戦力の逐次投入という愚を繰り返す日本政府
戦線の変化に柔軟に対応しながら・・・と言えば聞こえが良いが、戦力の逐次投入は愚将のやることであるというのは、孫子の時代から、ラインハルト・フォン・ローエングラムの時代まで(笑)変わることのない、戦術の基本である。
しかし、この愚かな行いは、2020年に勃発した対コロナウイルスとの戦いにおいて、日本政府によって現在進行形で起こっている。
戦力の逐次投入①:最初にして最大の過ち~中国からの渡航制限
2020年2月1日、中国・武漢を中心に拡大する新型コロナウイルス感染症に対して、日本政府は武漢を含む湖北省滞在歴のある外国人の入国制限に踏み切った。
一方、アメリカ政府は2月2日、中国全土からの入国制限を課した。
振り返ってみれば、これに関しては日本政府の動きは案外早かった。が、何故「湖北省だけ」だったのか?
武漢封鎖前に、春節にて武漢人は中国全土に既に散らばっていた。ウイルスの感染者は中国全土に存在すると仮定するのが妥当なはずなのに、何故地域を限定したのだろうか。
これこそが、戦力の逐次投入の最たる例である。
感染症の水際対策では、ウイルスを漏らさず一網打尽にするために、想定よりも広い範囲に広がっていると想定して対策を取らなければならない。
最悪の事態を想定して広く網をかけて、それから徐々に網を狭めていくというのが基本だろう?狭い網から始めて徐々に網を広げていくという「小出し戦術」は、水際対策として誤っている。
これが、日本国内にウイルス拡大を許した最初にして最大の過ちだったのではないだろうか。
もちろん、厳しい入国制限を課したアメリカが、今や世界最大の感染国になっているという事実もあるが、だからといってベストを尽くさなくて良かったというわけにはいかない。
2月7日から中国からの入国を全面禁止した台湾は、今回のコロナウイルスの傷が最も浅い国の一つである。日本も、初動から最大戦力で行っていれば、台湾のようにダメージを最小限に抑えれたかも知れない。
日本が中国全土からの渡航制限がようやく実現したのは、3月9日のことだった。しかも、2週間の指定場所での待機という、ゆるゆるのものだった。
戦力の逐次投入②:危機の過小伝達~学校休校が2週間程度!?
2月29日、安倍総理は突如会見を開き、3月2日から「2週間程度」の学校休校要請を行った。
重い腰をようやく上げたかと思えば、「2週間程度?」。
これも、事態を過小評価し、網を狭くかけている、戦術上の誤りと思う。
海外の事例を見ていても、2週間で何とかなるわけがない。危機に際しては、国民に強いメッセージを発する必要があり、この時点でせめて「新学期までは休校」と言うべきであった。
「2週間」後に判断→「連休前ぐらいまで自粛延長」→ときて、3月の連休に国民が大勢花見に出かけるという気のゆるみにつながった。
まさに戦力の逐次投入ともいえる、自粛要請の小出し・・・完全に戦局を見誤っている。
3月に海外からの帰国者に発症が相次いだという事例があるため、「2週間」であろうと「3月末まで」であろうと、大勢に変わりはなかっただろう。
しかし、戦術の誤りを結果オーライと見過ごすわけにはいかない。そうすれば、いつか大きな悲劇を起こすことになる。
初動から最大戦力!網を広くかけて、徐々に狭めていく。これが基本だろう。
戦力の逐次投入③:すると思ったらせんのか~い!~緊急事態宣言を発動するかどうか
2020年4月7日、戦後初めての緊急事態宣言が発令された。
しかし、特措法改正以後、緊急事態宣言の発令までには「すると思ったら、せんのか~い!?せんと思ったら、するんか~い!!」という焦らしがあった(笑)
4月1日に緊急事態宣言が発令されるというフェイク・ニュースが出回ったのも懐かしい話。
菅官房長官「そのような事実はない」
安倍総理「ぎりぎり踏みとどまっていて、現時点では緊急事態宣言を出す段階ではない」
この、「現時点では緊急事態宣言を出す段階にない」という主旨の発現は、その後も数日間続く。
これも、戦術上の誤りだと思う。
網を大きくかけるという意味では、法律が整ってから比較的早期にガツンと出すべきだし、出さないとしても「現段階では、緊急事態宣言を出さない」という言い方はしない方が良い。「じゃあ、どの段階で出すの?」という話になるし、事態の推移は連続的であるため、明確な基準も基本的にはない。結局、総理の腹一つである。
「兵力をどの段階で投入するか?」
これは将の才覚そのものである。被害が比較的少ない時期に、十分な戦力を投入して事態の早期鎮静化を目指すか、そうでないならば最も効果的なタイミングを見計らって、一気呵成に兵力を叩きつけ、その後は物量で押す。そのどちらかしかない。
