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再投稿 短編小説 夢を諦めて

 夢を諦めて祖父母の家に行く。
 奈良県の近鉄生駒線に乗った昌慶は、車窓から見える景色を何気なく見ていた。ずっと育てきた東京には見ない景色。
 昭和初期に建てられたかもしれない家屋、どこまでも続く竹藪。
 都会生まれで都会育ち、前回ここに来たのは専門学校1年の夏休み。もう10年近く前の話。
 ずっと舞台やミュージカルが好きだった。都会だから演目には不足しなかった。裕福ではなかったから、お小遣いやお年玉は全てチケット代に消えていった。
お金が足りなくて見れない時も、場所によれば館長の厚意で見せてもらえた。時にはホールの外から声だけを聞かせてもらって、自分の中で舞台を想像した。
 小学生になると自分でも演技の世界に入っていった。子供の頃から頭の中ではいつも演技の事ばかり。
 でも演技の世界ではいつまで経っても評価は得られなかった。専門学校に行っても小さな劇団に所属してからも、ステップアップしている感じは全く感じられない。同じような人もいっぱい見てきた。本人は頑張っていても芽が出ずに諦めて演技の世界から離れていく人を数え切れないほど見てきた。これだけで生きている人なんて全体の内どれくらいの人間か。その中には真剣に何十年と活動してきた人もいる。それでも続けていくことは難しい。自分もその仲間になるのかと思うと悔しさが滲み出てくる。
一方でステップアップしていく仲間を見て、どんどん遠い存在になっていく気がして居心地が悪くなる。
 もう自分はこの世界でいる場所はない。舞台は俺を必要としていない。そう思うと東京にはいられなかった。
 他に行く当てもないし、行きついたのが祖父母の家。田舎の町でただなんとなく暮らす。他にやりたいことなんてない。東京に残るこだわりもない。というよりは東京にいると胸が苦しくなる。どこか遠くへ行きたかった。それが1番の理由。
 じいちゃんの家は築100年以上の日本古風の家屋。

「じいちゃん来たよ。」
「昌慶や、本当に来たのか?」
「うん。ここで農業でも何でもするよ。」
「母さん昌慶の布団も用意しようか。」
「ありがとう。僕自分で出すよ。どこにあるの?」
 2人は孫が来て嬉しい反面、どこか寂しい。
 昌慶にとってここでの暮らしが本当に幸せになるのか。農業を手伝ってくれるのは自分達も高齢になっているから嬉しいけど・・。昌慶が心から願って選んだ選択じゃない。結局のところ諦めて、妥協して、ここに来る。それはいつか昌慶にとって人生の後悔としていつまでも残らないか。
 夜になって特にすることも何もない。ただぼんやりとテレビを見ている。さして面白くもない。ただ流しているだけ。
 でもこれで良かったんだ。自分は才能がない。演技の世界にいても有名な俳優にはなれない。
 夜9時には就寝。今日は慣れない畑仕事で疲れた。
 
 半月が過ぎた。
 ここの暮らしには何の不満もない。じいちゃんはいつも優しい。近所の人も意外と受け入れてくれて優しく接してくれる。
 でも東京では今も仲間が頑張っているんだろうな。成功している人、燻っている人関係なく、今それぞれの状況の中で必死に頑張っているんだろうな。それに引き換え自分はどうだろう。諦めてここに逃げただけ。燻っている人達にも顔向けが出来ない。
 いや違う、住む世界が変わっただけ。自分には自分の生き方がある、そう言い聞かせる。
土をいじっているのはそれなりに楽しい。最高の喜びではないけど、それだけに集中出来る。
 でもどこか心残りがある。大きな会場で多くの人に見てもらえる舞台であれば、どんなに気持ち良いだろう。何千という人が自分を見ている。
苦労は確かに多かった。それだけでは食べていけないから、いつもアルバイトをしながら、合間に舞台の稽古があって。いつも貧乏な生活を強いられていた。貯金なんてない。その月を暮らすだけで精一杯。でも楽しかったことも多い。仲間と練習の合間に笑い合ったり、いつもぶつかり合ってでもより良いものにしたいって意欲に溢れていた。時に本気でけんかして練習した。悩んだ分だけ本番の舞台に立っている時だけは、全てを忘れてその瞬間に生きていた。観客の数に関係なく、自分だけを見てくれている、この瞬間に求め合えている気がして。もうあの頃には戻れないのかな。
俺はこのままずっと田舎暮らしをしていくのかな。

