【ユリス考察まとめ】劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン【なぜみんなユリスシーンで大泣きするのか】
こんにちは(o・ω・o)劇場版は【ユリス推し】の虫圭です。
私の地元では11/19で劇場版の上映が終了となります。
仕事の都合で最終日には行けないので、本日地元での最終観賞、33回目の観賞に行ってきました。
そして、初回と同量の涙をユリスのシーンで流しました。
「ユリスのシーンで一度も泣いたことがない」
という人は、かなりマレだと思うのですが、
その一方で、ユリスのシーンを指して、『泣き所』と呼ぶことに私はけっこう「あぁん?怒」と心の中で思うんです。
というのも、ユリスは劇場版において、最も重要とも言える役割を持っているキャラクターであり、ユリスの存在なくして、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンは有り得ない。
と私は思っているからです。
このnoteを読んでいる方は、既に私のヴァイオレット関連のnoteを読んでいる、という前提で今回は進めます。
ヴァイオレットとユリスの関係性を、これまで考察してきた内容まで全部書き出してしまうと、めちゃくちゃな量になって、読むのがしんどくなってしまうので笑
もし、完全初見の方がいらっしゃれば、先にコチラ
【まとめ考察】劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン【大事な人と、もう一度観たい映画】|虫圭
だけ、読んでいただけると嬉しいです。
して。
今回のメインテーマですが、その『泣き所』であるユリスのシーンが、
【どれだけ、"泣ける構成"で作られているのか、
京都アニメーションの
"本気の演出と構成力"を知ってもらおう】
という、逆に
「泣くのは当たり前なんだよ。私たちは、京都アニメーションの本気の【泣かせる力】という名の掌の上で転がされているだけなんだよ!」
みたいなスタンスで語らせていただきます。
それこそ、考察1回目
1回以上映画を観た人に読んでほしい『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンの感想や考察』(超絶ネタバレ有り)
で書いたように、「私たちがあのシーンで泣くのは仕方ないんです」が、どれだけ必然的なものなのか、今回はそこを語らせてください。
私がユリスをめちゃくちゃ推しているからこそ、ユリスがどれだけ【研ぎ澄まされたキャラクター】なのか。
みなさんが、「泣いた」のではなく「泣かされた」のか、それを知っていただきたいと思います。
前置きが長くなりましたが、
ユリスで涙した人には、特に読んでほしいnoteとなっています。
どうぞ、最後までお付き合いください。
「この考察面白いじゃん」という内容になっていますので。
▪️ザイオンス効果とメラビアンの法則のおさらい
先ずはこの2つの人間の心理効果を話さないと、お話になりません。
これまでのnoteと合わせると3回目の説明になりますが、おさらいさせていただきます。
▪️ザイオンス効果
ザイオンス効果(Zajonc effect)」とは
同じ物・人物に接触する回数が増えるほどに、その物・人物に対する好感度・親近感が高まりやすくなる心理効果。
第一印象が良い相手に、その後複数回会うことで、好感度が右肩上がりになる心理効果を指します。
逆も然りで、第一印象が悪い相手の場合、会うたびに嫌いになるということも起こります。
マーケティングの世界でよく使われる心理現象のため、図解はそっち寄りになっていますが、つまり、
第一印象が【好意的】な場合、その後の会う回数に応じて【好印象は右肩上がりになる】
その効果は3回目の『認知』から効果が高くなり、10回目をピークに変化しなくなる。
というもので、
ユリスのシーンは、
①ユリスとヴァイオレットの出会い
②手紙の作成と指切り
③リュカとの和解、ユリスの死
この3つで構成されているため、私たちはユリスが亡くなるシーンで、ユリスに対し、最も強く『感情移入』する訳です。
そして、ユリスの優しさや、ユリス自身が周囲からどれだけ愛されているのかを、より感じる訳です。
▪️メラビアンの法則
メラビアンの法則とは
『見た目と言動のギャップから生じる相手への印象の影響』のことで、ここでは、
『ユリスは見た目からして病気で、きっと先が長くないのだろう、と察することができる。
しかし我が身をかえりみず、気丈で優しく、家族やリュカを想っている。
さらにヴァイオレットのことまで案じて、喜んでくれる』
というギャップによる印象の向上を指します。
より詳細なメラビアンの法則の解説
メラビアンの実験では、
「『楽しいね』と言いながら、声のトーンは低く、不機嫌な顔している」といったような、
