生きて死ぬ あいだの生
休日をふいにすると
ぴったりだと思われて
乾いた笑いが起こる
ほんとうは悲しいのに
まっすぐそのまま言えない
ふふっと言ったあと
小学生の頃
一時期毎日通った
あの美しいとは言えない川に
波紋が広がっていく
獲った魚もろくに触れない
釣りの真似事
幸い一匹も釣れなかった
それなのに
連日通っていた時期があった
あれはどうしてだろう
釣りは父に教わった
父はどうして釣りを教えたのだろう
今思えば
一人で釣りへ行くこともない人だったのに
一時間前や昨日降った雨ではない
たぶん何回かの土砂降りに遭って
乾いて濡れてを繰り返した
成人向け雑誌のページは
束になってめくれなかった
ドボンという音に
知っているはずの重さに驚かされる
魚が跳ねて着水するときは
また違った音だった
着水と入水の意味の違いを調べていたら
ニュウスイとジュスイの違いに行き当たって
どうして今
川に関することばかり書いているのだろう
ああそうか
休日をふいにして悲しいのだと思い当たった
しかしどうして
これだけ歩まなければ認められないのだろう
お年玉で買った高級ルアーが
一回目のキャストで根掛かりして帰って来なかった
そう言えば
海の必ず返してくれるところが好きだった
きっとまだ大丈夫
そう思っていたら
そうではないことが珍しくはないから
いつか
自戒の為のたいそうな名前まで付けたのに
結局忘れてしまう人の愚かさ
それならせめて
何度でも忘れる人間であることを知り続けたいと
願った名前だった
ああ私はいったい
いつになったら本当に学ぶのだろう
それでもやめられない
この歩みだけは
幸か不幸か
その基準には明け渡せない
懸命に生きて
死ぬ
それが達成できたら
十分だ
終わらない苦しみも
時折見せてくれる美しさよ愛よ
存分に味わって
死ぬ
生きている間は
生きることだ
死んだら
死ぬのだから