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僕にも明日が来る

 朝日が眩しい。
 今日は提出日ここで先方に認めてもらって良い評価を得ないと。ここまで頑張ってきたんだ。アルバイトでどうにかお金を稼ぎながら小説コンペに出し続けて。これまでの時間を無駄にしちゃいけない。
 5年間が断片的に甦ってくる。何度も何度も出したけど消されていった過去の作品。どれも自信作だったし、アルバイト以外の時間をほとんど執筆に費やした。自分の過去の人生を振り返っても1番努力した時間。人見知りで引っ込み思案から始まって少しずつ人と会話するように努力して、ようやくこの5年間バイトしながら執筆までした。
でもそれもこれで最後かな。もうこんな時間も終わっちゃうのかな。
 もう30歳が目前に迫っている。
いつまでやってんだよ。まだ諦めてないの。出来るわけないだろ。才能がないんだって。そんな言葉をいつも向けられていた。そんなことは言われなくても自分が1番よく分かっているよ。
 でも諦めきれないからここまでやってきたんだろ。誰にも吐き出すことの無い僕の本音。心無い言葉に自分の心の中で無言の反発。時には何も答えずにその場を立ち去ったこともある。結果が出ない人間には不条理な世界。
アルバイトが終わって、朝までずっと書き続けた。ファミリーレストランで1人書き続けた。心のどこかでもう分かっているけど、同時に今度こそはいけるんじゃないか。今までの時間が報われるんじゃないかと期待を抱く。
「何を書いているのですか?」
「小説を書いているんです。コンペに出そうと思って。」
「すごいですね。何ページくらいの作品なのですか?」
「確か、250ページくらいじゃないですか。何回も修正しているのでよく分からなくなっています。」
 そう言って苦笑いをこぼす。
「すごいですね。それだけの量を書かれているのにまだ何回も修正されているんですか?」
「まあ僕には才能がないので、こうやって地道にやっていかないと自信を持って出せないんです。まあこうやっても全然なんですけどね。」
「いやその努力は素晴らしいですよ。私には絶対出来ないことですから。」
「ありがとうございます。でも僕にはこれしか出来ないので。」
 こんなちょっとした会話にも癒される。
 これまでの5年間、何度もう諦めようと思ったことだろう。自分には才能がない、自分の作品は誰の目にも届かない。そんなことを思う日が続いた。それでも続けてきたのは自分の人生が1度きりだと知っていたから。最後死ぬ時に諦めてなんとなく生きた人生よりも、上手くいくことは少なかったかもしれないけど納得いく人生で終えたかったから。だから誰に何を言われても、最後はまた書き始めた。
 ただそうは言っても自分の年齢と周囲の状況や環境の変化が容赦なく絶えず僕の心に棘を刺す。小さなプレッシャーがいつも背後に感じる。両親の目やバイト先の人達の噂話、友人の出世話、さまざまものが僕に圧力をかける。
 本当は分かっている気がする。何も得られないという事を。最後の最後まで何も得られないまま終わってしまうこの5年間。それでも諦めてどこかの企業に正社員として働いて、どうにか生活を安定させないと。もう夢ばかり追いかけて良い年齢じゃない。現実を見ないと。

