よみやすいにほんご

 われわれのつかうにほんごというげんごはほんとうにふしぎなものでとくだんなんかいなことばをつかっているわけでもないというのにこうしてひらがなだけでぶんしょうをかこうものならもうほとんどたいはんのどくしゃはよむのをほうきしようとしているにちがいないのであってなによりもかいているおれじしんがすでにいやけがさしはじめてすいまにおそわれつつあるのだ。

 コノケイコウハカタカナニナルトヨリイッソウケンチョナモノトナルトイウコトハモハヤヒトモジモカカズトモワカッテイルコトデハアルノニドウシテモガマンデキナクテツイツイコウシテカイテシマッタノダガアンノジョウハヤクモハッキョウスンゼンニナッテシマッタシココマデデカキソンジヲシテイナイカドウカヲカクニンシヨウトスルコトスラオレノガンキュウハキョゼツシヨウトシテイル。

 その いっぽうで このように ぶんせつたんいで くぎって いくだけで もう ずいぶんと よみやすく なると いうのだから ことばと いう ものは まったく ふしぎで たまらない もので ある。 ようするに にほんごと いう げんごの ゆうする さいだいの もんだいてんは ひょういもじのみに いぞんして いては いみの きれめが きわめて しにんしづらいと いう ところに あるのだろう。

と は いう ものの このように こんど は たんご たんい で ぶんかいし て しまう と かえって よみづらく なる と いう の も また ふかしぎな こと で あっ て けっきょく の ところ えいご の ような げんご と は たんご と ぶん と の かんけいせい と いう もの が まるっきり ちがう と いう こと な の で あろ う。 この すうぎょう つづい て いる しょうがくせい でも よめ て しまう こうした もじれつ より も なんど か かい て いる いっさい の くとうてん を はいじょし た いちぎょうにっき の ほう が あっとうてきに よみやすい と いう の は なんとも しさてき と いえる の で は ない か。

 畢竟するに、特段単語や文節の切れ目というものを意識しなくても、日本語を母語とする者であれば、勝手に意味が判断できてしまう、この漢字仮名交じり文体というものは、日本語の極めて特異な性質といえるのであって、記憶の不便さと引き換えに表記の簡便さを得たものだと言うことも出来よう。無論、記憶の負担は表音文字のみで完結する言語に比べれば、比較にならぬほど重いものであるということも重々承知ではあるが、我々は何の因果か、かかる不便にして簡便なる言語を操る国の住人に生まれ落ちたわけであるから、その醍醐味を感じてもらいたいというのが国語の先生心というものではある。

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