逆説弄すおじさんの独り言
だからさっきから言っているじゃあないか。君も分からないやつだなあ。いいかい、何度でも言うよ、「人間は分かりにくい言葉ほど分かりやすく感じる」と、ただそれだけのことをぼかぁさっきからこんこんと君に語り続けているのさ。ほうら、君の飲み込みがあまりにも悪いせいで、もうジョッキのビールだってすっかり冷えてしまっているじゃあないか。え、なに?どうせ下戸なんだからそれ以上飲めないだろうって?全く。理解力のないくせに口だけは達者だね君というやつは。良いかな、違うよ、「酔いかな?」じゃない、良いかな、だ。君に理解
を促す呼びかけであって、自分がアルコールに酩酊しているかを確認したわけじゃないよ。とにかく、ぼくの言いたいことは、分かりにくいことを分かりやすいと感じる人間の脳みそは一体どうなっているんだと、つまりはそういうことなんだよ。例えば素数というものがあるね。そう、2、3、5、7、11、13……そういうやつだよ。君は今、それらの数を「素数」という単語だけを聞いただけで瞬時に思い浮かべることができたね。では、「1と自分自身以外に正の約数を持たない自然数のうち、1以外の数」とか「正の約数の個数が2である数」とか言われるとどうだい?君は瞬時に先ほどの2、3、5、7、11、13……を思い浮かべることができたか
い?なんだい、にやにやして、そりゃあ話の流れからしてね、だって?そういうことを言っているんじゃないよ。後から言ったのは素数の定義を表した言葉だ。だから単に素数とだけ言われるよりも、情報が多くて「分かりやすい」はずなのに、一瞬何を言っているのか分からなかっただろう?さっきからぼくの言っているのはつまりそういうことなんだよ。ああ、確かに君のようなインテリ気取りは、瞬時の判断には困るにせよ、素数の定義なんざ当然知っているだろうさ。けれど、恐るべきはまさにそれなんだよ。世の中には「素数の定義は?」と問われ
てもきちんと答えられないような人はゴマンといるんだ。けれど、そういう人だって、単に「素数は?」と問われれば、2、3、5、7……と順に数字を列挙することはできたりするんだよ。これは本当に奇妙なことだとは思わないかい?定義も満足に知らない人にだって、「素数」という何の情報も提示していないような分かりにくい言葉は機能しているのさ。正しく情報を伝える定義文が彼らにとっては意味をなさないのに、だよ。なんだって、素数の定義を知らない人などいるわけがないだって?本当に君は井の外の蛙だなあ。うるさいなあ、わかっているよ、正しい表現が井の中の蛙だってことくらいは。そうじゃなくて、自分よりも数段知識の水準が劣る人が大勢いるということを無邪気にも知らない君の傲慢さを皮肉っているのさ。ならいいとも、電車の話をしよう。「電車の進行方向に対して同一ないしは一八〇度反対の方向を向いて着席するタイプの電車車両」というのと「前向きに座るタイプの電車車両」というのと、どちらが君は分かりやすく感じるんだい?そうだろ、後者の方が分かりやすく感じるだろう、うん、分かった、そうだよ、新幹線と同じタイプのことだよ。でも、情報が豊富で誤解を招く可能性が低いのは、前者の文だろう?文として分かりやすいのは、完全に前者のはずだよ。後者のように「前向き」って言ったって、一体何を基準にした「前向き」のことなのか、さっぱり分からないじゃないか。ぼくがひねくれているだけだって?それ自体は否定しないけれどね、文字通りの意味で分かりやすい文を分かりやすいと感じることがひねくれていると呼ばれるだなんて、そういう構造こそがひねくれているじゃあないか。ぼくたちの言葉は一体いつからこんな風になってしまったんだっていう話を、ぼくはさっきから言っているんだよ。なんだって、四行目くらいからもう読んでいないだって。なんということだ。