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僕の小さな役割

 この地方で小さな喫茶店を開いていてなんか意味なんてあるのかな。この喫茶店自体は好きだし、この仕事は好きだ。でもこの先の未来を考えた時に本当にこのままやっていけるのかな。大手のチェーン店は地方でもいくらでもあるし、カフェの倒産件数はずっと高いまま。不安になる要素を挙げればキリがない。
 僕は2代目としてやっているけど、昔とはもう時代が変わっている。先代の両親の時代はそこまで戦略的なことは必要なかったのかもしれない。もちろん大変ではあっただろうけど、自分達の独自性とそのターゲットなる人達のニーズ、そこの噛み合わせが少なくてもやっていけたのかもしれないけど、今はそうじゃない。
 でも僕はこの純喫茶が好きだ。気分が落ち着くし、ハンドドリップで1杯1杯に手間暇掛けて提供する。淹れている時はお客さんの笑顔を思い浮かべながら出す。それが自分にとっての喜び。
 この1杯をまるで子供のように思う。そんなことを言うとすごくオーバーな表現だけど、子供を送り出すような感覚。だからたった1杯を本気になって淹れるし、忙しいという理由で適当に出したくない。望む事は、注文をしたお客さんにも味わって飲んでもらいたい。それが僕の小さな幸せ。出来る事ならこの先何十年と同じ事を続けていきたい。
 フードにしても自分がメニューに加えたホットサンドとホットドックには思い入れも強いし、何より自信もある。自分には他に出来る事は少ない。特別頭が良いわけでもないし、人減関係を築くのも不得意だった。でもこのコーヒーを淹れること、得意料理で誰かを喜ばせることなら出来る。

 入口のドアが開いた。
「こんにちは。」
「こんにちは。いらっしゃいませ。どうぞお好きな席に。」
「ありがとうございます。初めて来たのですけど、おすすめのメニューってありますか?」
「お客様はコーヒーだとどういうものがお好きですか?甘い方がよろしいですか?」
「甘いのは苦手なんです。だからコーヒーを飲む時はいつもブラックばかりで、甘くするとしてもほんの少し砂糖を入れるくらいですね。」
「それであれば、当店はハンドドリップのブラックコーヒーを売りにしていますので、お口に合うのではないでしょうか。」
「じゃあそれで。」
 喜んでくれると嬉しいな。
「フードでおすすめのものはありますか?出来れば軽食が良いのですけど。」
「軽食であればホットサンドがおすすめですね。」
「ホットサンドですか、美味しそうですね。じゃあそのコーヒーとホットサンドでお願いします。」
「かしこまりました。少々お待ち下さい。コーヒーはいつお持ちしましょうか?
「一緒で良いですよ。」
「かしこまりました。」
 あの女性に美味しいものを届けたい。ここに来て良かったと思ってもらいたい。それが今自分のやること。お客さんは初めてだからか、店内を見渡して雰囲気を感じ取ったり、店に置いてある絵本をパラパラとめくって過ごしている。
「お待たせしました。ブラックコーヒーとホットサンドです。」
「ありがとうございます。美味しそうですね。」
「ありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです。」
 女性は1口1口を噛み締めるように味わいながら食べている。
「ホットサンドってこんなに美味しいんだと初めて知りました。なんか工夫とかされているんですか?」
「工夫ですか?どうでしょう自分では分かりませんが、何百回と試してきたので、それが工夫ですかね。」
「何百回?それはすごいですね。」
 何百回と言っても子供の頃からずっと作ってきたから。自分用もそうだけど、店に出て忙しい両親用にも。その1回1回が今に繋がっている。誰かに料理を出して喜んでもらう。それが自分にとっても喜びなのだとそこから学んだ。この想いを大事にしたい、学生の頃によく思ったものだ。
「何百回と言っても子供の頃からずっと作ってきましたから。それが今に繋がっているだけですけどね。」
「そう、それもすごい。元々料理が好きだったのですか?」
「そうですね。自分で作って自分で食べるのもそうなのですけど、両親が夕食を作る時間もなかなか持てなかったので、僕がその担当だったのですよ。それで料理をいつもするようになって好きになっていきましたね。」
「素晴らしい。」
「本当美味しかったです、このホットサンド。これをおすすめされるのも納得です。」
「ありがとうございます。」
「でも両親の影響があったとはいえ、子供の頃に自分の好きなことが見つかったのは本当に良かったですね。」
「そうですね、僕もそれは本当に幸運だったと思います。」
好きなことが見つからない人もいる中、僕は子供の頃から一生かけて楽しむことを知ることが出来た。
「幸運な人生、素晴らしいですね。」
「料理を作ること自体もそうなのですけど、作った料理を食べた人が喜んでくれるのがこんなにうれしいことなのだと気付けましたから。コーヒーも両親が出してくれるのを味わって、その良さを知りましたし、僕は本当幸運な人生だと思います。」
「その想いを知れて良かったです。」
「あっすみません、ベラベラと喋ってしまいましたね。」
「とんでもないです。むしろ嬉しいくらい。初めて来ましたけど、ここに来て本当に良かったです。このお店の情報を私のSNSで宣伝させて頂いても良いですか?」
「もちろんです。ありがとうございます。お客さんのその1つ1つの行動が当店の宣伝になりますから。」
 そう、こうやって自分だけが発信しているよりも仲間が増えた方が大きな波になる。そうか、お客さんは仲間でもあるんだ。
「いやこのお店が本当に素晴らしかったから。だから載せたいと思ったんですよ。近い内に友達も誘って来ますね。」
「是非お願いします。」
 「じゃあお会計をお願いします。また来ますね。」
「ありがとうございます。来て頂いたこと本当に嬉しかったです。」
 入口の扉を開けて、お辞儀をして見送る。こうしなければいけないとは思っていないが、自然とその行動になる。来てくれたその人に僕なりの感謝の気持ち。
 さっきの女性のおかげで僕は大事なことを思い出せた。僕は将来の不安を抱く為に、両親の店を引き継いだんじゃない、お金を多く得たいからこの店をやっているのでもない。1杯1杯をお客さんに提供したい。来てくれたお客さんに笑顔になってもらいたいからこの店を引き継いだ。
 来店された時よりも確実に店を出る時の方が笑顔だった。それは僕が求めているもの、また続けていきたいのはこれだ。この先10年経っても20年経ってもこの事を続けたい。今僕はそう思っている。
 SNSを開いたら早速さっきの女性からフォローされていた。そしてうちの宣伝もされていた。書いている内容もかなり心の入った内容で、僕の想いをちゃんと汲み取り伝えてくれている。こういう仲間を増やしていくことが大きな鍵になる。
 仲間を増やすことが目的ではない。あくまでも目的は来てくれたお客さんにコーヒーやフードを通して笑顔になってもらうこと。ただその人達を1人でも多くしていく為に、この仲間を増やすことは有効な手段になる。またそれが店の存続の大きなポイントにもなる。
 僕のやることは基本的には今までと一緒。僕にとって出来る事は本当に小さなこと。名も無き喫茶店店員という存在。でもこれが社会における僕の役割なのだと思う。この役割を全うする。
 少しずつ自分に対して自信を感じてきた。
 さあまた次のお客さんを笑顔で出迎えよう。


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