文学部に価値はない? 就職活動を経て見つけた今後の夢
はじめまして。
大学の文学部で、芸術学を学ぶ4年生の女です。
noteに投稿するのは初めてなので、この記事では、今後どのように生きていこうと考えているのかを、自己紹介代わりに書きたいと思っています。
私は少し前に、就職活動を終えました。
就職活動に正解はありませんし、私の選択が正しいかなんてわかりません。それでも、当初の希望に近い職種に就くことができました。(決して楽な就職活動だったわけではありません。血反吐が出るかと思いました。それについても、気が向き次第追々綴れたらと思います。)
就職活動の面接では、「卒論のテーマ(研究課題)」と、「弊社の業務でそれをどのように活かせるのか」をほぼどの企業でも聞かれます。
私は芸術学を学んでいますが、芸術とは関係のない企業ばかり受けていました。専門である20世紀のフランス美術を直接活かせる企業なんて、まあないでしょう。
文学部というだけで、ビジネスの世界では忌み嫌われています。とはいえ学芸員になるわけでもなく、院進してアカデミックな世界で身を立てる覚悟もなく、一般企業で生きていくことを決めていました。
私は、就職活動においても、自分が芸術を学んできたことに妙な自信を持っていました。面接ラッシュが始まるまでは。
自分は惰性で大学に進んだ人とは違う、就職のために大学に進んだ人とは違う。
本当に好きな芸術を学びたくて大学進学した。
実際、普通の大学生より積極的に学んだ(つもり)。
それに、芸術学はただぼーっと絵を見たりしているわけじゃない。
人間の本質的な部分を考えるのが人文学なのだから。
芸術学を通して学んだことは社会に出ても活かせるし、それを私は堂々と面接で話すんだと。
20世紀のフランス美術についてマニアックなことを語っても面接官に伝わるわけがないので、「私は芸術作品をじっくり観察する目を養い、その魅力や要素を文字に起こして、論文を書いてきました。また、芸術を受容する人々にも焦点を当てて研究しています。御社の商品の魅力を的確に、求めている人に伝えていくことに役立てていきます」などと面接では言っていた気がします。今文字に起こすとまあ薄っぺらい。
それで腑に落ちてくれた人事はほとんどいませんでした。薄っぺらすぎて当たり前っちゃ当たり前ですが。ただ私が本当に悔しかったのは、理解してくれない人事より、理解させることができない自分でした。
「人文学への風当たりの強さ」を初めて身をもって痛感しました。
この場合、人文学が悪いというより私の伝える能力がないことが圧倒的に悪いのでしょうが、やはり「金にならないものはビジネスにいらない」という考えが根底に見え隠れしていました。
大学の、私が在籍している学科は、芸術学の研究機関なので当然ですが、「芸術を学ぶことこそ世界で最も大切だ!」みたいな風潮があります。現に、経済学より法律学より芸術学こそ重要だと言い放った先生もいました。(私は学問に優劣はないと考えていますが。)
好きなことを好きなだけ勉強すればするほど評価される、そんな、甘い甘い蜜のような環境でぬくぬくと生きてきたので、初めて、これまで私が価値があると信じてやってきたことを一蹴されて、それも私がうまく説明できなかったせいで、面接が終わるたび悔しくてどうしようもありませんでした。
大学の文学部は意味がないからなくしてしまおうという話が少し前にありました。学芸員は癌だという発言も話題になりました。文学部なんか行ったら就活詰むよwなんていう書き込みもネットで目にします。
一方で、エリートビジネスマンは美術館に通っている!などという記事がよく出回ります。書店に行けば、ビジネスマンの教養としての西洋美術史の本が目立つところに置いてあります。
ああ、すぐに目に見えてお金にならないものは価値がないとされているんだな、とこのようなものを見るたび悲しくなります。お金になるという根拠に背中を押されないと人は芸術に目を向けない。たしかに芸術でお腹は膨れない。けれど、人間にとってなくてはならないものだから、人類の歴史の中で芸術は絶え間なく続いているのです。それを学ぶことは、人間の生きる術を学ぶことだと私は考えています。これは無益でしょうか。
来春からは、大学で学んだ芸術とはまったく関係のないところで働きます。
勿体ないと言ってくれる人もありました。何の為に大学行ったの?と言ってくれる人もありました。
でも、私はこれまでとこれからを切り離してしまうつもりはありません。
今まで学んだことと一見なんの繋がりもない場所であっても、少しばかりでも芸術を学んだ私だからこそできることを追求しつづけます。
そのためにも、立場上は学生ではなくなってしまうけれど、学ぶことは絶対にやめません。
時間はかかるでしょうが、もっともっと勉強して、そしてもちろん社会人として仕事して、成果を出します。
私がこの先何年生きているかはわかりません。きっと実現には何十年もかかるでしょう。ですが、人文学が蔑ろにされない世の中をこの目で見たいんです。
すぐに目に見える利益にならない=役に立たない、という世間に蔓延した概念を覆したい。
やって意味のないことなんて何一つないんだと、私が体現したいんです。
どんな趣味や学問にも、等しく価値があることを示したいんです。
私の日本語力では、それを言葉で表現し伝えることには限界があることを、就職活動の面接で痛感しました。
私が身をもって、自分の身体でやるしかないんだと気づきました。
もっともっと好きなことを追究して学んで、それを極めた私だからこそできる仕事をして、人文学に社会的地位を与えたい。
認められなくてもいい、という思いもかつてはありましたが、認められなければ人文学、文学部はどんどん廃れてしまいます。
就職活動を経て、苦い経験をして、企業で働く上でのキャリアビジョンとはまた別の夢を見つけました。
そういう状況が世の中にはあると頭ではわかっていても、自分が痛い思いをしないとなかなか行動には移せないものです。フェミニズムも同じでしょう。だから、私にとって就職活動は生きる意味を見つける良い機会でした。
今まで、芸術学という好きな学問を好きなだけやってきたぶん、そしてそこから異分野に進む者として、そのために頑張ります。
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こんなこと口にせずとも叶えられたらそれ以上のことはないですが、世間の理解なくして私一人で叶う夢ではないので文字にしました。
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