寡黙なファンタジスタ
季節は夏から秋へと移り変わり、最近は寒さも一際、厳しくなってきた。
そんな秋という季節は、芸術、読書、食欲など、色々な枕詞がついて使われる言葉であるけれど、別れの季節でもあると思っている。
自分が大好きなサッカー・Jリーグ界でも、多くの別れがあった。
日本を代表する10番である中村俊輔を筆頭に、駒野友一、大谷秀和、田中隼磨、鄭大世(敬称略)など、日本のサッカー史に名を刻む活躍をした名選手たちが、今シーズン限りでスパイクを脱いだ。
そんな名選手たちが引退する中でも、ガンバ大阪を応援している自分にとって、一人の選手の引退の報が一段と胸に響いた。
その選手の名前は、二川孝広。
ガンバ大阪で長きにわたり10番を背負った
万博のファンタジスタ。
空間を自在に操っているかのようなスルーパス、身長168センチの小柄な体から放たれたとは思えないミドルシュート、足元に吸い付くような変態的なトラップ。
そして、そんなピッチ内での雄弁なプレーとは対照的に、ピッチの外に出ると途端に無口になる彼のことを、サポーターは敬意を込めて「寡黙なファンタジスタ」と呼んだ。
自分が二川選手のプレーで印象に残っているのは
2008年のACL決勝・アデレード戦の2ndレグ。
細かいフェイクを入れての鋭いミドルシュートから、FWの足元にピタリと合わせる極上のスルーパスまで、まさにこれぞ「二川孝広」といったプレーの数々に、子どもながら圧倒された思い出がある。
そして何より二川選手が愛されたのは、やっぱりそのピッチ内と外とのギャップが大きかったのだろうと思う。
ガンバ大阪で活躍した多くのブラジル人ストライカーからは「二川を連れていきたい」と求愛され、ユース時代はあまりの無口さに監督からキャプテンを命じられ、無理矢理、喋らなければいけない場を与えれるほどだった。(それでもほとんど喋らなかったらしい)
また、ガンバ大阪で出場機会が増えると、当時の監督だった西野朗さんからは10番を背負うように薦められるものも、最初は嫌がって固辞。その後、10番をつけないと契約を更新しないと脅され、なくなく10番を背負ったというエピソードさえある。
しかし、今やガンバ大阪の10番と言われて初めに思い浮かぶのは二川孝広であり、17年と言う長きにわたって、ガンバ大阪というチームで活躍し、創造性あふれるパスで観客を魅了した選手の一人となった。
何より、自分がガンバ大阪というチームを応援するようになったのは、父親が元々サポーターだったのも大きいけれど、二川選手を始めとする創造性溢れるメンバーが織りなす圧倒的な攻撃的サッカーに憧れを持ったからだった。
そんな二川選手が引退するいう報を聞いて、とても寂しい気持ちになったけれど、今でもガンバ大阪の歴史の中で「最も上手い選手は誰か」と聞かれたならば、きっと「二川孝広」だと答える。
数々の代表選手が集ったガンバ大阪の中でも、誰もが口を揃えるほど、彼のプレーは異次元の巧さだった。
なかなか日本代表で活躍することはなかったけれど、当時活躍していた日本代表の選手たちに負けずとも劣らないほどの選手だと、ガンバ大阪のサポーターみんなが知っていた。
◇
今、ガンバ大阪は大きな変革の時を迎えている。
来シーズンは選手もサッカーも大きく変わるかもしれない。
でも、あの時のような魅力的なサッカーを目指すためには、過去の栄光に縋っていてはいけないし、今、所属している選手たちやサポーターたちが、新たなチームカラーを作っていかなければならない。
現在、二川孝弘がつけていた10番は
同じくガンバユース出身の倉田秋が背負っている。
今年はなかなかピッチで躍動する姿を見れなかったけれど、来年度の巻き返しを期待したい選手のひとりでもある。
ただ、来シーズンの成績を占う前に、とにもかくにも、二川選手には観客を魅了するプレーを長年にわたって披露し続けてくれてありがとうと、一ファンとして感謝を伝えたい。
とりあえず今は、ガンバ大阪が誇る「寡黙なファンタジスタ」のプレー集を見ながら、昔の思い出に浸りたいと思う。
ちなみに、この記事を書いている間に、二川選手が所属していた「ティアモ枚方」の監督に就任することが発表された。
これからどんなチームを作り上げるのか。
どんな采配を振るうのか。
そもそもちゃんと選手に向かって喋るのか。
驚きの連続だけれど、どちらにせよ、二川選手の新たな挑戦を楽しみにしています。二川オレ!
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