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26歳の夏、まるっと2ヶ月休んだ話

SHElikes 6期ライターコミュニティ
お題note企画(8月)
テーマ:私の大人の夏休み

ちょうど1年前の話になります。
タイトルそのまんまなのですが、去年の8〜9月にかけて、まるまる仕事をしていない時期がありました。

離職、もしくは休職をしていた期間ーー「キャリアブレイク」という肯定的な捉え方があることを最近知りました。
(このキャリアブレイクに関するSHElikesイベントアーカイブ、必ず期限までに見るぞ…!)

26歳。去年私が過ごした、大人の夏休み。

…とは言っても特別大層なことをしていたわけではないのですが(世間的に見たらただのニートだったので)、私にとっては忘れられない夏となりました。

約2ヶ月間、私は何をしていたのか。
そのことについて、今回は書いてみようと思います。


端的に言うと「書きまくった夏」だった


前置きとして、まず何で仕事を辞めたのかというところから、ちょっぴり触れていきます。

大人の夏休みに突入する前、私は某物流倉庫で働いていました。期間にして約9ヶ月間ほど。(おそらく多くの人が日頃お世話になっているであろう、Aから始まるアレです)

雇用形態は派遣のアルバイト。社員ではありません。

倉庫の前は正社員事務としてずっと働いてきたのですが(その間何度か職場は変わってます)、精神的にどうしようもなく落ち込んでしまったことがあり、気付いたら会社に行けなくなり、心療内科で診断書を渡され、そのまま退職しました。

「なんかもう人と関わるの疲れちゃったな」

これはおととしの夏の話。すみません時系列がわかりづらくて…。


おととしの夏、家のポストに入っていた、某物流倉庫新規オープンのチラシ。

「オープニングスタッフ大量募集…生活もあるし、とりあえず働かないよりマシか…黙々とやる作業っぽいし、今の私にはちょうどいいや」

そんなノリから、倉庫であくせく働く日々が始まりました。

「倉庫で働いている奴らは社会のはみ出し者」みたいなレッテルを貼られたことも正直ありましたが、「はみ出し者上等だコラ」なんて気持ちで働いていました。(どういう気持ち?)

ただ「人と関わるの嫌になった」で始まった倉庫スタッフライフでしたが、最終的には「人と関わりが無さすぎて心が死にそう」で辞めるに至りました。これが去年、26歳の夏の話。

やらなきゃよかった、とは思いませんが(楽しかったことや良い出会いもあったので)、長く働く場所ではないなあと思いました。

次の働き口等、先々のことを何も考えないで辞めることに抵抗があったのですが、それに待ったをかけたのが、当時同棲していた彼(現・夫)でした。

しばらく、のんびりしてみたら?
好きなことやったらいいよ。

悩みに悩んだのですが、結果的に彼のこの一言に、私は少しばかり甘えてみることにしました。


短編小説創作マシーンになった


私は子どもの頃から文章で何かを表現することが好きで、中でも「物語を創って書く」がたまらなく好きでした。

書いたものを人に見せることには基本的に抵抗があったのですが、それでも気持ちは表裏一体で、「見られたくないけど、でも誰かに読んでほしくもある」という矛盾した気持ちを抱き続けてきました。

そして18歳の時からポツポツと始めた、ネット上での創作物の投稿。
反応もポツポツともらえて、それがやっぱり嬉しくて、以降も自分のペースでのんびり続けていました。

ただ社会人になってからは物語を書くことから徐々に遠のいてしまい、それが少しさみしくもありました。

私、文章を書くのが好きでさ。
子どもの頃は、ずっと小説家になりたかったんだ。

どういう話の流れでこれを言うことになったのかは忘れてしまいましたが、まだ彼と付き合う前、昔からずっと燻り続けている胸の内を話したことがありました。

いいじゃん。
今は書かないの?
やってみればいいのに。

彼はさらっとそう言いました。
そしてその後も何かにつけ、「いいじゃん。めっちゃいいと思う」と何度も繰り返す彼。

実は彼の方はというと、「絵」で表現することが好きで、ずっと漫画家を目指してきて、創作系のイベントに何度か出展したこともあったのだそう。

文章と絵。畑は違うのかもしれませんが、「創って表現する」という大枠ではきっと同じ世界にいる。

彼の心の内のすべてはわかりませんが、何か揺さぶられるものがあったのでしょう。
それ以降、「文章を書く私」をえらい推すようになりました。(私が書いたお話を実際に読んだことは一度もないのに。不思議な話だ。笑)


話があっちこっち行っていますが、本題の「大人の夏休み」に戻しまして……

「仕事のことはいいからさ。なんか好きなことやったら?」と勧める彼に、私はぽろっと言いました。

じゃあ…久しぶりに書いてみようかなあ。しばらくの間、がっつり。

「働いていない」という負い目があったからなのか何なのか、そこから自然とエンジンがかかり、私はひたすら物語(短編小説)を書きまくりました。

こじんまりとした賞ではありましたが、いくつかのコンテストにもトライ。

何かに取り憑かれたかのように、書いて、書いて、書きまくりました。

とはいえいくら書こうが、ニートがニートであることには変わりありません。

でも。それでも。
0から1を創り上げていくワクワク感とか、頭からドーパミンがドバドバ出る感じとか、行き詰まって苦しくなって、でもふっと出口が見えて脳が急に軽くなる感じとか…

感覚の1つ1つが刺激的で、「やっぱ書くのってたまんないな!」と1人でむふむふしてました。(想像するとちょっと、いやだいぶ気持ち悪い)

好き勝手やらせてくれた彼には、本当に頭が上がりません。
(何なら今も私は好き勝手やってるので、頭はずっと下げっぱなしなのかもしれない)


