Pさんの目がテン! Vol.18 吉田健一『英語と英国と英国人』の解説について 1(Pさん)

 かなり切羽詰まっている。何がと言えば、この「目がテン」の毎日更新にである。仕事もある中で、読書をするのは、まあ単にそれを行うだけなら何ということもないかもしれないが、それを何らかの成果として、自分の文章にまとめて、とまでいかなくても多少の感想を載せながら過ぎ行くということすら、帰ってから三時間しか自由時間のない身にしたら困難な所業なのである。
 そんな思うなら止めたらいい。でも、この負荷がなければ成長しない、とも思ったのである。

 連日触れている、吉田健一の『英語と英国と英国人』、全編読み終わったが解説が読み終わるまではすべて読んだとはいえず、解説はと見てみると、解説を柳瀬尚紀が書いていたのを発見した。そして、彼らしく、吉田健一の文体模倣をしながら解説を書いているのである。
 そう、今回は引用を多量にして、お茶を濁そうとしている。

 吉田健一というほとんどその名を口にすることすら畏怖する人の著作について書くにあたって、この場合はどちらかといえばこれからこの人の世界に入っていこうとする若い読者を念頭においても、真っ先に考えるのはどういう文章で書こうかということになって結局はこれまで幾度か試みたようにこの人の文体を模倣することに考えが落ち着く。
(吉田健一『英語と英国と英国人』、解説「文体の魅力」柳瀬尚紀、296ページ)

 ここで柳瀬尚紀は、まさに吉田健一の文体を模倣すると宣言することを吉田健一の文体を模倣しながらしているのである。
 考えてみれば、誰風に言うことを誰風に言う、ということ自体であれば、さしたる困難もなくそういったことを行っている人もあるかもしれないがこれが誰が誰に対して行っているかという点に注目するのであればこれはどこにでも起こっていることと区別するべき理由が確かにある。『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳というメチャクチャなことをあえて行った柳瀬尚紀が、吉田健一を「ほとんどその名を口にすることすら畏怖する人」と称しながら、解説しているのである。
 文体模倣は全体に行き渡っているので、あたかも解説すら亡くなったであろう当人が書いた風に見えないこともないが、それが行き過ぎていることがかろうじてその模倣の証となっていると見えなくもなくて、そういう良心のゆえにそうされているのでもないかもしれないけれども続きを見てほしいと思う。(続く)

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