 もう1度空を見上げると朝焼けが暖かく僕の心を包んだ。かすかに聞えてくる声に懐かしさを感じる。
「これで最後にするのか?」
「最後?そうだな、僕も違うまともに正社員として仕事をしていかないと。いつまでも夢だけを言っていられない。」
「それで本当に納得出来るのか?続ける気が失せたのか?」
「失せるわけないだろ。それにまだ何も決まったわけじゃない。」
 これまで僕がどれだけ悩んできたかも知らないくせに。勝手なことを言うんじゃない。
「それは良かった。ただ正社員として働くことがまともな仕事って誰が決めたんだ?そもそもまともな仕事ってなんだ?」
「知らないよ。でも他の人はもう家庭を持ったり、僕とは年収も全然違う。」
「家庭を持ったり、年収を上げることがお前の幸せなのか?本当にそう思っているのか?」
 痛いところをついてくる。でも僕だって誰かに認められたいんだ。誰からも何をやっているのかって訝しげな目で見られるのはもう嫌なんだ。
「それより一体誰なんだよ?」
「それはいずれ知ることになる。でもこれだけは今伝えておく。どんな形になっても応援しているから。それだけは分かってくれ。」
 こんな俺を応援してくれるのか?
「応援してくれるのは嬉しいけど、僕は何も簡単に考えたんじゃない。悩んだ挙句この決断をしたんだ。」
「そうか。さっきも言ったようにどんな形になってもどんな将来を選んでも、わしは応援している。だから胸を張って出してこい。」
「ありがとう。」
 もう何年も聞けなかった声のように思う。でも言ってくれた言葉が嬉しかった。自分はもしかしたらどこまで行っても1人なんじゃないか、そう思ってきたこれまでの日々。どんなに強がろうとしても、時に孤独を感じたり、周囲から取り残された気持ちにもなる。でもたった1人でも味方はいる。
 そうか、最後くらい胸を張って持って行こうか。胸張って最後を迎えよう。
 書き終えた原稿を手に電車に乗る。いつもと変わらぬ電車なのに、どこか心模様が違う。諦めの気持ちの中に期待もある。晴れ晴れとした気分もある。そして小さな自信も身についた。5年間やってきたからかな。
 今日の電車から見える景色を僕の心の中にいつまでも留めておきたい。あの大きな池が中心にある公園も、あの専門学校のビルも。これからも何度となくこの風景は見るだろうけど、今日のこの景色はもう2度と見れない。小説家の卵なんてカッコいい言葉じゃない、夢を閉ざす人間の最後に見る景色。
 いつも提出した帰りに駅前の和菓子屋で買っていたあのお団子を最後に1つだけ買って帰ろう。これでサヨナラになるのだから。

