僕の小さな役割後編
「こんばんは。閉店後で申し訳ないのですが少しだけお時間頂いても宜しいですか?」
「こんばんは。もちろんです。どうされましたか?」
閉店後に少し離れたところの洋菓子屋さんが訪ねてきたがどうしたのだろう。
「再来月からマルシェを始めるのですが、こちらに参加して頂けませんか?すでにいくつかの店舗さんや個人事業主に声を掛けていて参加が決まっているのですが。」
「マルシェですか?」
「はい、朝早い時間ですけど例えばパン屋さんだったり、うちのような洋菓子、こちらのような喫茶店の方に飲み物を出して頂いたり。これからもう少しジャンルは広げたいと思っているのですけど。他には副業で個人事業主をされている人も今は1人ですけどもう少し増やしたいと思っています。」
「それは面白そうですね。」
まだほんの一部しか見えていないけど面白そうだ。
「ありがとうございます。予定しているのは日曜日の朝7時からと早いのですけど、そこでちょっとしたお祭りにすることで、来てくれたお客さんに休日のひと時を楽しんでもらいたいんですよ。1番のターゲットは家族連れです。家族で笑い合う瞬間の手助けをしたい。この形ならば近所の人も来やすいし、それをきっかけにして店舗の方にも来てもらうことが出来ないかなと思っているんです。」
確かにそこでいろんな種類のお店があれば行きやすくなるし、きっかけには良いかもしれない。そこで気に入って頂ければ実際にここにも来てくれる可能性も上がる。日曜日の朝7時か、そこからどれくらいやるのだろう。
「面白そうですね。」
「時間としては2時間の朝9時に終了という形で考えています。場所は公民館の前の駐車場です。確か朝9時開店だと思うので被ってしまいますけど良ければ参加されませんか?」
このまま同じ事を続けていても何も変わらない。確かに続けることは大事だ。でもそれは店を続けることだけだと思う。どう続けるか、彼の意思に賛同をするし、自分もその挑戦の一端を担いたい。これが今僕が抱いている本音だ。自分が心の向く方に従って行動したい。
「僕もちょっと変化を起こさないと何も変わらないなと思っていたところなので、もう少し情報が欲しいところなのですけど、前向きに検討したいと思っています。ところでなぜこれをしようと思われたのですか?」
「きっかけは2つあって、もっと新規顧客を増やしたいと心の奥底から抱いていたこととこの前地元の友人達で会った時に会話の中心が仕事の愚痴だったのです、これが本当に嫌だったんですよ。」
「なるほど。」
「まず新規ですけど、うちの店舗も常連のお客さんに来て頂けるのは大変有り難い事ですし、その人達が店の売上の多くを占めているのは事実なのですが、それだけでは今後の先行きが不安ということが大きいですね。それで新規顧客を考えたところ若い世代にもっと来てもらいたいと思ったのです。具体的には30代中盤から40歳までの家庭を持っている方々に。その年代だと小学生くらいのお子さんがいる家庭も多い。習い事や他にやることも多いと思うのですけど、家族が一緒に出掛けたり、ほのぼのとした時間を過ごして欲しい。自分が幼少の頃にそう出来なかったからこそ他の人にはそんな時間を提供したいんです。ただそういった方々だとうちの洋菓子だけで求めるより、他のジャンルの店舗さんも合同でやった方が相手としても来やすいだろうと。だからこのマルシェという形にして、本格的には実際に店舗に行くとしても、ここを入口にしてもらいたいのですよ。」
この考えにすごく共感する。僕も同世代だから小学生のいる家族の生活リズムがなんとなくでも分かる。仕事や子供のこともあり何かと忙しい。気になっていた店を個別に行くとなると時間もかかるしそんな時間もない。
「確かに行った事がない人からしたら時間もない中で仮に行ってみたいところがあっても、思った通りの店で自分達が納得いくか分からないからなかなか行きづらいですよね。」
「そうなんです。それで実際地元の若い人達にもアピール出来ていないと思ったので、こういう形にしたというのも大きいですね。同時にうちと同じ悩みを抱えているお店もあるのではとも思いました。常連さんはいるけど将来のことを考えるとどこか不安を抱えていると。その不安解消の1つになればやる意味もあると思っています。」
「なるほど。」
「うちのようなたった1つの店ではなかなか魅力は感じない、でもその場にいろんな店が集まることで、お客さんからすれば行くだけで知るきっかけ、楽しみのジャンルも広がりますよね。あっこんなお店があったんだ、ここで美味しかったのだから、今度実際に店に行ったらもっといろんなメニューから選べるかなって思うかもしれない。それはお客さんの楽しみ方が増えるということだと思います。だから決してこちら側の都合だけにはならない。ちゃんと来てくれる人達のメリットにもなるなと。それがないとまず成功しませんから。」