しかし、孫子曰く。「兵は拙速を聞くも未だ巧みの久しきを見ず」(=下手くそでも早く動いた方がいい)
基本は、比較的初期の段階に十分な戦力を投入して事態の早期鎮静化を目指すことだろう。一気呵成に兵力を叩きつけるタイミングを見計らうのは、とても難しいし、その後の戦局を優勢に保つためには、そもそも十分な戦力を整えておくことが前提にもなる。
残念ながら、安倍総理の「現時点では緊急事態宣言を出す段階にはない」という言葉からは、最も効果的なタイミングを見計らっていたようにも思えない。
戦力の逐次投入④:地域によるマチマチな対応とショボい経済支援~緊急事態宣言発動後
緊急事態宣言には、残念ながら法的な強制力がないため、欧米諸国のような強力な措置が取れない。平和ボケ日本だ、それは致し方ない。
とはいえ、国民に危機感を共有させるという点では、とても意味がある。
しかしながら、4月7日に発令された緊急事態宣言、その後もグダグダである。
まず、地域が日本全国ではない。一部地域を取り締まっても、感染症というのは拡大していく。武漢から世界に広がっていくシーケンスから、一体何を学んだのだろうか?やるならば全国一斉に、だろう。初動で中国からの入国制限を湖北省に限定したのと同じ過ちだ。
網は広くかけて、必要なければ縮小していく。初動からできる限りの最大戦力を展開する。これができない。いつも、小出し、小出しだ。
そして経済対策もしょぼすぎる。実際に兵力を動かすわけではない感染症との戦いにおいて、兵力に最も相当するものが「金」である。
経済を死なせないために、まずは国民がびっくりするほとの金を配布するべきである。イギリスやドイツでは、月30万円程度が支給されるそうだ。これは国民の士気を上げることに極めて有効だし、打算的に考えても人心掌握のために有効である。
当ブログでも、
対コロナ長期戦と言うなら、1年間のベーシックインカムを準備して「国民の皆さん、この困難に共に立ち向かいましょう」と言うべき
と書いたが、経済活動が止まっている分、動かせる部分の金は政府が動かすしかない。
そしてこれもまた、孫子曰く「兵は拙速を聞くも未だ巧みの久しきを見ず」だ。風林火山の風、「速きこと風のごとく」でも良い。制度が稚拙でも、とにかくスピードが大事。そして、初動で十分に戦力を投じるというのは、繰り返し述べている基本でもある。この場合であれば、ある程度の金額も必要だということだ。
なのに、日本政府の行動は遅いし、財務省は金をケチろうとする。108兆円規模の経済支援といっても、ほとんどは融資=借金で、ごまかしの金額である。
分かっている。省益とプライマリーバランスばかり考える、財務省が最も悪いのだ。しかし、そんな財務省を動かすために、政治家がいるのではないか。それが本当の政治主導だろう?
国民への国からの中途半端な財政支援。それはまるで、戦力の逐次投入で玉砕を強いられたガダルカナル島の戦いの再現のようだ。
それでも、今も昔も、日本人は名もなき現場が頑張るのだ。
真に優秀な指導者がいれば、日本はどれほど強いのだろうか。
まとめ
日本は独裁国家ではないから、意思決定にある程度の時間がかかることはやむを得ない。いろいろな利害関係の人々の話も聞かなければならないだろう。
しかし、平時と有事を同じテーブルの上で議論するべきではない。有事には、できる限り迅速な意思決定が必要である。そのための、緊急事態宣言ではなかったのか?
だが、こんなに戦略も戦術もない日本政府・官僚に、迅速な意思決定を実行する権力を与えて大丈夫なのだろうか?
コロナ後も日本は続いていく。日本国民の生命と財産を守るという確固たる国家観、適切な情報収集に基づく戦略の構築能力、そして政策を実行していく上での戦術眼を、日本のエリートと呼ばれる人々は磨いてほしい。
・孫子曰く、「兵は拙速を聞くも未だ巧みの久しきを見ず」(=下手くそでも早く動いた方がいい)
・初動から可能な限りの最大戦力を投入して、早期の段階での事態収束を目指す。
・防疫では、大きく網を広げて、必要なければ徐々に網を狭くしていく。大山鳴動して鼠一匹だった場合は、それで良かったね、と。
・兵力の逐次投入、小出し小出しは、戦いを長引かせる要因になるし、各個撃破される危険性も高まる。
・後から兵力をぶつけるときは、まず正しい戦略を構築する必要がある。そして、その戦略目標に沿って戦術を立てる。最も効果的な局面で、一気呵成に兵を投入し、その後の攻勢を維持するのに十分な戦力を整えておく。
(記事中の画像は写真ACから引用しています)