逆説弄すおじさんの独り言②
おやそんな浮かない表情を浮かべてどうしたんだい。君の悩みなんぞにぼくはこれっぱかしも興味はないんだが、まあそこは腐れ縁というやつものさ。気乗りしないが聞いてやろうじゃあないか。なに、体重が一向に増えなくて悄気げているのだって。はは、これは失笑ものだね。いや、「面白くて思わず吹き出す」なんて本来の用法じゃなく、明鏡国語辞典の間者に通報されかねない、誤用として定着した「笑うことも躊躇われるほど白ける」という意味での失笑ものさ。全くちょっとでも世間をご覧なさいよ。今のご時世は、やれメタボ対策だのやれ糖質制限だの、肥満憎悪の痩身礼賛甚だしいことくらい、君だって重々承知であろうさ。そうした世相を尻目にしながら、君は自身の痩躯を自虐しながら周囲の反感を買って、それを捻くれた自己承認としているんだろう。まったく君というやつは。確かに君の頼りがいの欠片もない肉体は、お世辞にもみっともの良いものとは言えやしないけれどね、ははあん、そのカレンダーの日付に記載されている、謎の数字は、さては君の体重というわけか。なるほど、プラスマイナス一キロ前後を延々と彷徨っていて、増加する兆しもないねえ。しかし、こんな微妙な変化量、誤差の範囲というやつじゃあないかね。ちょっとした時間や体調やらで容易に変化するものだろう。たかだか数百グラム程度の増減に一喜一憂するなんて笑止千万といったところだよ。待てよ、ふむ。面白いことを思いついたぞ。もし明朝にいつものごとく体重計に載ったら体重が一〇キロも増加していたとしよう、喜ばしいことだろう?なに?そんなもん体重計が壊れたに決まっているだって。ははあ、どうしてそう思うんだい?一日で体重が一〇キロも増加するなんてことはあり得ないからだと。なるほど。では、五キロの増加ならどうだい?これでもダメかい?なら四キロなら?三キロなら?二キロなら?……ふむ、二キロ三キロの増加くらいなら、現実にあり得るかもしれないと判断するのかね。ならば、体重計に載るのが半年ぶりだとしたらどうだい?それなら五キロくらいの増減は信じられるかい?顕著な体型の変化を実感していないと一〇キロ以上の増減は信じられないと。へえ、その顕著な体型の変化の基準は何なんだい?君は今くらいの身丈になってから、六〇キロ代の体重なんて経験したことがないだろう?それなのに、どうやってその体型の変化が一〇キロの体重増加に相当するものだと判断するんだい?そんなことは本当に可能なのかい?他人のそれと比較するにしたって、身近な他人の体重でも熟知していることは稀であるし、そもそも自分の体型感覚と他者の体型知覚とは必ずしもリンクしないだろう?現に君は日常生活ではさほど感じていないのに、たまに写真で自分の身体を客体として見たときに、あまりに貧相なその体躯に絶望することがよくあるじゃあないか。何が言いたいのかって?要は君が毎朝体重計にのって確認している数値が正しい数値であることを保証するものは、君の思い込み以外にはどこにもないってことさ。君の家にキログラム原器でもあるなら話は別だけれどね、君の家にある体重計が壊れていないという根拠は、体重計に表示された数値が、君があらかじめこのくらいだろうと想定している範囲内に収まっているという事実に基づいているわけだ。二キロ三キロまでの増加なら呑み込めるのに、一〇キロの増加はダメだというのは、つまりそういうことだろう?そうだとすると、ねえ、ひょっとして体重計に載る必要なんてのはありゃしないんじゃないのかい?せいぜい体重計の効果というのは、君のあらかじめの思い込みにお墨付きを与える程度のものでしかないくせに、そのお墨付きの根拠だって、君の思い込みに基づいてるという、ひたすら循環的なものでしかないんだよ。