「青い鳥仕事」と「雪かき仕事」
内田樹『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』を読んでいます。
「青い鳥仕事」というのは、有名な青い鳥症候群をもとに内田さんがつくった言葉です。「青い鳥仕事」をまとめると、こんな感じ。
・ロマンティックでイノベーティブ
・やっている当人に大きな達成感と満足感を与える仕事
・若い人がよく言う、「クリエイティブで、やりがいのある仕事」
「自己利益の最大化」を求めた仕事の仕方、生き方というイメージです。
一方の「雪かき仕事」は、こんな感じ。
「雪かき仕事」をする人は朝早く起き出して、近所のみんなが知らないうちに、雪をすくって道ばたに寄せておくだけです。起き出した人々がその道を歩いているときには雪かきをした人はもう姿を消している。だから、誰がそれをしたか、みんなは知らないし、当然感謝される機会もない。でも、この人が雪かきをしておかなかったら、雪は凍り付いて、そこを歩く人の中には転んで足首をくじいた人がいたかもしれない。そういう仕事をきちんとやる人が社会の要所要所にいないと、世の中は回ってゆかない。 (p.152)
「雪かき仕事」が表しているのは、「自分にどんな得があるか」ではなく、「まわりの人たちのどんな不利益を抑止するか」を基準になされる仕事です。日常的で、パッとしない。でも、誰かがやらないといけない。
社会を維持するためには、必要な仕事です。
「青い鳥仕事」と「雪かき仕事」は、どちらかが優れていて、どちらかが劣っている、というようなものではありません。
自分の成功を求める生き方も、周りの人にささやかな贈り物をすることを大切にする生き方も、どちらも社会にとっては必要です。
内田さんの問題意識は、以下の文章に表れています。
「青い鳥」を探しに行く人たちには、どうもこの「雪かき仕事」に対する敬意がいささか欠けているのではないかという気がします。
(中略)
ただ仕事について、「自己利益の最大化」を求める生き方がよいのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では必要不可欠の重要性を持っているということはあまりアナウンスされない。
本やSNS、ニュースサイトなどでは、「青い鳥」な、キラキラした仕事の人たちばかりが取り上げられます。あたかもそれが正解、優位なものであるかのように。
若者の多くはそれを見て、自分の「雪かき仕事」に誇りや生きがいを見出せなくなり、「ここではない場所」を求めてふらふらとさまよってしまうのかもしれません。
大学を卒業し、入社してすぐの頃の仕事というのは、いわゆる「雪かき仕事」が多いと思います。何の実績もないペーペーに任される仕事は小さく、いわゆる「やりがいのある」仕事ではないかもしれません。
特に、「青い鳥」を求めて就活をし、入社した学生は、期待と現実のギャップに苦しむかもしれません。
それでも、その1つ1つの小さな仕事が、お客様からのクレームを1つ減らすかもしれない。一緒に働く人たちのストレスを緩和できるかもしれない。
「雪かき仕事」は、他者への視点、全体への視点を育ててくれるでしょう。
誰かに気づかれたり、感謝されたりすることはなくとも、そのような「雪かき仕事」に腐らず、コツコツと積み上げることのできる新入社員でありたいと思います。