かった。終わりがわかっているので、10秒間だけは頑張ろうと思える。渾身の力を込めた後、ぷはあっと息を吐くと、その間ずっとお股の様子を見ていたナースが言った「いい感じ。下がってきてる。ドクターはもうすぐ来るからね。それまで待って。」
しばらくお尻に詰め物をされているような状態が続いた。一刻も早く出してすっきりしたい。これが「いきみたい」ってやつかあ、と妙に感動。話には聞いていたけれど、娘のときには全くこれを感じなかったのだ。
さっさと出したい!!と思っているうちに、ドクターが到着。それに続いてどんどん人が増える。ナースがもう1人来てバタバタと何かを準備し始め、また1人やってきて「私は産まれた赤ちゃんのケアをするからね」と自己紹介してくれた。その傍にもう1人。あなたは何をする人ぞ…?気づいたら5人の医療従事者に囲まれていた。娘のときは私と母と助産師さんの3人だったのに。今回は私と夫を入れたら総勢7人。おおごとだな。
遂にお産開始だ。ドクターとナースが足元に立ち、私がいきむたびにカウントしたり声をかけたりしてくれる。
赤ちゃんが降りてきてるよ!もうそこまで来てる!頑張って!
そこまで来てるのか…よくわからないけど…などと思っていたら、「見る?」と聞かれた。
見る、とは…?
私のお股は、あなたたちからは丸見えでも、私からははるか遠くにある。
「上を見て、見えるよ!」
?????
パチッとベッドの真上の電気が消された。
なんとその長方形の蛍光灯は、天井との接着面が鏡になっていて、電気を消すとばっちりこちらが映るのだ。
私の下半身、めっっっちゃ見える…
こんなにはっきり自分のお股を見るの、人生で初めて。
そしてそこには、確かに赤ちゃんの髪の毛が。
本当にすぐそこまで来てるんだ!!
陣痛が来るたびに、下半身に力を込めて、赤ちゃんを押し出そうとする。
「もう少し!」「頑張って!」「上手上手!」「いい調子!」とドクターとナースが励ましてくれる。この声かけのおかげで、力を振り絞れた。応援って本当に力になるんだな。。。
何度も何度も全力でいきんで、クタクタになってきた。もはや疲れすぎて陣痛が来ているのかすらわからない。
「陣痛を感じなくなってきたから、いきむべきタイミングを教えてほしい…。」と息も絶え絶えにドクターとナースに伝える。陣痛を計測する機械を見れば、彼女達もわかるはずなのだ。でも疲れすぎて脳が働かないし呂律もまわらないから、上手く言えない。
「…なんて?」とドクターに聞き返され、必死に繰り返すとナースが理解してくれた。
疲労困憊、肩で息をしている状態での英会話、厳しすぎるよ。
午後2時、出産は最終局面に入った。
力の限り、息の続く限り、いきみ続けて!!との指示。
いきんだ後にふうっと少しでも休んでしまうと、せっかく降りてきた赤ちゃんがまた戻ってしまうらしい。もうこの段階まで来ると、10秒のカウントもない。とにかく続けられる限りプッシュして!!!!と。
これがまあ、しんどいのなんのって。
陣痛の痛みより、麻酔を入れる痛みより、いきみ続けるのが辛かった。痛くは全然ないのだけれど、ずっと力を振り絞り続けるのが本当にきつい。やってもやっても、赤ちゃんが出てこない。こんなに、もう体中の血管がはち切れるんじゃないかってくらいいきんでるのに。
赤ちゃんが出てくるより先に、力が尽きそう。というかもう尽きてるのを無理やり続けてる。
このまま赤ちゃんが出てこなかったらどうしよう。
そんな不安にさいなまれながらも、やるしかない。誰にも変わってもらえない。薬で陣痛は促進できても、麻酔で痛みは和らげられても、最後は自分でやるしかない。
「あとちょっとだよ!」「いいよいいよ!」とずっと励ましてくれるドクターとナース。あとちょっとなんだけどなあ、みたいな空気が感じ取れる。
ドクターが子宮口に指を入れ、少しでも赤ちゃんが出てきやすいように出口の辺りをほぐしていた。それでもまだ出ない。
もう嫌だ。止めたい。逃げたい。
でもやるしかない。
絶望的な気持ちでいきんだそのとき、周囲がにわかに盛り上がった。
「出てる出てる出てる!!!」「続けて!」「そのまま!!!!」
ゔゔゔぁああああああ!!!!!!!!!!!
実際は叫んでない。子宮口以外の場所に回すエネルギーは微塵も残っていない。でももし声が出せたら天井をつんざくような叫びが出たと思う。私の顔は男梅もびっくりな赤さと形相になっていたはずだ。
NOW or NEVER !!!!!!!
ぬるーーーーーーー
どぅるん
出た!!!
赤ちゃんが出た!
おぎゃーーー
泣き声が響き渡る
午後2時14分、息子誕生。
気づいたら泣いていた。もう号泣。
感動の涙ではなく、安堵の涙だった。もちろん、無事に生まれた安堵もあるけど、やっと終わった…という安堵。もういきまなくていいんだ…辛い時間は終わったんだ…という安堵。
赤ちゃんが出てくる直前に天井の鏡を見上げたのだけれど、そこに映った自分の子宮口の大きさには本当にたまげた。出産時は10cmまで拡がると知っていたけれど、目の当たりにすると凄まじい。人間の体ってすごいなあ。
ジョキン、と夫によって臍の緒が切られた後、赤ちゃんが胸の上にそっと置かれた。真っ赤でくしゃくしゃの小さな生き物。全身を震わせて力いっぱい泣いている。
この瞬間にようやく、感動することができた。約10ヶ月間、お腹の中で育んできた命が、今目の前にいる。よかった。無事に生まれてきた。よかった。
じーんとしたのも束の間、赤ちゃんは再び回収され、何らかの処置を施されている。胎盤を出すためにもう一度いきみ、その後にドクターが裂けた子宮口の縫合を始めた。麻酔が効いているからか、裂けた痛みも縫われる痛みも特に感じない。
だけど縫合される様子はなかなかにグロテスクだった。興味本位で見上げた鏡には血まみれの下半身が映っており、私は即座に目を逸らした。出血量は300ml程度らしく大した量ではないのだろうけれど、日本で娘を産んだときは90mlだったので、3倍以上だ。
出血量もさることながら、子宮口も前回より裂けたようだったし、悪露も前回より長く続いたので、体へのダメージは大きかったのかもしれない。
本来時間をかけて進んでいく陣痛を人工的に進ませたことで、体が追いついていなかったのでは?と思う。
ただ出産自体は短時間で済んだので、産後の体力は前回より残っていた気がする。何がいいかわからないもんだな。
ザ・西洋医療な今回のアメリカでの出産と、畳で産んだ日本での出産。同じ出産でここまで違う体験をできたことは面白かった。あまりに違いすぎて比べようがないけれど、もう一度産むなら、、、いや、もう出産はおしまいでいいかな!何人も産んでいる方々、本当に尊敬です!
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