言葉と表情、態度が矛盾している状況で、人はどんな印象を抱くのかが検証されました。
その結果、
話の内容などの言語情報が7%、
口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、
見た目などの視覚情報が55%の割合であった。
言葉でどんなに「楽しい」と言っていても、態度や表情がつまらなそうであれば、「つまらなそう」という見た目の印象のほうが強く伝わる。
ということを示した。
という実験で検証されています。
つまり何が言いたいかと言うと、
ユリスがどれだけ生意気な態度で登場しても、ユリスの姿を見た人は、そちらの印象に強く引っ張られる。
ということです。
そして、そこからのユリスの性格や、手紙を書く目的など、ユリスのことを知れば知るほど、最初に受けた『生意気』な態度や、『死を連想させる見た目』とのギャップで、私たちはユリスのことを好きになっていく。
という話。
ザイオンス効果とメラビアンの法則のおさらいはこれくらいで。
要は、心理効果として、
私たちはユリスのことを好きになりやすい
ということだけ、ここでは覚えていてください。
▪️ユリスが小生意気な理由=ネガティブバイアス
さらにもう一点、心理的なユリスの印象付けの話です。
ユリスの登場シーンでの、ヴァイオレットとの会話を思い出してみてください。
電話の会話
ユ「手紙を書くのに年齢が関係あるわけ? ドールって望めばどこにでもきてくれるんでしょ? あれはウソ?」
ヴァ「いいえ、ウソではありません」
ユ「じゃあ来てよ」
病院での会話
ヴァ「お客様がお望みなら、どこへでも駆けつけます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」
ユ「ふーん。ほんとに来たんだ」
ヴァ「お客様がお望みでしたので」
ユ「けっこう若いけど大丈夫?」
生意気ですよね笑
初見の時、ちょっと「イラッ」としませんでしたか?
私は、ちょっと、ちょっとだけ「イラッ」としました笑
で、ここが大事なポイントなんですけど。
『イラッとする』って、ネガティブな感情ですよね?
少なくとも「この子の生意気なところカワイイ!」というポジティブな反応には、あまりならないですよね?
そして、
人はネガティブなものに対して
ポジティブなものの7倍反応する
【ネガティブバイアス】
という心理効果が人にはあります。
ネガティビティ・バイアス(ネガティビティ効果)とは、
評価的にポジティブな情報よりもネガティブな情報の方が情報価が高く、人が行う判断に大きな影響を及ぼすこと。
ネガティブな印象(小生意気な態度)から入ったユリスの印象は私たちの記憶に残りやすい。
かつ、「嫌な奴が良いことしたら、『すごく良い奴に見える』」という「不良が捨て猫拾う」みたいな評価が爆上がりする評価も得やすい。
つまり、それだけユリスの第一印象は
『インパクトが強い』
ということ。
ここでは新しくこの心理効果を覚えていてください。
▪️ヴァイオレットを思い遣るユリス
さて、ようやく考察に入ります。
これまでは、花言葉などを用いてユリスのことや劇中の演出を紹介しましたが、今回は、
『映画を見て分かることだけ』に焦点を当てます。
このシーンは、シーン②のヴァイオレットと指切りをした後の会話です。
ユ「その人(ギルベルト)に何を伝えたかったの?」
ヴァ「あいしてる、も、少しは分かるのです。と」
ユ「わかっただけ?」
この後、ヴァイオレットはユリスに言葉を返せませんでした。
まだ、ギルベルトに『何を伝えたいのか』分からなかったからです。
そしてユリスは、リュカがお見舞いに来ることを拒んだ理由をヴァイオレットに打ち明けます。
ユリスが「衰弱した自分の姿を、親友のリュカに見られたくなかった」とヴァイオレットに話せたのは、
その前に『【あいしてる】を解っただけで、何をギルベルトに伝えたいか言葉に出来ない』ヴァイオレットの辛そうな姿を見たからで、
ユリスはヴァイオレットのその姿を見て、ほんの少し困ったように微笑みます。
兄弟のことを説明しなくても分かったり、意固地な自分の本心を汲み取ってくれた、『何でも分かるヴァイオレット』が『分からないことで辛そうにしている』姿を見て、親近感や人間らしさ、を感じているのがユリスの表情から読み取れます。
だからユリスは、自身の弱みを見せることでヴァイオレットを励ましたかったのだと思います。
ヴァイオレットの為に自分の弱みを見せれるユリスはやはり強いと思うし、そんな強い少年の儚い願いだったからこそ、この後に待つ最期の時に、ヴァイオレットは手紙を書いて、約束を果たしたいと強く想ったんじゃないかと思うのです。
▪️家族を愛し、愛されるユリス
これはYouTubeに上げてる音声動画で既に話していることなんですが、
ユリスって、すごく良い子、ですよね?
