ものを失くすことの辛さ

髭剃りの充電をしておこうと思ったら、充電器が見当たらなかった。

 ものを失くすことの辛さは、ものを探す時間にある。ものを探す時間、ものを失くしつつある時間が一番苦しい。失くしてしまった後は、実はそれほど苦しく無い。すでに諦めがついて開き直っているくらいだ。自分はこの程度の人間、と自己評価を一段階下げて、失くしたものは新しいものに買い換える。それよりも、自分は充電器を失くしてしまったのか、一時的に見当たらないだけなのか、存在を疑いながら探す時間が一番苦しい。極端に言えば、ものを失くすことが辛いのではなく、ものを失くしつつあるのが辛い、ということになる。

 「探す」には、かなりの想像力と集中力が必要になる。少なくとも、何かのついでとか片手間にできることではない。自分の記憶を辿り、まだ探していない、かつありそうな場所を考え出し続けなければならない。お題に沿った手付かずの言葉を言い続ける「山手線ゲーム」(古今東西ゲーム)を延々とやらされているような気分になる。

テーマ『充電器がありそうな場所』

パンパン。

「洗面台の下」

パンパン

「本棚の上」

パンパン

「食器とか入ってるとこ」

・・・

 しかも、一度誰かが言った言葉が実は正解だった、なんてこともあるのだ。厄介極まりない。


 そもそも、6畳1K一人暮らしの部屋でものを失くすこと自体かなり不思議なことだ。ものを動かすのは自分しかいない。それで管理できていないのだから意味が分からない。自分の行動にさえ責任が持てないのかと嫌気がさしてくる。たいした広さでも無く、3秒で部屋を一周できる。ものを隠す方が難しい。そんな、極めてものを失くしにくい状況でものを失くすと、「失くした」と言うより「消えた」感じがする。この世界から損なわれたのだ、ということにしたくなる。

 一応前回使った記憶を辿るけど、髭剃りを充電した記憶なんかあるわけがない。ただ、その後の行為は一つしかない、というのははっきりしている。自分が正常ならば、充電器は家電がまとめて入っている段ボールに入れる。それ以外の行動はあまり考えられない。そのことが僕を一層混乱させる。それ以外にどこを探せばいいのか。この山手線ゲームの『テーマ』はどう考えてもすぐに言葉が尽きる。

 たかが充電器と思って、探すのをやめて他のことをしようとする。本を読み始める。いまいち本に集中できずモヤモヤしてくる。今のうちに充電しておかなければ後々困るのは間違いない。今逃げても、いつかは探すことになる。再び探し始める。

 気づけばお昼になっていて、ご飯を食べて、また充電器を探す。強制的に充電器を探させられる拷問を受けている気分になる。なぜあんなコード一本でこんなことになったのか。子供が地獄で石を積んでは、鬼に壊される映像が頭に浮かぶ。いや、あれよりも苦しい。充電器はあるかもしれない。探すのが意味のない行為だと割り切ることもできない。

 押し入れの中を全部見ようと思うけど、冬用の衣類がぐちゃぐちゃで、どれだけみれば「全部見た」ことになるのか分からない。とりあえず冬用の衣類を整理する。冬用の衣類のところに毛布が入っている。毛布をあるべき場所に移動させる。毛布のあるべき場所には、また別のものがある。それらを整理させていると、いつの間にか大掛かりな片付けが始まっている。気をつけなければ、片付けどころか模様替えまですることになる。

 そのうちに片付けもひと段落して、探し始める前よりもはるかに綺麗になっている。片付けの最中に、買い置きしていた洗剤や、行方をくらませていた折り畳み傘が出てくる。こんなところにあったんか、良かった良かった。部屋は綺麗になり、折り畳み傘も出てきて充実した気分になる。

 問題の充電器が見つかっていない。我に返って充電器探しを再開する。

 あるはずのない場所をひっくり返し続ける。DVDの入ったカラーボックス、調味料の入った段ボール、押し入れ、冷蔵庫まで見た。そんな場所にあるわけがないと笑いそうになるけど、もはやそんな場所まで探すのが妥当な段階まで追い詰められていて笑えない。

 

 ふと、充電器がないことに気が付いてなかった頃の自分が懐かしく思える。あの頃は良かった。充電器がないことに気づいていない、という一点において今よりはるかに幸せだった。いっそ充電器がないことに一生気づかなければ良かった。永遠に忘れている方がよかった。そのためには剃るべき髭のことも忘れる必要がある。僕の中から「髭」という概念が失われ、自分の髭が伸びていることにも気づかずに一生を終える。「髭の概念を失う一生」と「髭剃りがないことに気づく一生」どちらが幸せだっただろうか。概念ごと髭を失う一生を選んだ場合、他人の髭はどう見えるのだろうか。しょうもない想像ばかり膨らむ。

 何時間も探したのちに、この時間を時給で換算すれば失くした髭剃りを新品に買い替えられたことに気づく。そう考えると一層悔しくて、絶対に見つけてやろうと思う。探す時間が伸びるにつれて髭剃りの市場価値が上がっていく。


 この充電器探しは、唐突に終わりを迎えた。あまり好ましくない終わり方だった。ひょんなことから、自分が誤って捨ててしまっていたことが明らかになった。この時間はなんだったのか。


 充電器を失くしたことの苦しみの大半はここで終わる。あとは「ウィニングラン」ならぬ「ルージングラン」の時間である。ものを探す戦いに負けて、失った後の時間。自分に失望し、余計なお金がかかることに耐える。山手線ゲームと比べてその作業があまりに単純で安堵する。

 髭剃りのメーカーに電話して、充電器を失くしたと伝えた。充電器だけを販売することは可能だが、新品を買うのとほぼ同じ値段になることが分かった。大人しく新品を買うことにした。

 部屋が綺麗になると、本棚から溢れた本が目についた。それらが行き場を失っていたことに初めて気づいた。通販で本棚を注文した。

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