自分達が知ってもらう為にお客さんのことを考える。彼の姿勢に好感を抱く。自分の店だけじゃなく他人の店のことを考えているところも。
「確かに、相手の事を考えないと成立しないですよね。」
「はうい、それから2つ目の先日友人と飲み会があったのですけど、仕事が嫌なのはまあ分かるのですけど、会話が会社や上司の愚痴がずっと続いていたのですよ。それをいろんな人がするから終わらない。僕は有り難いことに好きなことを仕事にしています。それでも店の運営面で不安があったり、時々はモヤモヤすることもあります。でも仕事に対して嫌気がさしている人がこんなに多いのかと実感した時に愕然としたんですよ。それでその飲み会から帰ってから自分には何が出来るかなって考えたんですよ。その流れを大きく変えることは出来ない。自分に出来る事なんてたかが知れている。でもほんのわずかでも出来ることがあると思ったんです。それで行き着いたのがこのマルシェなんですね。家族でほんのひと時でも楽しんで欲しい。愚痴とかではなく、別の形で心を明るくしたいと思ったのです。」
「素晴らしい。今までそんな風に考えたこともなかったです。」
「ただその時間が本気で嫌だっただけですよ。」
でも確かに仕事にそれだけ我慢を強いらされていることも多いのだろうな。だからどこかで晴らさないとやっていられない。ただそれが健全だとは僕にも思えない。
「そう、大事なことを忘れていました。もう1つ理由があって、僕はこの地域をもっと盛り上げたいんですよ。うちの店も当然大事なのですけど、自分達の町だからここを大事にしたいんです。」
地域の活性化、確かにこれに少しは繋がるのではないかと僕も思う。来てくれた人がいろんな店舗を観て廻る。そこには店主とお客さんと大きな隔たりを作るのではなく、もっとフラットな関係が良いな。相手をリスペクトしつつもその場にいる全ての人が楽しみまた和やかな雰囲気でやりたい。よしやろう。どうなってもその時また考えれば良い。
「僕もその考えに共感したのでマルシェに参加します。僕もこの町で育って若い頃は何も感じなかったのですけど、この年齢になって町に愛着がこれまでとは比較にならないくらい湧いてきたのですよ。だから自分の店ももちろんそうなのですけど、それとは別にこの町を大事にしたい、その思いで参加させて下さい。そこで来てくれた人に喜んでもらいたいのです。出来るならそこで1週間の中での小さな幸せとしてこのマルシェを習慣にしてもらいたい。」
自分の気持ちを分かってくれて、尚且つ同じ思いだったことが嬉しい。何が何でも実現させないと。実現させるだけじゃない、来てくれた人に提供しないと。その場面を創造する、出店者と来場者の和やかな会話をして、その傍らでは別の家族が何かを食べたり、コーヒーを飲んだりしながら談笑している光景。これが僕の求めているもの。
「ありがとうございます。それでは詳細が決まってきたら改めて報告させて頂きますね。」
「はい、よろしくお願いします。」
先日女性が来た時にSNSで発信してもらい、その発信を見た人が来店された。その事を知った時もとても嬉しかった。自分だけじゃなくお客さんに発信してもらく価値を知った。現代的だし、次のお客さんに繋がる。店の運営のことを考えればこのSNSの発信、自分以外にもお客さんに店のファンになってもらい情報発信してもらうことは、このご時勢にはなくてはならないことだろう。
でも元々僕はこのSNSということが得意ではない。それよりもこのマルシェのように古典的でもこっちのやり方の方が好きだ。その場に来てくれた人達に直接実感してもらえる。SNSも大事にするが、それ以上にこのマルシェを大事にしたい。
この町で生まれ、この町で育ち、この町に育ててもらった。次は僕がこの町に返す番だ。同世代がその対象かもしれないし、その人達の子供が来れば、僕達の次の世代を担う人達だ。その人達へ僕からの小さな贈り物。それが僕の故郷への恩返し。
見送ると早速自分に何が出来るかを考える。せっかくならこのマルシェに出したからこその形を取りたい。ただそこに出店するよりも新たな可能性に繋げる。その方が誰にとっても楽しみが増える。
そうだ、そういえばさっき駅前のベーカリーさんも参加すると言っていたな。それならうちと協業出来ないか。うちのホットサンドの生地をベーカリーさんのパン生地にしてみる。そうなればこれをきっかけにして、相手の売上も少しぐらいは伸びるし、うちで宣伝すればお客さんも興味を持ってくれるかもしれない。マルシェで同じスペースにいる意味もあるのだと思う。あと今作っているホットサンドと違いをつけてみようか。中に含める具材だったり、食感を変える。朝だからシャキシャキ感を多く含めようか。
