Pさんの目がテン! Vol.52 デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』(Pさん)
レコードが参照の用を足す以上に有益なものかどうか、まったくあやふやなものです。演奏する際は、その状況――現にある環境に反応しなければなりません。ホールが異なれば演奏も異なります。音響効果によって違いが生じます。楽器によっても大いに違ってきます。もっと感じてもいいんじゃないか――なんといったらいいか――もっとその場を敏感に感じてもいいんじゃないでしょうか――ものごとをより生き生きと感じることが必要です。たとえば――肩のこらない雰囲気で音楽を始めれば、もし完璧にピタッとはきまらないものを弾いても、たいして気にはなりませんね。そんなときは、すばらしいアイディアとおもわれるようなことがいつ頭にひらめいてもいいように、本当に油断なく、注意深くなっています。そしてまた、そのあいでぃあがかならずしもうまくいくものではないとわかっても、心構えができています。でもそんなことはたいしたことではありません。その場が息づき、活力のようなものがそなわっているのですから。
(デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』工作舎、「第三章 バロック音楽」、71ページ)
バロック音楽というのは、今、たとえばベートーヴェンのピアノ譜を買ってきて、ニュアンスはあるかもしれないが、とりあえずそのまま弾く、といったイメージで書かれていたのではない。いわゆる「通奏低音」の音がポン・ポンと置かれていて、上部の弾き方というのは、厳密にではないが何となく決まっていたので、楽譜には書かずにおいて演奏者がアレンジを加えるように弾くことにしていた、それが当時は当たり前になっていた。
現在、同じバロック音楽を演奏するにあたり、楽譜は、今言った所で言うベートーヴェン風に、アドリブで埋めるべき所を全部固定した音で埋め尽くされている。それもさることながら、あまつさえそうしたものが演奏されると、レコードやCDと化して、それが決定盤だ、などと言われる。そういう風潮に対しての、上記の引用である。この本の中で引用されているので、孫引きになる。
この本は、ついこないだ、2005年まで生きていた、とんでもない即興演奏を行うギタリストの、デレク・ベイリーという人が、いろんなジャンルのミュージシャンに、即興演奏の意義について、インタビューをするような形式になっていて、この「バロック音楽」の章は、ライオネル・ソルターという人のインタビューで、この引用もその人の発言である。
この人は、おそらくバロック音楽に携わる人なんだろうが、デレク・ベイリーは、どんなジャンルの音楽だといえばいいのか、……本当に、単純に、即興演奏としかいえないようなものだ。
じっさいのところは知らないから、想像でしかないが、おそらく、デレク・ベイリーは、演奏するにあたって、楽譜にあたる、楽譜だけではない、コード進行とか次に予想される音の進行といったような既定のもののいっさいを、削り取るような動きによって生まれているんではないだろうか。
どんな演奏なのか気になった人は、ぜひCDを買うとか、ユーチューブにあるものを聞いてみてほしい。
演奏家として、聞かれ方はどうあれ、これほど洗練されている人が、ここまで理論的に語れるものか、と思えるほど、この本の内容はしっかりしている。しっかり引き込まれ、即興演奏というものの像が、概念としてしっかり浮き彫りになり、そして、既定の音楽から逃れるということへの情熱が、ただの叫びではなく、整然とこちら側に届く。
デレク・ベイリー自身もすごい演奏家だが、その何かに引き寄せられるようにして、バロック音楽に携わっている、初めて知る名前だけど、ライオネル・ソルターという人の言うことも、何だか良く聞こえて、というのは失礼だけど、特に太字の箇所は、突然噴き出したような、それこそ叫びのように聞こえる。
録音してそれを聞くというのが流通として当たり前になっている音楽への抵抗というのは、こんな風に、突然沸き上がってくる叫びのようなものでしか、出来ないのだろうか。(続く)