毎日手書きで日記を書いて、コメントをもらい続けた


「大人の夏休み」を勧める代わりに、彼は私にある1つの条件を課しました。

「毎日、日記を書くこと。」

唐突だったので「ん?何で?」と内心首を傾げましたが、ある意味「書き続ける」トレーニングにはなるかもしれないし、気楽に文章を書く時間があってもいいかも。そう思って素直に承諾しました。

「書いたら読ませて。それでコメントしてあげるから」

「ほほ1日中家にいる私がその日何をしていたのか、確認したいのかな」くらいに思っていました。

これに関しては特に嫌だとは思いませんでした。
隠すようなことは何もないし、ひとつ屋根の下で一緒に暮らす時間が長くなってくると、何も言わずとも考えを見通されていることはしばしば。
(彼曰く「だってまりちゃん顔に全部書いてあるから。垂れ流しだから」だそうです)

ただ、私のニートライフの確認というか監視というか、これに関しては笑って一蹴されました。

「そういうことじゃなくてさ。まりちゃんが後で読み返した時に、『これだけ頑張ってきたんだな』って確かめられるといいなと思って」

過去には「書く」ことを強く否定された経験もしてきたので、なんだか彼のこの言葉は、私にとってとてつもなく嬉しいものでした。

「書く」を肯定してもらえるんだ。
「頑張り」として認めてもらえるんだ。

昔の自分ごと、救われたような気持ちになりました。


ただ、「いついつ締め切りのコレコレに応募した」とか「今日はなんだかすごく筆が進んだ」みたいな内容も確かに日記には書きましたが、でもそれはほんの一部で、大半はまったく関係のない内容でした。

特売で買ったキャベツに小さないも虫がついていた、とか。
口内炎が全然治らなくて困る、とか。
今日のお昼ごはんはマックだったけどバーガーは食べなかった、チキンナゲットとパンケーキを食べた、とか。

基本しょうもない内容ばかりでしたが、それでも彼は毎日コメントを書いてくれました。

(共有できるアプリでもいいよと彼には言われたのですが、私は手書きで日記を書くことを選びました。)

「今日は何があったかな」と1日を振り返りながらペンを走らせる時間もなかなか良かったですが、それ以上に「彼からも直筆でコメントをもらえる」これが思っていた以上に楽しいもので。

一言二言ではありましたが、緑色のペンでいつもコメントをくれました。
否定的な内容は一切含んでおらず、大体がちょっと笑ってしまうような、面白おかしいゆるいコメント。

私の大人の夏休みは、赤ペン先生ならぬ、緑ペン先生とともにありました。


日記を書くのは夏休み限定でもいいし、このまま続けてもいいし、好きなようにしていいよ、と選択は委ねられました。

少し悩みましたが、夏休み最終日を終えるとともに、手書き日記もひと区切りつけることに。

緑ペン先生との毎日はとってもワクワクするものでしたが、自分の中で何かけじめをつけたかったというのがひとつの理由です。

いつまでも夏休み気分じゃいられない!

大人の夏休みがスタートして約1ヶ月ほど経った頃、8月終盤あたりから、就職活動はちょこちょこ始めていました。

面接の手応えダメダメだった〜〜と諦めきっていた会社から何故だか内定をいただけたのが9月の頭。そして10月から新しい環境で再び働き始める日々がスタートしました。


職が変わる度に思うことではありますが、未知の場所でのゼロスタートは不安がつきものです。
でも、2ヶ月間の「大人の夏休み」を自分のペースで、焦らず楽しく過ごすことができたからか、自然と「頑張ろう」と気持ちのスイッチをポジティブな方へ切り替えることがこの時はできました。

その会社からは現在すでに離れてしまっているのですが、それでも私にとっては将来のヒントをたくさんもらえた、人生のターニングポイントと言ってもいい場所です。

そんな場所に辿り着くことができたのも、「大人の夏休み」のおかげなのかな。なんていう風に解釈してしまうのは都合が良すぎるでしょうか。


後日談


夏休み期間中にちょこちょこコンテストに応募していた短編小説はほとんど入賞圏内には引っ掛からなかったのですが、唯一ひとつだけ、佳作に入ったものがありました。

自分の書いた創作物が目に見える形で評価されたのは初めての経験だったので、ささやかな賞だとしても、とてつもなく嬉しかったです。

彼に報告したら手放しで喜んでくれて、未だに方々に言いふらしたりしてます。(若干盛って話をしているようなので、それはやめてくれ〜〜!という気持ち。でもありがとうね)


それから。
大人の夏休みが終了するとともに、一区切りつけた手書き日記。

実はこれを2週間ほど前から彼(夫)には内緒で再開しています。

主人公が毎日手書きで日記をつける映画を観たからという理由も少なからずあるでしょう。影響のされやすさは我ながら単純だなあと思います。(でもとっても素敵な映画でした)

緑ペン先生のコメントをまたもらいたい気持ちもありますが、こっそり書く感じもこれはこれで楽しかったりもするので、もうちょっと続けてみようと思います。

でもいつの日か、「実はね!」と夫に手書き日記を見せるつもりではいます。
大抵のことでは驚かないタイプなので「ああ、そうだったの」なんてさらっと返されそうですが。


1年前の自分の気持ちをひとつひとつ掬っていく気持ちで書いていたら、すっかり長くなってしまいました。

今年の夏も、私はほぼ家で毎日過ごしています。

でも去年と違うのは、「書く」をお仕事にしていること。
まだまだ細々と、ではありますが。

去年の夏と今年の夏。
1年という長い時間がその間には流れているけれど、確かに地続きになっているんだな。

そんなことを最近よく考える私でした。

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