「昌慶はこれで本当に良かったのかな?」
「さあね。私は本当に農業したいと思っているなんて思えないけどね。」
「やっぱりそうだな。嫌いではないのだろうけど、本当にやりたいことじゃない。」
 私達はあの子にどうしてあげたら良いのか。」
「来週あたりに平日のどこかで休む日を1日入れて、どこか気晴らしに1人で外出をすすめてみようか。」
「そうね。」
「考える時間を与えてあげよう。それもじっくり。何も焦る必要もない。今はきっと立ち止まる時期ってことだろう。それで昌慶自身がここでの生活を選ぶなら、それも良いじゃないか。わしらもあいつの生活を応援してやろう。」
「はい、そうしましょうね。まあ最後はあの子が決めることですから。」
いてくれたら心強いけど、でも本心はあの子が本当にやりたいことでないなら、無理にここに留めるよりあの子が本当にやりたいことに向けて送り出してあげたい。
ここはあくまで一時的な避難所みたいなもの。
「もしあの子が戻っても、またいつでも戻ってあげられるようにしてあげような。」
「そうね。それでまたいつか帰ってきた時は暖かく受け入れてあげて。」

 向かいの大野さんも隣の関口さんも昌慶がここに住み着くことを期待している。もっと言えば町全体にとって若い人が残ってくれるのは大きなメリットになる。
 でもこれはあの子の人生だから。あの子が意思決定をするべきこと。
 昌慶、来週気分転換に外出してきたらどう?じいちゃんとばあちゃんもその日はゆっくり過ごそうと思うんだ。山の方に行けば景色が綺麗な場所もいっぱいあるよ。」
「うんそうする。ありがとう。」
「ここまでよく働いてくれたから、たまには美味しいものでも食べてきなさい。」
「そうだね。ここに来る時に乗った電車の車窓から見た景色がすごく綺麗だったから、生駒の山の方にでも登って、のんびり過ごしてみるよ。東京と違ってあまり混み合うこともないだろうし。」
「そうね。東京とは全然違うから。」
 東京にいた時はもっとせかせかと生き急いでいた。それがここではもっと気楽に過ごせる。窮屈な思いもない。
 近鉄線で生駒駅まで乗る。乗客はぽつぽつといるだけ。荷物も財布だけ。スマートフォンも祖父母の家に置いてきた。
 僕は車窓から外の景色を見るのが好きだ。東京にいた時もうそうだけど、こっちに来てから余計にそう思う。こんな風景は東京にいた時はほとんど見ない。ここにはここの良さがある。
 生駒駅に着くと、山頂までの観光ハイキングコースを歩いていく。1人のんびり自分のペースで。
 住宅街に入った時に、公園を見かけたので立ち寄ることにした。山の中腹にあるけど、見晴らしの良い場所。
 考えてみれば公園に入るなんていつぶりだろう。子供の時もそんなに公園に行くことがなかったな。ブランコに座ってゆらゆらと揺れる。辺りは夕暮れ時。夕方5時のチャイムが鳴る。こんな時間を過ごすことも良いな。
 でもどこか物足りなさを感じる。こんな生活をこの先もずっと続けていくのか。自分は本当にそれで幸せなのか。人生を全うしたと言えるのか。
農業も嫌いではない。それをずっとしている祖父母も尊敬している。いつも人に優しく、僕から見ても幸せな生活。祖父母なりの生活を何十年と繰り返されてきたのだろう。
 でもやっぱり僕の心からやりたいと思っていることではない。
 僕が心から欲していること。やっぱり僕は俳優でいたい、舞台に立ち続けたい。練習を繰り返し、少しでも良いものにしたいと関係者全員で悩み、立ち向かい、そして本番あの緊迫した空間の中で、観客全員が舞台を見て、その瞬間に生きている心地。
 僕が舞台に立ちたいと思う理由・・・。名声を得たいから、大金を得たいから、ちやほやされたいから、そんなことじゃない。
あの場所で輝きたいから。その場にいる全員で生きている心地を求め合いたいから。その規模が大きいか小さいかは関係ない。
 これまでの自分は有名になっていった仲間と自分を比較して、自分の存在意義を見失っていただけ。有名になった仲間を喜び、自分は自分で置かれた状況の中で必死に表現していくだけ。そりゃあ有名になって、大金を得て、俳優として名を馳せればそれに越したことはない。でもそれすらやり遂げた後のおまけ。
 1番大事なのは自分が演技をして、観客と同じ演者とスタッフみんなで分かち合うこと。
その一瞬に生きること。それが僕にとって1番大事なことで、それ以外は大して重要でもない。やっぱり演技がしたい。自分にはこれしかない。
 空を見上げると夕日が落ちていく瞬間と重なった。ふいに涙がこぼれ落ちる。僕はこの場所で自分自身を取り戻したかったんだ。
 祖父母には悪いが、東京に戻ってもう1度やり直したい。いつかまた自分を見失う時も来るだろう。そんな時は今の気持ちを思い出して、1度立ち止まってまた歩き出せば良い。
 見上げた空はもう暗くなっていた。
 ありがとう。もう1度立ち向かっていくよ。小さな声でそう呟くと再び歩き出す。

