Vol.17 Sacradança/Thiago Amud〈今のところnoteでまだ誰もレビューしていない名盤たち〉
ブラジル・リオ出身のSSW、チアーゴ・アムヂ(Thiago Amudi)。本作『Sacradança』が発表された2010年前後では、サンパウロでメタ・メタ(Metá Metá)のメンバーなどを中心に交流が行われたり、ミナス連邦大学からアントニオ・ロウレイロ(Antonio Loureiro)らによるムーブメント(日本ではミナス新世代として親しまれている)が広まっていったり、今のブラジルのSSWに通じる文脈が各地で生まれていた。ブラジル1の大都市であるリオでも、チアーゴが本作を発表した翌年となる2011年に、音楽をはじめとしたアートと社会に携わる運動一般を包括的に行うコレクティブであるコレチーヴォ・シャマ(Coletivo Chama)が結成。2015年に発表された『Todo Mundo é Bom』が唯一のアルバムとなっており、この時期のリオのSSWシーンの一端を知るにはもってこいの内容となっている。全体像を俯瞰できるような作品ではないものの、こっちもそのうちレビューしたい。
チアーゴ自身は本作の発表後から錚々たる面々とコラボレート、最も著名なものだとカエターノ(Caetano Veloso)の2021年作『Meu Coco』のオープニング・トラックの管楽器のアレンジメントとかになるのだろうか。その他にもリオ出身の管楽器奏者/作編曲家であるシルヴィオ・フラーガ(Sylvio Fraga)と協同し、お互いの作品に参加している。この辺りは柳樂さんによるインタビューを参照されたし。
チアーゴのデビュー作となった『Sacradança』から強く感じるのは、後年コラボレートすることになるカエターノの影響だ。特に大傑作『Livro』からバンダ・セー(Banda Cê)をバックに従えるまでの、アンビシャス・ラバーズ(Ambitious Lovers)およびアート・リンゼイ(Arto Lindsay)らとのコラボレートを通過した体のままカンドンブレに回帰してきた頃のキレの良さを窺わせる(あらゆる意味での)円熟期に達していた頃にリファレンスがあるように思える。
例えば「A marcha dos desacontecimentos」でのディストーション+ワウを利かせたギターのフレージングは「Libros」を思い出させるし、「Pedra De iniciação」や「Enquanto Existe Carnaval」などのシンプルなアレンジの曲はオルタナに寄ったカエターノの曲のようにも聞こえる瞬間がある。アルバム全体がヌメっとした、良い意味でハイファイを目指していない(≠ローファイ)のも、両者の接近している点として考えられる。
ただ『Sacradança』はそこにプログレの要素を足して、よりマキシマムなアレンジに仕上がっている。キング・クリムゾン…?かと思うようなフレーズから幕を開ける「Sal Insípido」や、フルートやバイオリンによる目眩く展開で静と動を何度も往復する大曲「Madrêmana」など、ソリッドでありながら展開やフレージング(主にエレキギター)で味付けをバシバシ伸ばしていく楽曲が並ぶ。
「Madrêmana」でも発揮されていた通り、室内楽のようなアレンジメントが目立つのも特徴だ。本国のギターもといヴィオラン弾きのレジェンドであるギンガ(Guinga)を迎えた「Irreconhecível」では、その穏やかな旋律に並走するようにフルートを配置している。少し掠れたクイーカの音色からスタートする「Inteira, Despedaçada」の間奏における縦笛(これはなんだろう、竹笛?)の闊達な動き方は、やはりカエターノ『Livro』収録の「Doideca / London London」のようだ。
偉大なるカエターノを引きつつも、よりプログレッシブに発展したチアーゴのデビュー作『Sacradança』。そのマキシマムな構造はチアーゴの迸る才能を、ややつんのめった形で本国の先達たちに知らしめた。その才気走る様子は今聞いても十分衝撃を受けるし、彼がその後にカエターノの楽曲にアレンジメントで参加するのも頷ける。名刺としては強烈な一枚だろう。