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聴いた曲を紹介する日記(2023年8月25日)第167回:誰がその鐘を鳴らすのか?/欅坂46 & あの鐘を鳴らすのはあなた/和田アキ子
誰がその鐘を鳴らすのか?/欅坂46
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あの鐘を鳴らすのはあなた/和田アキ子
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これまで毎日書いていた「聴いた曲を紹介する日記」は、毎回1曲に絞って書いていて、余裕がある日でも1日1曲ずつという形にすることで、毎日書き続けてもしんどくないしネタ切れも防げるというメリットもあったのだけど、厳密にルールとして課していたわけでもなく「この2曲は紹介するならセットでだよなあ」とずっと思っていたので今回初めて1日2曲セットで紹介。
欅坂46の「誰がその鐘を鳴らすのか?」と、和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」、阿久悠の作詞と秋元康の作詞、歌を聴き比べ、歌詞を見比べると、時代の違いとか、10代〜20代の若者の感覚の違いとか(本曲リリース時、和田アキ子は22歳!)、そういうものが楽曲に反映されている感じがして面白い。
具体的には、「あの鐘を鳴らすのはあなた」は『人はみな孤独の中』でも『あの鐘を鳴らすのはあなた』と力強く訴えるのに対して、『誰がその鐘を鳴らすのか?』は『そばの誰が誰であっても鳴らせばいいんだ』と主張しつつも、それと同時に『僕たちの鐘はいつ鳴るんだろう?』と不安を感じているのでは……という対比で自分は聴いてしまう。
「誰鐘」は、歌詞の単純な構造としては「現代の問題や不安に対する解決方法を強く主張する側のメッセージ」ではあるのだけど、それと同時に『そんな重たい責任を持てるかい?逃げたいだろう?』という歌詞は「主張する側が相手に言っている言葉のように見せながら、自身への不安の問い」でもあるように感じるし、「誰がその鐘を鳴らすのか?」とは問うけど「私がその鐘を鳴らす 」とは言わないし「その鐘を鳴らすのはあなた」とも断言しないのって、ものすごく現代的な感覚というか。
「誰鐘」の「鐘」には「理想上の今は存在しないもの」であるという前提の意味があるとはいえ、「自分が明確に目的とするものを指す"あの鐘"」と「自分はあくまで客観的に見ているように思える"その鐘"」の、微妙なようで全く違う表現の違いにも、そういうものを感じたりするのだ。
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