「こんな優しくて強くて良い子、現実にはいないでしょー」
と思ってもおかしくありません。
もしくは、「よっぽど愛されて育ったなら、まあ」
と思ったり。
で、実は劇中での家族の姿ややり取りから、ユリスが両親や弟からすごく、すごくすごく愛されていることが読み取れます。
①ユリスとシオンは教育が行き届いている
②両親は、多少裕福な層の人たち
③両親は子供二人を優先に考えている
この3つが、読み取れるためです。
①ユリスとシオンは教育が行き届いている
ユリスは登場シーンから新聞を読んでおり、シオンは制服のような服装で、「おにいちゃん、絵本読んであげる」と、幼いながら文字が読めることが解ります。
また、両親はこの後のシーンでそれぞれ手紙を読みます。
識字率がまだ低い(だから代筆業がある)この世界で、家族全員が読み書き出来るというのは、けっこう珍しいことだと考えられます。
②両親は、多少裕福な層の人たち
子供二人に十分な教育を準備できる家庭であることは解りました。
次に注目してほしいのは、両親の服装です。
一見、普通の服装なのですが、『現場作業の人っぽい服装』をしているお父さんの服は、全く汚れていません。
つまりこれは、『現場の中でも、指示をする側』であることが示唆されていて、現場監督者なのであれば、文字の読み書きが出来るのも納得がいきますし、シオンを『制服がある学校』に通わせることができるのも納得できます。
③両親は子供二人を優先に考えている
ですが、両親の格好は『普通』ですよね?
なぜなら、
『シオンは学校に通っていて』、
『ユリスは病気による3回の手術と、一年以上に及ぶ入院生活を送っている』
からです。
両親は多少裕福な家庭に属する人たちかもしれませんが、その財の多くは『子供二人に優先して使われている』
ということが推察できます。
これは、『よっぽど愛されている』と、言えると思いませんか?
私はこの考えに至ったからこそ、
ユリスが優しく、強く、他者を思い遣ることができる子供であることに納得できるのです。
▪️最期の会話前にリフレインさせられるユリスの印象
先ずは、コチラの画像を見てください。
これらは、ユリスが亡くなるシーンに入る直前に映る、
ヴァイオレットの回想で映るユリスです。
小生意気で元気な、強いユリスのイメージが映ります。
そして次に映る、現在のユリスは、
この『落差』を、私たちはシアターで目の当たりにします。
私たちは、ヴァイオレットの一瞬の回想で、思い出します。
「そうそう、ユリスって、こんな小生意気で元気な良い子なんだよ!」
そして次に映る、衰弱しきったユリスを見て思うのです。
「へ? これ、ユリス? ウソでしょ?」
メラビアンの法則を思い出してください。
人が受ける印象は、見た目が55%です。
そしてその後の言動が38%。
そして見た目と言動の落差が激しいほど、相手に持つ印象が大きく変動します。
「あの、元気だったユリスが、今、こんなにやつれて……」
誰しもそう思うことでしょう。
言葉にならなかったとしても、心の中で、私たちは一様に感じているはずです。
この激しい落差を瞬間的に私たちは感じ取り(脳裏に刷り込まれ)、ユリスの状態が本当に深刻で、今が『最期の時』であることを一瞬で理解します。
そして、次のユリスのセリフはこうです。
ユ「……ぁ……ヴァイオ…レットは?」
ア「代わりに来たアイリスよ。ヴァイオレットは今、遠くにいるの。大切な人と、やっと会えて」
ユ「愛してるを…教えてくれた人?」
ア「うん、そうよ」
ユ「生きてたんだ……良かった……」
ア「……ッ」
この、死の間際でさえ、ヴァイオレットのことを想い案じるユリスの姿に、私たちの心は強く締め付けられます。
つまり、メラビアンの法則の流用です。
『死に瀕した少年』(ネガティブな状態)が
『自身よりも、他者を想う』(献身的+ポジティブな言動)
この天と地ほどもある【マイナスとプラス】の差を私達は視覚的に感じることで、
ユリスに対し、様々な【好意的感情】を持たずにはいられなくなる。
ということです。
このメラビアンの法則の効果はさらに次のシーンにも続きます。
▪️ユリスとリュカの会話は、私たちがきっと過去に経験していること
ここで、ちょっと映画の話から話題を変えます。
あなたと、あなたの友達のことを思い出してみてください。
学校を卒業して、別々の学校へ、就職して違う場所へ。
離れ離れになった親しい友達はいませんか?
一年越し、数年越しに、たまたまその友達と電話をした時、相手の声を聞いた瞬間に、
「あ、そうだ、コイツの声ってこんなだった笑」
と、フッと、笑みがこぼれたことはありませんか?
