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心が空っぽになる瞬間

ずっと続いていた漫画を読み終わったあと、なんだか置いてきぼりにされたような、空虚な気持ちになったことがあるだろうか。

自分は心当たりがある。
当たりたくともないのに、命中しているときがある。

例えば、自粛期間中に「セトウツミ」という漫画を
読んでいた時もそうだった。

主人公の2人がしょうもないコミカルな掛け合いを繰り返しているゆるっとした時間がとても好きで、まとめてTSUTAYAで借りてすぐに一気読みしてしまうはめになった。

ああいう日常系の物語の、永遠に続くんじゃないかと思わせる感覚は何なんだろうか。

現実の延長線上にあるような、自分もその場に存在しているかのような感覚。

しかし、そんな日常系の物語にも終わりは訪れるもの。

それまで一緒になって喜怒哀楽を共にしていたはずなのに、最終回を区切りに唐突に世界から締め出されてしまう。

物語の中は今までと同じように時間が流れているのに、もうその続きを見ることが出来ないんだと分かった瞬間、とてもやるせない気持ちに襲われる。

自分としては、別にお金払ってもいいから、永遠にその世界を覗かせて欲しいとまで思う。
1分100円とかでいいから。
視点が遠くても文句言わないからさ。


そんな経験をすることは
漫画やアニメを見終わったあとだけではない。

他にも、長期休みで実家に帰った後、東京に戻ってくる新幹線の中でもこの瞬間が訪れることがある。

先に言っておくと、実家に戻るまでの東京での生活中は特に気持ちに変化はないし、普段もホームシックになることは全然ない。

それでも実家で家族とご飯を食べたり、友達と遊んだりして幸せな時間を過ごしてしまうと、帰りの新幹線に乗る瞬間にはもう心は向こうに完全に置いてきぼりになっている。ホームでこっちに手を振っている。

「君も来るんだよ」と言うと、駄々をこねて泣きわめくその心を必死に担ぎ出して、電車に乗り込む心境はいかほどだろうか。もはや心を鬼にして我が子を谷底に突き落とす獅子のようなメンタルが必要になってくる。


こんな風に帰省した後の帰りの新幹線の中や、日常系のマンガやアニメを見終わったとき、友達が急にいなくなったときに訪れる空虚な瞬間。

それはまさに瓶の中のがらんどうのような、感情が抜け落ちてぽっかりと穴が空いたような気持ち。

そんな心が空っぽのなる瞬間が
嫌いで仕方がなかった。

むしろ嫌いすぎて、心が空っぽになる瞬間を味わいたくないことを理由に実家に帰りたくなかったり、漫画やアニメを見るのが億劫になってしまうこともしばしば。

そこに幸せな時間があったとしても、後にその瞬間が待ち構えているぐらいなら、幸せな時間ごと放棄してしまおうという、過激派の意見が心のどっかしらには存在するのだ。

実際、本や小説では長めのシリーズ物よりも、一冊で完結するような物語をよく読むようになった時期があった。

もちろん、長いシリーズを読むための覚悟が足りていないことは重々承知済みではあるけど、長ければ長いほど物語の世界や登場人物たちに愛着が湧いてしまう。

ただそうなると、最終回が訪れて欲しくないというネガティブな気持ちが現れてしまうんじゃないかと危惧しているのだ。

まぁ、読んだらめちゃくちゃ面白いんだけどね。
ファンタジー系とか。

ちなみに、子どもの頃に「ハリーポッター」を読み終わったあとの魔法が解けたかのような感覚は今でも鮮明に覚えている。自分の童心はいつまでもホグワーツ城に取り残されている。


個人的には、この心が空っぽになる瞬間は、ひとえに「この場所を離れたくない」という感情が引き起こしているんだろうなと思っている。

人は心地よくて安心できる場所を離れたくない。
それなりの時間を過ごして慣れ親しんだ場所を手放すことが耐えがたくて、いつまでもその未練に捉われてしまう。

そして、その安心できる場所にいる時間が長ければ長いほど、離れるときの心理的な苦痛が強くなる。

言うならば、人をダメにするソファと同じ原理が作用しているのだ。
あ、この例えめちゃくちゃ分かりやすいかもしれない。

じゃあ、さっき言ったように慣れ親しむ場所を離れるぐらいなら、最初から慣れ親しむ場所を作らなければ良いんじゃないかと思うだろう。

でも、結局それは根本的な解決にはならない。

なぜなら、迂回しても避け続けても、道の途中にある道路工事の標識みたいに突如として行く手を阻んでくるから。

ところで、運転している時、目の前に道路工事のカラーコーンが見えた瞬間のげんなり感ってすごいよね。
しかも大体手前で気づくし。


結局、そうやって阻んでくるということは、この心が空っぽになる瞬間とは最後まで末永く付き合っていかなければならないということだ。嫌いで仕方なくても、同じ釜の飯を食べて過ごさなければならないのだ。

それならばいっそ、つっけんどんな態度をとるよりは、肩を組んで写真を撮れるぐらいの距離感を目指していきたいと思っている。

どうせ一緒にいるのだから、いがみ合っても仕方ない。
だから、乗り越えるというよりは、受け入れるという気持ちでいるつもり。


きっといつまで経っても、あの心が空っぽになる瞬間の鉛を飲み込んだようなざらざらとした感覚に慣れることはないだろう。

落ち着かなくて、居心地が悪くて
ずっと心の底が波打っている。

でも、いつかはその波が落ち着くようになると今なら分かる。

まぁ多分好きにはなれないだろうけど、たい焼きぐらいはおごってやろうという心意気で、のらりくらりと一緒に過ごしていこう。

じゃないともったいないよね。

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