アオイソラとソフトクリーム
これは私のヒーローのお話。
ーーヒーローの朝は早い。毎日5時半に起き、行きつけの喫茶店にモーニングを食べにいく。そのあと、住んでいる団地の周りを掃除しながら、通学中の子供達を見守り、日中は、友人達とゲートボールを嗜む。
夜は、好物の梅干しとらっきょうをおかずに白米を頬張り、デザートには冷たいソフトクリーム。少し熱めのお風呂に入って、ボードゲームで遊んで、21時には布団に入る。
少しこだわりが強い部分もあるけれど、それ以上に、正義感が強く勇敢で、誰にでも優しい、私のヒーロー。私の、大好きな、おじいちゃん。
幼い頃、おじいちゃんっ子だった私は、毎日のように祖父の膝の上で遊び、毎日のように祖父の腕の中で眠ってーー
「葵、一緒に寝ようか。」
毎日のように、優しい祖父の声を聞いていた。私が眠れない日は、しりとりをしたり、背中に指で文字を書いて、それが何かを当てる遊びをしたり、眠れるまで肩をトントンしてくれたり。
毎日が、幸せに溢れていた。でも、月に一度、祖父と一緒に寝てはいけない日があった。
「こら、葵。またおじいちゃんにベッタリくっついて。おじいちゃん病院で疲れてるんだから、今日はお母さんと寝るよ。」
ーー通院の日だ。
祖父は元々、清々しいまでの亭主関白で、自分にも他人にも厳しく、一度言ったことは曲げない、怒りっぽい頑固親父だったそうだ。私には想像もつかない。それもそのはず、私が生まれてすぐのこと。
祖父は、仕事中に足を踏み外して、二階から転落し、運悪く頭を強打した。一週間程意識が戻らず、生死を彷徨ったが、奇跡的に一命を取り留めた。
ところが、戻ってきた祖父は、以前と明らかに様子が違っていた。そこに居たのは、喋り口調がとても優しい、よく笑うお爺さんだった。
脳の障害か、記憶の混濁か、原因はわからない。特に何かを忘れている様子も無く、結局、何処にも異常が見つからなかったそうだ。無事に退院したものの、念のため、経営していた工場をたたみ、ずっと通院していた。
私は、たった一度だけ、事故前の性格を感じさせるような祖父を見たことがある。私が小学四年生の頃、家のそばにあったドブ川に落ちてしまい、手のひらに七針を縫う怪我をした。するとーー
「子供が危険にさらされるような場所があってはならない!」
そう言って、祖父は怒りをあらわにした。母や祖母が止めても聞かず、市に直談判しにいったのだ。
祖父の熱意が伝わったのか、私が落ちたドブ川にはフェンスが立てられた。そして、その行動が称され、後に地元新聞の一面を飾った。
『おじいちゃ〜ん!すごいね!新聞にのってる!』
私がそう言うと、祖父はやっぱり優しく、少し照れたようにニコッと笑った。
そんな自慢の祖父との幸せな日々が、ずっと続くと思っていたが、私が中学に上がる頃、両親の都合で、離れて暮らすことになった。毎日顔を合わせていた日々が終わり、週末にお泊まりしたり、休日に遊びに行く日々が始まった。
祖父は、会いに行く度に嬉しそうでーー
「葵、よく来たな。」
「葵、ソフトクリーム食べるか?」
「葵、将棋やるか?」
「葵、一緒に寝ようか。」
いつもの優しい笑顔で私を迎え、可愛がってくれた。
でも、私は、学業や部活動が忙しくなったこと、友達との遊びが楽しいことを理由に、次第に会いに行く頻度が落ちていった。中学、高校を経て、社会人になった頃には、年に数回、会う程度にまでなっていた。
どうしてだろう。気持ちは幼い頃のまま、大好きなはずなのに。自慢の祖父で、私のヒーローなはずなのに。
一緒に暮らしていなくても、たまにしか会えなくても、もっと祖父との思い出を作っておくべきだった。きっと、当たり前になりすぎていたのだ。祖父という存在が、いつまでもそこに、居るもんだと、思っていたのだ。
会う度に、行動範囲が狭くなっていた祖父。家で朝食を食べ、掃除は玄関周りだけ、日中はテレビをぼーっと見る。夕食の時間がわからなくなる日が増え、通院も、徒歩からタクシーに変わった。
老いていく祖父を、見て見ぬふりしていたのかもしれない。大人になってまで、おじいちゃんっ子でいるのが恥ずかしかったのかもしれない。もっと伝えたいことは、沢山あったのに。
ーー私が22歳になった頃、祖父に癌が見つかった。
「進行が遅いから、すぐにどうこうなるわけじゃないし、心配しなくて大丈夫よ。」