 最寄駅の西口からいつもと同じ道を通る。これまでは何も考えずに真っ直ぐ目的のビルを目指していたけど、今日は行きと帰りで今まで気に掛けなかった景色を1つ1つ目に焼き付けたい。いつかこの日を振り返れる日にしたいから。いや今日だけじゃない、これまで過ごした時間も悩みも焦りも全て無駄にならないようにしたい。前向きにあんな時期もあったなと思えるように。その為にはこれから何が自分に必要なのだろう。その答えが分からないまま目的地へ急ぐ。
 目的のビルの前に立つ
 深呼吸を1つ。自分が書いてきた資料をもう1度見て念を込める。
「よし行くか。」
 そう自分に言って1歩踏み出す。
「こんにちは。」
「また君か。」
「はい、また来ちゃいました。」
 無理に明るく接する。いつもの暗い自分より明るく接する方が相手も受け取りやすいのではないか。
「懲りないね。でも正直に言えばその諦めの悪さには恐れ入ったよ。」
「まあ僕にはこれしかないんで。」
「でも別に仕事をしているんでしょ?」
「まあ。」
 それから5分程度だけど立ち話をした。なぜこんなにも持ち込みをするのか、他にどんな仕事をしているのか、そんな類の話。
初めてこんなに会話をした。でも相手の表情を見る限り今回もダメなのだろうな。
「これはまあ受け取るけど期待しないで。これから頑張ってね。」
「はい、受け取って頂いてありがとうございます。」
 この人なりのエールだったのだろう、一礼をしてその場を後にした。
 あの場所に行くまではまだどこか希望はあった。今度こそ受け入れてもらえるんじゃないかって期待を抱く気持ちもあった。でも今はもうそれが消えた。やっぱりこのまま終わってしまうのかな。これで終わって本当に良いのかな。
 情けなさ、悔しさ、絶望感、言葉には表せない程さまざまな感情が入り混じる。ここまでの5年間は一体何だったのか。自分の時間や行動は全て無駄だったのか。この世に僕は必要とされていない。
足取りが重い。このままどこか遠くへ行ってしまいたい。全て0からやり直したい。でも最後にあのお団子を1つだけ食べたい。
「いらっしゃいませ。」
「このお団子を1つ頂けますか?」
「いつもありがとうございます。お客様はいつもこのお団子を買って頂いていますよね。」
「覚えて頂いているのですね。ありがとうございます。このお団子が好きなんですよ。」
 今の自分で精一杯の返答をする。
「ありがとうございます。僕にとってはそう言ってもらえることが、やっていて1番嬉しいことなのです。あなたが2回目のご来店の時に初めて食べたけど美味しかったですと言って頂けたことがすごく印象に残っていましてね。そんな風に言葉にして頂けることってありそうで実はなかなかないことなので。だから本当に嬉しかったんです。」
 そうか、こうやって自分の行動や言葉が少なくとも誰かの役に立つことがあるんだ。自分が誰かにとっては何かしらの影響を与えている。どうせ与えるなら前向きな影響、前向きなメッセージが良い。僕はここに来ることは許された。
 でも僕以外にも許されることを求めている人っているんじゃないかな。この店主さんにしてもそうだ。本人はそこまで考えていなくても、自分の作ったものでお客さんが喜ぶことを求めているんじゃないか。それによってこの世に生かされている。
 さっき店主が言っていたこともたぶんその時の僕はこの事を店主に言えば相手が喜ぶだろうから、それなら言葉にしようと思ったに過ぎない。自分のありのままの気持ちを伝えて、尚且相手が喜んでくれるならこんなに嬉しいことはない。
 じゃあその求めていることを受け入れて手渡すことも大事なんじゃないか。相手が求めていることを手渡す、僕に出来ることでそれが相手の喜びに繋がる、そんな生き方を僕はしていきたい。
 今の世の中自分を認めてもらいたいと望む人も多い。まずその人の気持ちを肯定してあげて、その人が望むなら一緒に頑張ろうとする関係。だけどそれぞれのペースで。そんな世界を作れないか。
 働いている人の苦悩や葛藤を物語にする。まるでその人の代弁をしているかのように。主役は自分じゃなく読者だ。
 これまでは自分の実力をどうにか認めてもらうこと、分かってもらうばかりを考えてきたけど逆だ。まずは相手を認めること、相手を認めた上で進む。その最上級の道は、たった1人の為に物語を書く。その人の要望を聴きながら、その人の言葉にならない部分も僕が想像をして、世界にたった1つのその人だけのストーリー。単価は高くなるけど、それを望む人に提供する。
「ようやく自分の道が見えてきたな。」
 不意に声が聞こえる。行きと同じ声だ。記憶を辿っていく。
「もしかしておじいちゃん?」
「当たりー。よくここまで頑張ったな。あの時は5年も続くとは思っていなかったけど続いたことは立派だと思うぞ。でもこれからが本番だ。叶えたい夢があるんだろ?」
「うん。その夢が今までとは全然変わってきたけど、これからやることをもっとクリアにしながら進んでいくよ。なんか今日やっとほんの少しだけ自分が書く対象や方向性が分かった気がするんだ。だからその人達が望むストーリーとその先の世界を形にしていくよ。」
「そうだな。でも今までのことも無駄なことじゃない。絶対に役に立つ瞬間があるから胸張ってこれからやりたいことに活かしなさい。」
 じいちゃんは生前小説書こうか、自分の気持ちに嘘をついて蓋をしようか、うじうじ悩んでいる僕の背中を押してくれた。やりたいならやれば良いじゃないか。そんな風にあっけらかんと言うものだから、僕は思わず拍子抜けしたことを今でも覚えている。
 誰もやりたい事にストップはかけられないし、失敗してもみんな1週間後には忘れているものだ。それにそうやって他人のことで笑っている人間はただの暇な人間だから、相手にせんで良いと言っていた。そんな軽はずみに相手の行動を妨げようとする人間は取るに足らないと。当時の僕の気持ちを汲んでわざと強く言ってくれたのだろう。
 あの日から5年半。それからすぐに亡くなったけどずっと見守っていてくれたのかな。きっとまだ頑張れよって言い続けてくれたんだ。
「それでこれからどうするんだ?」
「うん、これまで通りバイトしながら執筆をしていこうと思う。」
「やっぱりそうか。」
「うん、もう年齢のことを考えたらやめた方が良いっていう人も多いんだけどね。まあその人が言っていることも分かるし、中には僕のことを心配してくれる人もいるけど、でも俺やっぱり諦め切れないや。方向性は変わったけど書くこと自体は諦めない。むしろ今まで以上に真剣にやろうと思う。僕にはこの生き方が合っている。」
「それで良い。自分の人生だ。自分が納得するように生きろ。」
「そうだね。ありがとう。」
 そう答えるともう声は聴こえなくなった。僕は1人じゃない。見守ってくれている人がいるんだ。
 電車の車窓からは夕日が見える。あの夕日にじいちゃんを重ねる。沈んでいく夕日、だけどまた明日になれば日が昇る。僕にもまた明日が来るんだ。

 

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