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夢がなくても、生きる意味がなくても、生きてていいんだよ
世の中、夢がないといけないような雰囲気がある。
小学校では学年が上がるごとに「将来の夢」を書かされた。
中学では家庭科の時間に「ライフプランを書きましょう」と人生の年表を渡され、スラスラと書くクラスメイトを羨ましく思った。
高校では「将来を見据えた進路」ばかり問われてきた。
「何になりたいの?」と大人に聞かれ、「考え中です」と濁すと、ちょっとつまらなさそうに「そっか、やりたいこと見つかるといいね」と言われる「将来の夢ハラスメント」には正直うんざりしていた。
今ここにいる私を見ないで、将来の話ばかりするんだから、「何者か」になって認められたい人が量産されていく。
夢がないと、何も考えてないレッテルを貼られてるような気がしてならない。
私は「生きるのに、夢なんかなくてもいいんだよ」って言って欲しかった。
何かと意味や目的が求められる中で、生きるのはしんどい。
生きがいとか、生きる楽しみとか言うけど、ないとダメなのか。
なくてもいいんじゃないか。
仕事では、目標やミッションは必要だと思う。
けれど、生活の中に常に「夢」や「目標」を持たなくては行けないとなると、私のような怠け者は急に生きづらくなる。
看護師の仕事のなかで、自宅で日常を送る人に目標を持たせにいくシーンに出くわすと、モヤっとする。
なんだか、暮らしの中に(こちらの都合で)仕事を持ち込んでるような気がしてならない。
もちろん、夢や目標があり、意欲を持って生きられる人はそれでいい。
そのほうが健康的なのかもしれない。
ただ、ボロボロで生きる意味もわからなくなって、起き上がれない日もある。
それはそれで寝てればいいし、それだけで生きるという大業を成し遂げてる。
ご飯を食べるだけでえらい。生きようとして栄養や水分を取り込んでいる。
起き上がって、トイレに行くだけでもえらい。
老廃物を出す生命活動をしているし、ちゃんとトイレという場所に行くだけの気力がある。
真の衰弱は、食事も取らず、トイレも行かず、本当に「何もせず」、そのまま死ぬまで待つことだ
みたいなことを、ある哲学者が言っていた。
生きる目標とか夢とかはなくても、「お腹すいた」「トイレ行きたい」とかの、ぼんやりと湧いてくる生命本能で生きていることだけでも、私はとてもすごいことだと思っている。
だから、寝たきりになったら生きる意味がないとか、そんなことはどうだっていい。
生きてそこにあることが、そもそもすごい。
目的や意味を問うてくれる人はいくらでもいる。
でも、意味がなくてもいいと言ってくれる人はあんまりいない。
だから、意味や目的はなくてもいいと自分で自分に言い聞かせるし、人にもそう言える人間でありたい。
特に意味なんかは、後からついてくるものだったりするから。
夢がなくても、生きる意味がなくても、生きてていいんだよ。
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