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「想像出来ずにいた、表現者として、人前に立つ幸せを。」

 引っ込み事案で、「無」の表現者…。
幼少期、中々人から相手にしてもらえなかった。
幼稚園は、真面目で要領が良い子供ばかりだ。
だから、頭は理解してくれる誰かを求め、常に誰かとお話しをしているような錯覚を見せた。寂しくないように、ひとりぼっちを感じぬように。

 あの時の私の脳は、「自分の殻」を破るために、文字を綴って、表現者になれ。と問いを投げかけていたのかもしれない。「変わり者だから、君は黙って音楽をやっていればいい」と言われて、貫いていた過去。

 これは、想像できなかった表現者の一歩を踏み出した、私の人生の始発点の物語である。

幼い頃、何らかの遺伝子のミス(※)かと、他人に思われていた。前触れもなく「鶏さんがね」「水の中を」
等と発言し、周りの人に苦い顔をされては、母は閻魔大王のような剣幕で玄関口で激怒し、自分は、何が悪くて、何の話をすれば、文句を言われないのか、と小さいなりに自分に問いかけた。

そんな中、母が選んだ小学校は芸術センスを磨く、音楽専門の小学校だった。入学式から母に泣きついて離れない子や、ひっくり返って泣く子。もう怒られまい、ここなら自我を出せる…と幼いなりにそう思った。

案の定、仲間とはすぐ打ち解けた。
私が絵を描けば、ひどく褒められたし、作文を書けば、面白い、と先生は笑ってくれた。

「表現者の種を植えた時」

その種を植えるキッカケになったのら、小学校2年生の時の消防車の写生会だ。たいそう大きいピカピカの消防車が、校庭にゆっくり入ってきた。「これから貴方達は、消防車を書きます」と教師が一言、大きくて強い白い紙を貰い、私は部分部分から描き始めた。

 数十分経ち、何人かの子は「もう帰ろ〜」と大きく型取りだけして、そそくさと塊になって帰って行った。

 私とあともう二人は、夕方位まで残っていた。
夕日は消防車を照らし、やがて、オレンジ色に染まっていくこの小学校が、とても輝いて見えた時、流石にそろそろ帰りたそうな隊員が、私の絵を見て、「すごいや!」と叫んだ。ここまでの辛さが、全て報われた気がした。「もう少しかかるかい?」という問いに、遠慮もしらない幼き私は「うん」と答えた。
 その隊員は、私のことを帰宅ギリギリの時間まで待ってくれた。今考えると本当に申し訳なかったと思う。

 その後、私の一生懸命砂だらけになって描いた消防車は、小さなライトに照らされ、銀賞という、名前のついた名誉ある絵になった。3日ほど、担任にひどく自慢したが、あまり良さはわかってくれなかった。

 「表現者の、芽がでた時」
周りには絵を習っている子がとても多かった。私は速攻挫折をし、専門分野をようやく磨き始めた。
私の専攻はピアノだが、今までは絵が好きだの、工作が好きだのと言い、放置しがちになっていた。
 流石に担当教師は痺れを切らし、幼い私に罵倒雑言を吐き捨てた。その際、また自分は…となったが、母にもメールでひどく説教をしていたらしく、幼稚園ぶりにあの「閻魔大王」の顔を見せた。

幸い、緊張や捻くれている心はなかったため、私は、まあいいや、と自分なりに趣味を切り捨て、ピアノに打ち込み始めた。勿論、コンクールや発表会のため、遊ぶ時間は削られて、積み重ねに積み重ねた練習で地位を獲得していった。これも、後の表現者の「肥料」となる部分であるから、突き詰めたことに憎悪の感情などはあまり湧いてこない。

私は、無事に中学生になることができた。勿論、ここまでに個性を否定される事は大量にあったが、あまりダメージがなかった。教師とは所詮、そんなものだと思って、諦めていた。今考えれば、幼い頃よりは、環境が良かったからだと思う。

中学の授業は、国語のみ、私にとって、凄く楽しいものであった。ある時、「詩を書く、テーマ、タイトル、何でも良い」という課題が出た。私の手は誰かに糸で操られているみたいに、字を書き進めていった。
一目みた教師は何かを感じ、私の作品をコンテストに出すと、なんと著名人に表彰され、相変わらずの問題児だった私は、ひどく職員室をどよめかせた。

そこから、詩集を書き連ね、旧Twitterに書き込みをして、2いいねを得ては、たいそう喜んだ。

「表現者、栄養失調になりかける」

 あまりにも、面白くない。高校に上がってから永遠に音楽の勉強だし、背中を押してくれる教師達に感謝はしているものの、アルバイトをたまにして、それ以外は練習に明け暮れ、趣味の詩を書く時間すらもなくなった。なんか、すごく自己否定をされているみたいだと、心の底からそう思った。

 ここから、栄養失調は変な完治の仕方を覚えていく。身体を壊してまで、練習することが「私の流儀」なのだと、褒められることに快楽を覚えた結果、私は心を病ませ、愚行に走った。そこで、彼女はやっと、目を覚ましたのである。ピアノをやりつつ、削除したアカウントを作り直し、また新たな名前で、作文や詩綴った。生まれ変わったようなものである。
スクリーンショットで残した奇跡の3枚の走り書きのようなメモを、掘り出し、脳の右端に、書き留めておくことに成功した。

「想像していなかった未来、表現者の蕾」
今、人生のおよそ4分の1の部分で、息をしている。
中学生の頃から続けていた文で、また改たに賞をいただくことができた。旧Twitterの2いいねから、20いいねになり、沢山のオーディエンスが、昔寂しかった1人の会話を終わらせ、待ってくれていた。
自分喉を通り、声にして、届けることができた。
皆は、それに優しく頷く。想像していなかった未来、天から降ってくる単語を捕まえて、音楽で人を幸せにしつつ、自分も幸せにする。

言葉って、魔法なんだと、理解って、素晴らしい。
表現者って、スポットライトが当たるのだと!

#想像していなかった未来

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