その為にはベーカリーさんに許可をもらわないと。実現すれば今うちに来てくれているお客さんもマルシェでこのベーカリーさんや他の新しいお店を知るきっかけにもなる。このベーカリーさんだけじゃない。他のジャンルとコラボがあっても面白い。
僕には1つの目標が出来た。このコラボを印象的にも売上的にも成功すれば、次の可能性に繋がっていく。でも逆にこれが失敗すると次もなくなる。僕は絶対にこのコラボを実現させて成功させる。
マルシェだから普段は関わらないような相手でも、これをきっかけにコラボも顧客にメリットがあればやってみる。そんな自由な発想が新たな可能性を生む。それを相手から来るのを待つのではなく、自分から声をかけたい。自分から生み出していきたい。その方がこのマルシェを考えた洋菓子屋の人の為にもなる。何よりお客さんの為になる。 このコラボが実現して売上としても成功すれば、他の人もやりたいと思うはず。そうなればマルシェ全体が明るくなる。
始めようとしている洋菓子屋さんの想いはある。この地域をもっと活性化させたい。日曜日の朝、いろんな人が休日を楽しむ為にふらっとマルシェに出掛け、家族と談笑しながら朝食を摂る。共働き家庭が多い為に平日はどうしたって慌しくなる。帰ってからも勉強やそれぞれのやりたいことがあって、実はそんなに家族全員の時間が持てない。子供とじっくり話す時間もない。休日くらい家族で談笑する時間を提供したい。そのお供にこのマルシェがなれば良い。彼の想いはそこにある。
僕も彼のその想いに共感した。自分の店の利益、メリット以上に理想、目的を考えてみようか。僕に出来る事はほんの小さなことだ。何者でもない。でもこのマルシェで、この店で誰かに小さな喜びや小さな幸せを渡すことなら出来る。
「こんにちは。この近くで喫茶店樹木をしています、長井と言います。」
「こんにちは。確かマルシェに参加されますよね。」
「はい、こちらのベーカリーさんでも参加されると聞きましたのでご挨拶に来させて頂きました。マルシェではどうぞよろしくお願いします。」
「それはわざわざお越し頂きありがとうございます。」
「それが挨拶だけでなくコラボのお願いをさせて頂きたいと。」
「コラボですか?」
「はい、うちの店ではホットサンドをメニューに入れているのですが、このマルシェではこちらのパンを使用させて頂きたいのです。その方がマルシェに出した意味もあると思うので。もちろん購入という形になります。」
「それはこちらとしても嬉しい限りです。是非よろしくお願いします。せっかくそうやってマルシェで共に出店するんですからそこだけのものを用意したいですよね。こちらでもそのホットサンドのPOPを出しましょう。それで少しでもお客さんが目にしてくれるなら、お互いにとってメリットがありますから。」
すんなりと受け入れてくれた。それに意欲的に姿勢。この相手の気持ちには自分の努力で返さないと。企画が膨らんでいく。これで大きく売上の数字としては伸びないとは思う。だけど1つの話題づくりにしたいし、出来る事はやっていきたい。早速今日から試作品を作り始めて、少しでも美味しいものにしたい。
「ありがとうございます。早速今日2袋分を購入させて頂きますね。これで試してみます。」
「いやこれは嬉しい提案を頂いたのでプレゼントしますよ。全部売れるという訳ではないので、だとしたら廃棄するのは勿体無い。それよりも是非この分を活用して下さい。」
「ありがとうございます。じゃあ早速試作しに帰ります。」
「今日はわざわざお越し頂いただけでなく、ご提案まで頂いてありがとうございました。」
マルシェで焼く環境に出来る限り近づけて試作しようか。家の外で焼いたり、火もマルシェの時のようにカセットコンロで焼いたりして。
朝にどんな人が来るだろう。家族連れが多いとするならば、子供用と大人用に分けて2つメニューを用意するとロスが多い。いろいろと模索が始まる。家族の中で両親と子供で分けるよりも、両親と子供どちらも食べたくなるような味にしたいな。親と子供がワイワイ言いながらシェアするようなイメージ。
朝の時間だから食べたシャキシャキ感も欲しい。そうなればレタスは入れよう。ただ自分の子供時代を振り返ると、野菜も良いけど多く入っていたらつまらなく感じてしまう。それなら薄いベーコンやスクランブルエッグも挟もうか。この3種の具材を入れて朝の特別感をもたせたい。子供がはしゃぎながら両親と分け合う。多く売れたら嬉しいが、来てくれた1人1人の笑顔を見たい。その笑顔が広がれば、おのずと売上も伸びていくだろう。
そこに温かいコーヒーと合わせて。家族の光景が広がっていく。身近にいる自分の友人の家族が浮かんでくる。彼等はどんな思いでこのマルシェに来るだろう。ただやっているから、いろんなお店が出ているから、いろんな理由があると思う。でも僕がその小さな幸せを提供出来るなら僕自身が嬉しい。
僕に出来る事はそれくらいのもの。でもそれが誰かにとっての1週間のささやかな幸せと願って立とう。