クヮン・アイ・ユウ

クヮン・アイ・ユウ

最近の記事

石ころ

私は失くしていくことを認める 許す 筋力が落ちるように 脳の機能が低下するように 歯が欠けて抜けるように 汚れてしまうように それらをついに容認したように そしてそれが返却であると知る 私は返していくと認める ありがとうと言う もう何も書けなくなって 発せられなくなっても いつか認めたように もう感謝しかないという時に 詩を返して 私は詩になる そして私も返して もう何かではなくなる 風が吹いて転がる

    • うずくまる

      あこがれに手を伸ばすことをためらう私のこと 嫌いではないけれど 後になってひもじくうずくまった夜を数えられない みなが肩を組んでのれんをくぐる頃 乾杯も盛会も別れ際の明日への約束を交わし合う頃にも ひとり静かにうずくまったままでいる 床を進む小さな虫を見つけて 目で追っている ずれた眼鏡を正しくしても 視力の届かないところへ行った君をもう今は捉えられなくなっても うごめく不明瞭な輪郭とその実体に 感謝以外の言葉と感情が見当たらない そのように実感した時のことを忘れていない

      • 微かなもの

         気温が下がって年の瀬が視界に入って来る頃、いつもは煩わしい車内の混雑にも温かさを覚えるようになる。人の、特に他人の温もりを寒くならないとわからないなんて悲しいな。そしてこうした思考も身勝手なものだなと思う。犬も猿も集団で過ごしている。毎日寂し過ぎて何かがわからなくなっているのかも知れない。はからずも人と接触した時その温もりに何かが壊れて溢れそうになる。そしてそれを制止するものが社会性。  地下鉄の駅構内を冷たい風が吹き抜ける。この風ももうすぐ刺すように変わる。いつか一緒に

        • Live/Open Mic 木馬会「en」について

           タイトルは斉藤木馬さん主催のイベント名です。2024/12/14(土)18:30開演。場所は東京都三鷹市にある会場「おんがくのじかん」。詩人、歌手のライブパフォーマンスを中心としたイベントになるようです。詳しくは以下をご覧ください。  木馬会「en」に参加される武田地球さんと、むかし「B-REVIEW TEN」というイベントを行いました。そのイベントには木馬さん、こうだたけみさんにもお越しいただきました。  こうださんには当日ライブパフォーマンスもしていただきました。こう

          歩行器

          先に逝くな 二十年もまともに働かんと 私のお金を使って 家も二軒売ったんや そのお金も使って 何が寄付や ボランティアや 私に少しもお金渡さんと 障がい者の施設でピアノの演奏? 二十年間? 海外の子どもに寄付? ふざけるな 弔問客五十人を超す いま目の前にいてはったら 説教してやりたいですか? せやけど あんたには命まであげてもええと思ってたのに 親より先に逝くな 新しい歩行器使ってみたわ 重かったし エスカレーターの下りは怖いけどな 慣れたわ

          私のポエトリー・リーディング

           俺は自分のポエトリー・リーディング(≒詩の朗読)を芸とは思っていない気がする。  俺の為に書いて来てくれた手紙を、友が目の前で読み上げる。内容を暗唱していたらどうだろう。その事実は別にネガティブには働かない。ただ、暗唱ではない場合、その手に持っている白い紙に、友がペンを持つ姿が浮かんで来る。プレゼントを選んでくれている相手の姿が浮かぶように。  これはあくまで自分のリーディングについての話だが、これ程極私的な自己対話を人様にお見せする表現も他にあまりないのかなと思う。これ

          私のポエトリー・リーディング

          小さな朗読集「come and go.」

           クヮン・アイ・ユウの自作詩リーディング音源を一つの動画にまとめました。秋の夜などにお聴きいただけると幸いです。  元々は音源を一つずつ公開しようと考えていたのですが、昨日全曲の録音をし終わり、いざ公開をという際に一つにまとめようと決めました。 「come and go.」収録音源 1.ジャバ・タウン 2.生きて死ぬ あいだの生 3.淀川リユニオン come and go.  関連して同じように音源をまとめた動画があります。よろしければこちらもお聴きいただけたら幸

          小さな朗読集「come and go.」

          淀川リユニオン

          退勤したらそのまま 冬の淀川へ 息を切らし河川敷へ下りて行って 着いたらスマートフォンはポケットへ 方向感覚もなくなる暗闇 どこへでもなく 夜の闇を駆けまわっていく 叫びながら 心地いい ここは 誰も居ないから 誰でいなくてもいいから もしかしたらもう 人間ですらなくなってしまっても いいのかも知れない 瞳を閉じても開いても あまり変わらない 水の流れる音 見上げると彼方には 橋梁をすれ違うヘッドライト こんな夜だから 喫煙がしたい いつまでも 忘れない 脳に刻まれた快楽を