「じいちゃん、悪いのだけど僕やっぱり東京に戻って俳優をやり直したい。」
「分かった。行ってこい。」
 それだけしか言わなかった。でもその言葉には僕を送り出す気持ちに満ち溢れている。
「怒らないの?」
「怒るわけないだろう。やりたいことをやるのが1番だと思うぞ。わしらもこの年齢になって1番そう思っている。昌慶にとってそれがここでの暮らしではなくて、東京で俳優をすることだっただけのことじゃ。それはわしらではなくて、自分で決めること。」
 ちゃんと僕のことを考えてくれていたんだ。
「ばあさんとも話していてな。昌慶が決めたことに対して反対はしないと。周りがやりたいことに対してよく分からずに止める事が1番不幸な形だと思うからな。」
「ありがとう。」
 自分の身勝手を許してくれた。
「だから戻ったら精一杯やれ。別にわしらは有名になって欲しいわけでもないし、大金を稼いで欲しいわけでもない。それは両親もわしらと思うぞ。ただ納得したらやりたいことに対して言い訳もせず、誰のせいにするでもなく、ただ最大限努力して欲しいだけ。それでまた状況が難しくなったらここに一時的に帰ってくれば良い。」
「ありがとう。でもじいちゃんとばあちゃんは近所の人には何か言われないの?」
「そんなことはどうでも良いことだ。わしらは近所の人達とも付き合いはあるが、自分の孫に対してよく知りもせずに文句を言う人とは鼻から相手をするつもりもない。離れるにはちょうど良い機会じゃないか。」
 そうか、そんな風に考える人もいるんだ。周りと比較して優劣をつけるのではなく、自分が辿り着きたい場所を目指すだけ。
「分かった。ありがとう。精一杯頑張ってくるよ。」
 自分にも応援してくれる人がいる。公演をする度に来てくれる人もいる。表面的な数じゃない。その1人1人に感謝を込めて演技するだけ。
「そうと決まれば明日の朝すぐに東京に戻れ。アルバイトもして大変だろうが今は必死にやるんじゃ。自分に負けないこと。」
「分かった。」
「頑張ってきなさいね。」
自分の為だけじゃない。自分の夢だったとしても、そこには応援してくれる人達がいる。その人達の為にも自分が輝いていないと。彼等は僕の輝いている姿を見ること、それが彼等の楽しみでもある。
 僕の進む道が彼等の道でもる。彼等の進む道が僕の道でもある。
 じいちゃん、ばあちゃん、いつか招待するからね。心にそう固く誓う。

 

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