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小学生の頃のはなし。

小学生の頃、Yちゃんという同級生がいた。
Yちゃんは、ぽっちゃりというより太っていたという表現の方がしっくりくる感じの女の子だった。

記憶が曖昧なのだけれど、おばあちゃんとおかあさんの3人で文化住宅に住んでいたように思う。
いつもヨレヨレの服を着ていて、お世辞にも裕福な家庭とは言えない家庭環境だったと思う。

そんなYちゃんは、いつもニコニコ笑っていた。
同級生たちにYに触られた!Y菌が付いたからお前につけてやる!など。
心ない言葉で傷つけられてもいつも彼女はニコニコ笑っていた。

わたしはというと、そんなイジメに加担することはせずYちゃんに対して普通に接していた。

ある日Yちゃんが、学校に遅刻してきた。
中休みになんで遅刻してきたの?と聞くと、おかあさんに太ももをアイロンで押し付けられて、とアイロンの輪郭の火傷のあとがついた太ももを見せてくれた。

衝撃的だった。でも、小学生のわたしは、Yちゃんのおかあさんってひどいことするなー、くらいしか思わなかった。

そのあと数週間か数ヶ月Yちゃんは学校に来なかった。
わたしは、Yちゃんが学校でいじめられてるから登校拒否をしてるんだなと思った。

時は過ぎて卒業式の予行練習中にYちゃんが突然嘔吐した。まだ消化できていないわかめうどんが床に広がっていた。
大丈夫?と声を掛けたら、たぶん朝おかあさんにお腹叩かれたからだと思う、と彼女は答えた。

やっぱり、Yちゃんのおかあさんは酷いな、なんでそんなことするのかな?と思っただけだった。

中学校に上がって、一学期の途中からYちゃんはまた学校に来なくなった。
卒業まで一度も来なかったけど、卒業アルバムの集合写真の右上と個人写真には、一年生のときのYちゃんの写真があった。

Yちゃん転校してなかったのか、と思った。やっぱりいじめられて登校拒否してたのかとも。

そのころわたしは、兄からずっと暴力を受けていた。
わたしが家を出るまで続いた。数年前あることをきっかけに今は完全に縁を切った。

強者が弱者を力でねじ伏せるのは、普通のことだと思っていた。
殴られているのはわたしだけじゃないと。
弱い者は虐げられるのが当然なんだと。
弱い者に権利なんて存在しないと、本気でそう信じていた。

でも、同時に自分は同じにはなりたくないとも思っていた。

わたしはYちゃんをいじめてない。(わたしより)可哀想なYちゃんに関わってあげてる。
わたしってなんて優しいの?くらい思ってた。
優越感に浸ってただけだった。
恥ずかしい。

抑圧は、暴力はヒトの思考を止める。
考えることを放棄してしまう。
考えてもどうにもならないと諦めるのが癖になってしまう。

30年以上前のことだけど、今でも時々、ふとYちゃんのことを思い出す。
そして、自分の軽薄さと無関心さに呆れて自己嫌悪する。

彼女はいつも笑ってた。
どんな気持ちで笑ってたのかな。

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