実家より実家な居場所
父への考察シリーズは今回はお休みしまして、
今日は不登校時代の私を支えてくれた居場所のお話。
大分県教育委員会が主催の
不登校及び不登校傾向にある子供のためのキャンプ(現在は不登校児のみらしいです)
『ふれあいキャンプ』というのがありまして。
このふれキャンは小学生から高校生までの
不登校や不登校傾向にある子が参加、
職員さんが企画運営、
大分大学の心理コースの学生さんが
メンタルフレンドそして関わってくれており
一応プログラムはあるものの、
見てるだけでもいいし部屋にいてもいいし
学校みたいに全員みんな同じを求められない場でした。
小1で不登校になった私は
あるきっかけから両親にも心を閉ざし
(この件は過去記事にて書いてます)
家も学校も安心安全の場ではありませんでした。
小2で転校してからも学校が苦痛で、
そんな折にふれキャンに出会ったのでした。
初めて参加したのは21年前、小3の秋。
超小規模校で遊ぶ相手も居なかった私には
大学生のお姉さんたちが一緒に全力で遊んでくれるのが楽しくてしょうがなかったです。
別に学校の話も聞かれない、
家庭でのこともきかれない、
ただそこに行けば受け入れてくれる人達がいる。
普段「良い子」「真面目な子」を演じていた私が
唯一ありのままで過ごせる場所になりました。
今回はそんなふれあいキャンプをテーマに
卒論を書くという学生さんのインタビューのために、久しぶりに訪問しまして。
このふれあいキャンプが自分にどんな影響を与えたのか、どんな場だったのかなどなどお話させて頂きました。
インタビューの後、
当時から私を知る大学の先生ともお話をして
初めて会った頃、活動に参加せず見てるだけの私が不思議だったそうで😂
その時職員さんが行ったそうです
「真央ちゃんは自由を楽しみに来てるんです」と。
あぁ、まさにそうだったな。と。
良い子でも真面目でもない、
周りに気を遣って動くこともしなくていい、
好き放題わがままに過ごしていたなぁと。
でもそんなふれキャンという居場所がなかったら、私は到底学校生活に絶えられなかったと思います。
中高は学校もちゃんと行っていたし
楽しくなかったわけじゃない。
でも、やっぱり無理してる自分というか
素の自分で過ごすことは出来なかった。
良い子でいなきゃというプレッシャーは
ずっとずっと大きく自分の中にあって
それに押し潰されそうな日々から
月に1度解放されるのが、
1泊2日のふれキャンの時。
毎月そのために頑張っていたと言っても過言では無いです。
ふれキャンがなかったら、
私は壊れて命を絶っていたと思う。
それくらい大切な場でした。
今回かなり久しぶりに大学の先生、
そして当時の職員さん、
元参加者の友達にも再会できて
大人になったねと感慨深く話をしました。
21年前初めて参加した時から私を知っている職員さんは、もはや私の第2の父です。
本気で私を怒ってくれる大切な存在です。
そして公私共にお世話になった職員さんも、
第2の母のような存在です。
施設は少しずつ改装されたり変化しているものの、実家より実家のような安心感があります。
「ただいま」と言いたくなる場所です。
時代の流れと共に変化せざるを得ないことも沢山ありつつも、「ふれキャン」という事業を何とか継続させようと頑張ってくれている職員さんには本当に感謝しかないし、こうやって何年も経った今でも繋がっていることを嬉しく思います。
まだまだ不登校というものが当たり前でなかった時代から、不登校支援にずっと想いを注ぎ続けてくれた大人がいたというのは本当に凄いことだと思っているし、そんな人達に出会えたことを誇りに思います。
他のみんなとも再会したいので
同窓会企画計画せねばです(笑)
今の私が存在する上で
大きな影響をもたらしてくれたふれあいキャンプ。
なんと遡れただけで私は80回も参加していたそうです(誰よりも多いw)
歴代の大学生さん、職員さん達にも
本当に感謝しかありません。
ありがとうございました。
次は私が、次の世代に恩送りを。
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