見出し画像

コロナ禍での“選択”

どうも!
大学生塾講師の川嶋です!😄

今日琵琶湖に泳ぎに行ってきました!
めっちゃ焼けた!🥵
また、皮むけていく日々が始まる…😨
明日も川に調査に行くので、また焼けます笑
「追い焼き」してきます!笑

今日は、「コロナ禍での“選択”」という題でお話していこうと思います。

まず、コロナ禍など関係なく人生は選択の連続だと言われています。
僕も実際にそう思います。
この世に生まれてから今までたくさんの選択をしてきました。
その選択がよかったのか悪かったのかなんて一切分からないけど、今思うとこの選択で間違いなかったと証明したことがたくさんあります。
でも、まだこの選択でよかったのか?と思うものも多々あります。

これを読んでいるあなたもその状態だと思います。
人生を振り返ってみると良かったのか?悪かったのか?どっちなんだ?と思う選択があると思います。

このような選択の連続の中に、今世の中を賑わす「新型コロナウイルス」というとてもシビアな選択せまる要因が現れます。
今、東京を中心に行われている東京オリンピックがまさに選択をシビアにしていました。

「開催するべきかどうか」

皆さんはどう思いますか?
開催するべきだったのでしょうか?
開催するべきではなかったのでしょうか?

僕は、この選択に正解はないと思います。
つまり、開催する・しないの選択に良し悪しがないということです。

開催するべきだという意見と開催しないほうがいいという意見があると思います。

開催するべきと思う人の意見を何個か見ると、

・今まで「東京オリンピック」を目標にしてきたアスリートたちの夢を壊すべきではない。

・開催しなかったら、日本がすべての損害を背負うことになるから

などです。

逆に開催しないべきと思う人の意見は、

・コロナの集団感染がおきてしまう

・医療従事者がこんなに頑張っているのに何万人の人たちが集まるようなイベントをやるべきなのか?

などです。

それぞれ他にもたくさんあると思いますが、どれもまっとうな意見だと思います。
僕は、やってもやらなくても不幸な人が出る選択が今回だと思います。
こういう場合の選択って本当に難しいです。

たとえば、

「恋人の幸せを取れば友達を不幸にしてしまう」
「友達の幸せを取れば恋人は不幸になる」

こんな選択を迫られたときどっちを取りますか?

どっちをとっても不幸になる人が出てしまう。
その場合の選択の基準が大切ですよね。

あなたのその基準は何ですか?
もしその基準があって選択をするときはその選択に自信をもって、曲げないで。
その選択を強く信じてください。

では、また!👋

いいなと思ったら応援しよう!

川嶋凌生
『BIGになる』ためには、今の僕では力不足です。皆様のサポートが僕の力になります。僕の成長の糧にします!よろしくお願いします!