愛すべき出会った人たち 4
彼は、Oふみおさんと言った。
わたしとは誕生日が一日違いだった。
背の高い人だった。
生まれつきの股関節変形症で歩く時に少しバランスが悪かった。
それでも、
瓦を運ぶ仕事を長年していた。
昔々は手作業で、一輪車で運んでいたらしい。
いわゆる肉体労働で、食事の時には、どんぶりでごはんを3杯は食べていたと話してくれた。
昼休みには、妻がしていた食堂の出前も手伝っていた、
とのどかな時代を思い出すように話してくれた。
姉さん女房のおかあちゃんのことが大好きだった。
息子が借金で家を手ばすことになったことに、愚痴ひとつ言わなかった。
「とられた」とだけ言っていた。
顔見知りにゆずることになったので、どんな思いだったのだろう。
その息子とおかあちゃんと、三人で近くの借家に住んでいた。
食べることはおかあちゃん。洗濯や買い物はふみおさんがしていた。
自転車で30分くらいのところまで安売りを求めて買い物に行っていた、と話してくれた。「今は、いかへんけどな」
何度も話してくれたのは、小学校の時の空襲。
側溝に身を伏せて、ミサイルをかわしたこともある、と話してくれた。
今でも、そのミサイルを打ってくる音や操縦しているパイロットの顔を思い出す、と話していた。
あれだけは、忘れん、と。
小学校の自分が戦争時分だったから勉強なんてひとつもしてない
だから読み書きも苦手だ、と。
校庭を耕して野菜を植えてたからな、と。
出会った頃には、
週に1日近所のデイサービスが開催していた「喫茶」に
幼馴染たちと出かけるのを楽しみにしていたが
次第にお仲間が減り、
喫茶もなくなり、
仲間と過ごすことが少なくなっていった。
「さびしいもんやで」と何度も口にした。
入退院を繰り返しながらも
畑に行ったり、
顔なじみの和菓子屋に自転車で買い物に行けるほどに回復された。
きっと、彼はわたしを覚えてはいないだろうけど、
わたしは、覚えている。
懐かしそうな顔をして次々と言葉を紡いでくれる姿を。
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