懐かしい、仲良しの友人の声を聞いて、ホッとしたことはありませんか?
リュカが、初めて触る電話の使い方が分からずに、ワタワタしながら
「こ、これ、どうすれば良いの!?」
と慌てた声をあげた時、それを受話器で聞いたユリスは、一瞬、フッと笑顔になります。
ユリスとリュカは、一年以上もお互いの声を聞いていませんでした。
ユリスは3回も手術をし、一年以上も入院して、どんどん痩せ細っていく自分の『弱い姿』を、親友のリュカに見せたくなくて、見られたくなくて、かたくなに会うことを拒んできました。
最期の時を迎え、やっと、リュカに素直な想いを伝えようとしたその時に、一年ぶりに聞いた親友の『いつもと変わらない声』に、心からホッとしたんです。
そしてリュカはユリスに伝えます。
「ユリス、僕たち、ずっと友達だったろ?」
リュカは、一年の間、大好きな親友に会いたい気持ちで、何度も病院を訪れ、窓からほんの一瞬見えるか見えないかも分からないユリスの姿を期待し、
親友の姿が見えた時には、自分とユリスが友達であることを再確認する、という時間を過ごしてきています。
一年間、親友の気持ちを汲み取って、そっと見守ってきたわけです。
ユリスにとっては、一年ぶりの懐かしい親友の声ですが、
リュカにとっては、ずっと顔だけ覗けていた親友の声だった訳です。
ユリスとリュカの間には、一年以上という時間の距離がありましたが、ユリスとリュカは、それぞれ別の想いを胸にその時間を過ごしてきました。
ユリスにとっては、『一年という、子供にとってとても長い時間、拒絶した相手』
リュカにとっては、『これまでも、これからも、ずっと大好きな友達』
だからこそ、
「リュカ? ぼく、お見舞いに来ないでって、会いたくないって言って。ごめん。ごめんなさい。……ごめん。ひどいこと言って」
「僕たち、ずっと、友達だったろ? これからも、ずぅっと、友達でいようね!」
そう言葉にして、二人はお互いにずっと想い続けることを誓ったのです。
今、あなたはユリスに対してどんな気持ちですか?
ユリスの『"誰か"に対しての似たような反応や態度が、自分にもあるなぁ』と思ったりしていませんか?
仲の良い友達に対して素直に「ごめんなさい」や「ありがとう」が言えなかったり
家族に対して言わなくても良い余計な一言を言ってしまったり。
そんな経験はありませんか?
最後にお伝えするのが、
【類似性の法則】という心理効果です。
類似性の法則とは、
自分と共通点のある人に親近感を抱くというもの。
例えば、「出身地」が同じだとか「出身校」が同じだとか。
初対面の人でも、何か共通の事柄を見つけると一気に心理的な距離が縮まる心理効果のこと。
ユリスは子供らしくないくらいの完璧な性格が目立つ反面、
子供らしく、素直になれない、余計ことを言ってしまう、そんなとても人間らしい面も持ち合わせています。
つまり、私たちが絶対に経験している共通点を持っている訳です。
そんな子供が、家族や親友に、愛し、愛され、亡くなる姿を目の当たりにする(特に今は、劇場という特殊な環境で目撃する)のです。
泣かずにいられますか?
私は「到底抗えないなぁ」、と思います。
私たちが大泣きしてしまうのは「本当に仕方ないこと」なんです。
どうしてユリスのシーンがあんなに泣けるのか、私たちがあのシーンで涙を流さずにいられないのか。
納得していただけたのではないでしょうか。
そして、ただ子供が死んでしまう、泣ける話
ではないことが、解っていただけたのではないかと。
私は思っています。
私は、33回の観賞で、毎回『新しい』発見があります。
まだまだ、気付いてないことも多いと思っています。
何度観ても、何回考察しても、
新しい発見がある。
新しい感動がある。
本当に素晴らしい、素敵な作品だと思います。
毎回書いていますが、
ぜひ、もう一度、劇場で観てください。
できれば、あなたの大事な人と。
『伝えたいあの人は、いま、この時にしかいない』のと同様に、
『シアターで作品を観ることができるのは、いま、この時だけ』です。
Blu-rayやNetflixなどでももちろん観てほしいですが、
ぜひ、もう一度、劇場で観てくださいね。
また、コチラのnoteでは劇場版の裏側(モデル地)などを覗けます。
未読の方はあわせてどうぞ(o・ω・o)私だけでなく、多くの方のご協力で出来たnoteです。
⇒【考察・聖地特定・解読】劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン【読む追体験】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
また劇場でお会いしましよう(o・ω・o)ノシ
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