Pさんの目がテン! Vol.49 岡本源太『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』(1)(Pさん)

 前回、やや取っ散らかりながら紹介した、ジョルダーノ・ブルーノという、哲学者への理解を、P.ロッシ『普遍の鍵』だけでなく深めようと思って手に取った、岡本源太という人の『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』という本を読んでいるのだが、これが(というのは、もちろん評論、というか解説者としてのこの本自体もそうだし、ブルーノの哲学自体でもある)かなり面白い。ブルーノの哲学は、一面に複雑で難しいという評判もあるから、この解説者がすごいのかもしれない。
 ブルーノは、「汎」……というものについて、考えていた。汎用性の汎。接頭語的に使う言葉が、もう少しあったような気がするが、思い出せない。汎神論、ブルーノの、今わかった一面でいうなら、汎生命論、かもしれない。

 ジョイスやブルーメンベルクが示唆したような近代における人間の感性の転位は、おそらくこうした自然像の変容と無関係ではない。ブルーノが描き出した新たな自然のなかでは、人間の地位も決定的に問い直されるからだ。人間も動物も植物も、神のごとき生ける自然の一様態であって、そこにはいかなる優劣もない。
(岡本源太『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』「序章 ジョイス――憐れみの感覚」、20ページ)
テオフィロ 〔……〕机が、机として命あるわけじゃないし、衣服だって、また皮革も皮革として、ガラスもガラスとして命あるわけじゃない。でも、複合された自然の事物として、みずからのうちに質料と形相をもっている。いかに小さくほんのわずかであっても、みずからのうちに精神的実体の部分をもっているんだ。この精神的実体は、ふさわしい対象を見いだしたなら、植物へと、動物へと展開し、一般に命あると言われているなんらかの身体の四肢を受け取るんだよ〔……〕。
(同「第一章 ディオ・デ・ラ・テッラ――人間と動物」、26ページ)

(下の引用は、ブルーノの著作の本文。)
 そういえば、「汎」という字も、さんずいが付く。

汎 〔……〕凡は風の字の声符に用いられる字で、盤の形。汎は〔説文〕に「浮く皃(かたち)なり」とあり、〔……〕汎濫は氾濫。〔……〕汎は風を受けて早く流れる意である。
(白川静『字統』、「汎」の項)
「あらゆる液体が実体においては一つの液体であるように、あらゆる気体は実体において一つの気体だし、あらゆる精神は一つの精神のアンピトリテから来ていて、そこに戻っていく」と語られるとき、人間と動物との差異だけでなく、生物と無生物との差異も否定されている。古代ギリシアの神話において海の神ポセイドン(ネプトゥヌス)の妃とされた「アンピトリテ」は、ブルーノにあっては海の比喩であり、また唯一にして無限なる原理の寓意である。つまり、ブルーノによれば、人間のであれ、動物のであれ、すべての精神は一つの大海をなす。
(岡本源太『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』「第一章 ディオ・デ・ラ・テッラ――人間と動物」、24~25ページ)

 このあと、その生物と無生物とをつらぬくようにしてある、やはり生命というものについて、それは「実体」ではなく、活動や動きそれ自体である、というようなことが書いてあり、なんとなく、カンで一言でまとめた、「汎……」という感じ、というのも、間違いじゃないかもしれない。(続く)

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