私のポエトリー・リーディング

 俺は自分のポエトリー・リーディング(≒詩の朗読)を芸とは思っていない気がする。

 俺の為に書いて来てくれた手紙を、友が目の前で読み上げる。内容を暗唱していたらどうだろう。その事実は別にネガティブには働かない。ただ、暗唱ではない場合、その手に持っている白い紙に、友がペンを持つ姿が浮かんで来る。プレゼントを選んでくれている相手の姿が浮かぶように。
 これはあくまで自分のリーディングについての話だが、これ程極私的な自己対話を人様にお見せする表現も他にあまりないのかなと思う。これがもし芸なのであれば、人様にとってもっとわかりやすく有意義なものなのかも知れない。感動する、心地がいい、笑えるなどといった。
 以前ある方から、私のリーディングを指して「詩的演説」と言ってもらったことがあった。社会生活を送るうえで必要に駆られての演説。演説は芸ではないように思う。誰かの為に書いた手紙でもなければ、プレゼントでもない。俺は昔から自分のことばかりだ。自分が一体どんな人間なのか、何に苦しみ、なぜ苦しみ、なぜ今この自分なのか。これからどうなるのか。どんな人間になるのか。より良く生きていきたい。少しでもマシな人間になりたい。こんな風に、俺は自分のことばかりだ(時々は誰かの為に手紙を書きたいし、プレゼントだって贈りたい。触れていただいたものの中に、あなたにとってそんな詩が一つでもあったなら嬉しい)。
 俺がしているのは、俺に出来ることは、過去自分に向けて書いた手紙や声明文を現在で読むことなのかも知れない。それを声に出して録音した音源を公開している。過去俺が俺に向けて書いたそれらを、頭の片隅で微かにでも意識しながら、読みたいのだと思う。自らのペンを持つ姿に、励まされながら。

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