誇大妄想する父
先日24歳になった。恥ずかしながら、いまだに「自分が変」と言う感覚がある。言い訳しておくと、自分が変だと言う感覚は中高生の時に失っているべき、という感覚もしっかりあるのだ。恥ずかしいけど、感じているからしょうがない。
自分が変なことで得をしてきた感じはしないから、自分が変だと思うくらいのことは許して欲しい。
いまだに「自分が変」という感覚が僕の中にあるのはなぜかを考えた時に、一つの答えに辿り着いた。父親である。
父親は親バカだった。過保護、とかそう言うことではない。干渉してくるわけでもない。むしろ遠くから静かに傍観しているタイプだった。傍観しながら、ただ静かに、冷静に、息子のことを凄いやつだと思っていた。
僕は小学生の時に父が親バカだと気づいた。僕が「辞書」について考えている時のことだった。
言葉を言葉で説明するというシステムが分からなくなっていた。言葉を別の言葉で説明する。その説明するための言葉を説明する言葉がある。そしてまた、その言葉を説明するための言葉がある。そうして遡っていった先には何があるのか、言葉はどんな言葉から始まっているのか。どこかに説明を必要としない言葉があるのか。その言葉の定義はどうなっているのか。そんなことを考えていたら気持ち悪くなった。とりあえず子供用の国語辞典で言葉を説明する言葉を調べる、と言うことを繰り返してみた。どんな言葉を調べたのかは覚えていないが、何度か説明するための言葉を調べていくと最初に調べた言葉に戻った。どういうことか。これは説明と言えるのか。ぐるぐる回っているだけじゃないか。
言葉の大元みたいなものはもちろんなかった。言葉はお互いを説明しあっているだけだ。じゃあ、言葉はどこから来ているのか。言葉に意味を与えるものはなんなのか。
僕はこの「発見」を父に教えた。父は「なるほどなぁ」と気のなさそうな返事をした。
その日の晩、父親がその出来事を母親に話しているのを聞いた。僕は布団の中で眠っているふりをして聞き耳を立てていた。気のなさそうな返事をした父が母にそのことを話しているのが意外だった。
「あいつが辞書で言葉を調べてたら、説明の言葉が堂々めぐりしてることに気づいたらしい。確か夏目漱石が同じことを言ってたはずや、あいつは凄いやつかも知らん。」
夏目漱石?
これが親バカというものだと初めて分かった。子供心にも恥ずかしくなった。しかも、父親がそれなりにしっかりした大学の文学部を出ているのが余計に恥ずかしい。適当に言っている訳じゃなく、ちゃんと勉強した上で真面目に息子が夏目漱石だと思っている。
この人の元で育った僕が、自分は変だと思っても無理はない。
父は僕についてお気に入りのエピソードがある。そのことは僕にも話したことがある。
僕はなぜか古い野球漫画が好きで、「ドカベン」や「キャプテン」、「タッチ」なんかを読んでいた。その流れで「巨人の星」を読んだ。その感想が父のお気に入りだった。
僕が「巨人の星」で印象的だったのは、「魔球」の寿命の短さだった。ご存知の通り、主人公の星飛雄馬は血の滲むような努力をして幾つかの魔球を開発する。ただ、それでめでたしめでたし、では終わらずに、その魔球が打たれるシーンまで描かれている。その間に飛雄馬があげる勝ち星がたった9勝とかなのだ。魔球を開発してから半年くらいで打たれてしまう。そのことが衝撃だった。あれだけやって9勝?
そんな感想を言うと、父は珍しく目に見えて感心していた。「そんな見方があったんか」と驚いていた。この前、この感想を聞かせたうえで、僕の弟にも巨人の星を読むように勧めていた。僕が読んだのは多分10年以上前だ。そんなに擦るほどの感想ではないだろう。
父方の祖父は僕が小6の時に亡くなった。姉が父に「おじいちゃんは認知症になったん?」と聞いたことがある。父は「元から認知症みたいなもんやったからなあ」と言った。姉が「どう言うこと?」とさらに聞くと、父は「自分の家系は天皇の子孫や、とか言い出すねん」と言った。誇大妄想癖というらしい。
自分の家系が天皇の子孫だと言う祖父。息子が夏目漱石だと思っている父。いまだに自分が変だと思っている僕。血筋では済ませない繋がりを感じる。恥ずかしい家系なのだろう。