          生きて死ぬ あいだの生

          休日をふいにすると ぴったりだと思われて 乾いた笑いが起こる ほんとうは悲しいのに まっすぐそのまま言えない ふふっと言ったあと 小学生の頃 一時期毎日通った あの美しいとは言えない川に 波紋が広がっていく 獲った魚もろくに触れない 釣りの真似事 幸い一匹も釣れなかった それなのに 連日通っていた時期があった あれはどうしてだろう 釣りは父に教わった 父はどうして釣りを教えたのだろう 今思えば 一人で釣りへ行くこともない人だったのに 一時間前や昨日降った雨ではない たぶん何

          生きて死ぬ あいだの生

          riding in the poem written by someone(誰かが書いた詩に乗って)について

           もしも私がタクシー運転手だったとして、たとえばお客さんから「三千円で行けるところまで行って」と言われたら、きっとここから海までは行かないだろうと思う。でもそれが詩で頼まれたなら、私は喜んで海にまで行ってしまうのだと思う。つまり「海をテーマにした詩を書いて」と言われたら報酬以上のことをしてしまうだろうし、なんなら報酬がなくても全力で取り組んだ過去だってある。それはただただ嬉しかったから。  これまでの人生で一編の詩に心動かされたことがあって、たぶんこれをご覧になっている一部の

          riding in the poem written by someone(誰かが書いた詩に乗って)について

          wiper

          休日の朝に飼い犬と散歩 シャワー 朝食排泄洗濯排泄 昼食 までは良かった 空白 空白 この文字と文字の間 自由 と言われても 何で埋める? 食べるを選ぶ 過食 過食 嗚呼またやってしまった 昼過ぎ 罪悪感 血糖値上がって 眠くなって 横になって すぐに意識遠のいて もしかしてその為にやってる? (小さいころ 顔色をうかがっていたことを思い出して 嗚呼って 力が 抜けてしまう) 起きたら また やってしまった って 言うんだろう 言えよ 言えよ それで? 何が良くな

          2024/9/3のあれこradio

          クヮン・アイ・ユウがあれこれ話しているradio風音源です。よろしければ何かをしながらお聴きください。

          2024/9/3のあれこradio

          「ジャバ・タウン」

          予想外にも 厚みのある体躯 厚みのある掌 「握手をしましょう」 癖のある歩み 見送った後にも まだ鳴っているその声 瞳を輝かせて この街が好きと言うから 街に怯えて町暮らしの 私にも芽生えるものがあった チャリンコに乗って 口笛を吹きながらすれ違うおばさんも 酒の匂いだけがするおじさんも いったい何で稼いでいるのか 全くわからないあんちゃんも おじさんもおばさんもあんちゃんも 同じ郷土民だということが どうして今日は嬉しいのだろう タイフーンに追われているからと 逃げる

          「ジャバ・タウン」

          読書

           あれほど毎日Xから情報を得ていたのに、最近はあまり受け取ろうとしなくなった。し辛くなったと言う方が正しいのかも知れない。代わりに本を読むようになった。とは言え自身が関心のある犬についての本だが。「クヮン・アイ・ユウが読書?」と言っても過言ではない大きな変化だと思う。毎日毎日、情報依存症かのように脳を喜ばせていた自分が今は少し遠く、車内で大人しく読書をするとは思わなかった。それが日常である方には伝わりづらい話かも知れないが、自分でも驚いている。本の中に逃げ込んでいる感覚もある

          鬼雨よ降って

           早朝、強烈な雨が降った。覚醒しきらない意識のなかでも、一時間以上はゆうに降り続いたであろうことが把握出来た。この時間、いつもなら涼しいうちに飼い犬のソフトと散歩へ行くのだが、この日は先に朝ご飯を食べることにした。そうこうしている内、八時ごろには雨が止んだ。外へ出ると、いつもの厳しい夏の朝とは異なり、町中で行われた大規模な打ち水の効果を体感した。ひときわ目立っている縦に積まれた塔のような雲が季節を再認識させた。  散歩を終えて帰宅すると、家族にソフトを預けてまた外へ出た。コン

          詩人が

          その人は一度、真っ逆さま 霞を食っても生きられないが 悲しみひとつが執着を生むと知った地の底にて 涙すら音楽に変わるじかんを生きて 誰にも聴こえない朝に立ち上がる (「夏草が撫でる鼻に泣いただけ」より抜粋) あの頃私は 驚かせたかった 揺らしたかった 生きて来たこと 今ここにいることを 知ってもらいたかった 「あなたは詩を必要としている人」 そう言われたこと なんだよって しばらく受け入れられなかった 「詩に選ばれた人」 そう言われたかったから けれどもう詩に選ばれなく