母は言った。私はその言葉に安心し、日々仕事に奮闘していた。いや、安心したんじゃない。受け止められなかったのだ。目を、逸らしたのだ。
その一年後、私に一本の電話が入った。
「おじいちゃん、今夜が山らしいから、帰って来れるなら帰っておいで。」
母からだ。私はその時、仕事の都合で地元を離れていた。どうしても、その日には戻れなかった。
もう時間が無い。目を逸らしていられない。覚悟をしなければいけない。私は土壇場になって焦り、仕事を調整してもらって、翌日、戻れるようになった。夜にまた、母から電話が入った。
「おじいちゃん、ひとまず山は越えたみたい。でも、いつどうなってもおかしくない状態だから、覚悟してね。」
一年前と、正反対のことを言う母。翌朝、不安と焦りを抱きながら、祖父の待つ病院へ向かった。
「葵、よく来たな。」
あの頃と変わらない、優しい声。でも、細く小さく、今にも消えてしまいそうな声。
ずっと目を逸らしてきた、当たり前だと思っていた存在。大好きな、自慢の祖父。痩せ細り、変わり果てた姿の、私のヒーロー。
覚悟を決めて、向き合って、目の当たりにした、すぐそこに迫る別れ・・。気付けば私は、泣き崩れていた。
おじいちゃん、全然会いに来れなくてごめんね。
おじいちゃん、また一緒にソフトクリーム食べよう。
おじいちゃん、また一緒に将棋しよう。
おじいちゃん、死なないで・・・!!
ーーその日の夜、祖父は旅立った。ただ眠っているだけかのような、優しい顔で、祖父は、空へと旅立った。それからは、慌ただしくお別れの準備を進め、悲しんでいる間もなく、時間が過ぎていった。
いつもと違うベッドで眠る祖父。あの朝に見た、苦しそうな姿からは想像出来ないほど、安らかに眠る祖父。そんな祖父を見ていると、また名前を呼んでくれるような気がして、また優しく、笑いかけてくれるような気がして、全く実感が湧かない。祖父の傍でぼーっと突っ立っていると、祖母が来て、話しはじめた。
「おじいちゃん、葵ちゃんに見送ってもらえて嬉しそうだねぇ。だって、最期に葵ちゃんに会うために、あと一日頑張ったのだから。おじいちゃんの最期の言葉、何だと思う?」
『・・わからない。』
わからない。一度家に戻っていた私は、再び祖父のいる病院に着いた時にはもう、声も発せない状態だった。下を向く私を見て、祖母は祖父と同じように、優しく微笑み、話を続ける。
「ーー"葵"。葵だよ。最期まで、ずっと葵ちゃんのことを呼んでいたんだよ。」
『え・・』
「もしかすると、おじいちゃんが事故した時、亡くなっててもおかしくなかったけれど、葵ちゃんと遊びたくて、生き延びたのかもしれないね。葵ちゃんの、ヒーローに生まれ変わって。」
祖母の話を聞き、私はまた、泣き崩れた。
ーーねぇ、おじいちゃん。
幼い頃、おじいちゃんの暖かさに何度も救われたこと。学生時代、交友関係や学業を優先して、全然会いに行かなかったことを後悔してること。大人になってからは照れ臭くて、大好きだと、伝えられなかったこと。別れが怖くて、向き合えなかったこと。
直接だと、泣いちゃって言えなさそうだから、手紙に書くね。一緒に空へ運んでもらうから、ゆっくり読んでね。
今までずっと、心配ばっかりかけてごめん。沢山わがままを言って、困らせてごめんね。いつも私の味方をしてくれてありがとう。あの時、生き延びてくれてありがとう。私のヒーローになってくれて、ありがとう。
これからは、おじいちゃんの分まで笑って生きていくから、空の上から、見守っていてね。おじいちゃん、大好きだよ・・!
ーー祖父が空へ旅立ってから、数年が経った。私は、祖父に恥じない人生を送れているだろうか。祖父のように、人に優しく出来ているだろうか。
決して逞しくはなかったけれど、いつも私を見守っていてくれて、いつも優しく私を包んでくれて、いつだって味方でいてくれた。祖父がそばに居るだけで、安心出来た。私にとっての、ただ一人のヒーロー。
私もいつか、誰かにとってそんなヒーローになれるだろうか。
祖父の生きた証である、あのフェンスが立っているドブ川を通って、私は今日も仕事に行く。アオイソラを見上げて、心の中のヒーローを想って、私は今日も、未来へ進んでいく。
おじいちゃんがまた、笑ってくれるように。
ー end ー