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 「散髪ってよく見ると意味不明な字面だな」【10月11日(金)】

 俺は積極的社交性に欠けるが、消極的社交性はそれなりに富んでいる人間なので、自分から他者に話しかけるのは得意ではないが、他者から話しかけられたときに無難な対応をするのはさほど苦手ではないし、どちらかといえば得意な方である(つまりごく平凡なコミュニケーション能力を有しているということをもう百字を費やして仰々しく書き連ねているのである)。

 そういう人間にとって美容院選びというのは、前世紀から続く人生の難題の一つである。美容師という人種は、積極的社交性の権化というべき存在であって、たかだか一時間程度の作業を黙々と集中してこなすことができない。そのくせ落語やラジオのような噺の技術に長けているわけでもないから、のべつ幕なし立て板に水、というわけにはいかずに間欠泉のような予測不能なタイミングで、スーパー銭湯のように予想通りに退屈な話題を放り投げてくるものだ。こちらは生憎なことに消極的積極性は有してしまっているから、興味の無い話題に対して貝のようにだんまりを決め込むというわけにはいかず、なんやかんやと返答をしながら「気持ちの良いお客さん」を演出してしまうわけで、これは、便利で快適な現代文明社会というユートピアで何不自由なく幸せな生活を営んでいる21世紀の先進国の国民が抱える唯一のストレス要因といえよう。

 したがって、自分が対応できる、対応することにストレスを感じないでいられる美容師を探し求めることは人生の重大な課題である。

 俺がもう五年以上通う美容師はこの選抜をくぐり抜けたエリートである。なんせ彼は、美容師でありながら指す将であるという、令和のレオナルド・ダ・ヴィンチのような矛盾した存在なのだ。おかげで俺は美容院に行きながら、最近のタイトル戦の動向だとか、自分が指している戦法の良し悪しや、将棋アプリにおける自身の段位の停滞ぶりを互いに慰撫する言葉などを語らう愉しみを享受できる(ちなみに将棋の分かる読者諸氏のために棋力を示しておくと、ウォーズで俺は二段、彼は初段で互いに五年ほどその段位に留まっている。俺にとっていかに彼が話しやすい人間であるか、将棋を指す人間なら共感してもらえるはずだ)。

「あ、どもー、いらっしゃいませー。お久しぶりですー。ひとつき、半くらいですかねー。」

 そうですね、この前来たときは、まだ夏期講習が終わってなかったから。

「そですねー。いやー、そう思うと急に冷えてきましたねー」

 ねー、朝晩冷え込むから風邪引かんように気をつけんと。

「ですねー。夏と冬、どっちがいいですかー?」



 むむ?今日はなかなか将棋の話にならないな……まあ、季節の変わり目だから致し方ないところはあるか。幸い、季節や天気の話という当たり障りの無い話は、消極的社交型人間の我々でも御しやすいテーマではあるからな。たまにはこういう無難な話に花を咲かせるのも一興というものだろう。俺の得意戦法である右玉の話をするのは、これが一段落ついてからでも構うまい。

 んー、どうでしょうねえ。若い頃は圧倒的に夏が嫌いで冬派やったんですけど、最近おじさんになってきて、冬の寒さが堪えるようになってきたんですよねえ(笑)

「へー、僕も若いときは冬の方が好きやったんですけどねえ、最近は夏の方が一枚着るだけでええから楽やなって思うようになってきて」

 若い頃はあんまり寒さが苦じゃなかったんですけど、やっぱ体力が衰えてるからなのかなんなのか、寒さが骨身にしみるようになってきて……

「で、冬って重ね着したりで面倒てのもあるんですけど、結局最終的にコート羽織るから何でも一緒になるっていうか」

 はぁ、ああ、まあそうですかねえ。

「逆に夏って一枚着るだけでいいから色々変化を楽しめるし、そういう意味で意外と夏の方が面白いっていうか、なんかそんな風に思うようになってきましたねー」

 はぁ…………



 え、ちょっと待って。なに?この人、夏が好きか冬が好きかというトークテーマを、オシャレを楽しめるかどうかという観点で語ってるの?いやいやいや、そんな評価軸はこっちはもってないよ。俺は温度耐性のあとは、食べ物の美味しさの話をしようとしてたのに、なんだよ、一枚で完結するから色々楽しめるて。こちとら無地のポロシャツを3枚ローテするだけで楽しみもなんにもありゃしねえよ。なんならそれですら面倒だからその理屈でいうなら、コートさえ着てりゃいい冬の方が圧倒的に楽で安心だよ……くそっ、ちょっと将棋を指すからって油断していたが、こいつはやはり美容師……陽の気運を身に纏った根本的にこちら側とは別種の人間なのだ。よく考えてもみろ、俺より5歳ほど年上のはずなのに茶色のロン毛で何かウェーブしてる髪型のやつだぞ、語尾もなんかやたらと伸ばし棒がついている。駄目だ、こんな話をしていては、せっかくの指す将友達なのに、違和感ばかりが目立って今後の通院が楽しくなくなってしまう……一刻も早く将棋の話をしないと……


 あー、でも冬の方がタイトル戦は面白いの多くないですか?ちょうど竜王戦も始まったし、王将戦も冬やし、名人戦は春からやけど挑戦者争いのピークは冬やし……

「んあー、そうでしたっけ、もう竜王戦って始まってるんですかー」(しまった!この人、藤井聡太が全然失冠する気配がないからタイトル戦への興味が失われている!おのれ、藤井聡太……クレーコートでのラファエル・ナダルばりの勝率を毎年続けやがって……)

 あ、でも何かこう季節の変わり目になると、なんか新しい戦法試してみたくとかなりません?涼しくなってきたし、ちょっと飛車でも振ってみるかなー、みたいな……(いやいやいや、無理がありすぎるだろ。なんだよ、季節に合わせて飛車振るて。春は三間、夏四間、秋に中飛車、冬居飛車、じゃねーんだよ)

「それはちょっとわかりますー。気分転換で変な戦法指すのとか、春先とか冬先とか多いっすねー。そうやってブレた将棋指してるから、いつまで経っても昇段できないんすかねー」



 いや、わかるんかい!とツッコミを入れたい気持ちをぐっと自重して、無事将棋の話に軌道を逸らせたことに安堵して話をそのまま進める。ふぅ、やはり将棋の話はよい。そうそう、中飛車は自分が指しても相手が指しても、何かよくわからん形でごちゃごちゃやり合うことになるから苦手だよな。わかるよ、わかるマンだわ。わかるわかるマンだわ。


 「いやー、でもやっぱ話聞いてると、お強い感じありますねー。二段の壁はまだまだ先っぽいっす」

 いやいや、全然そんなことないですよ。俺もたまたま運が良くて昇段できただけなんで、◯◯さんも、じきチャンス来ますよ(うんうん、これこれ。こういう感じで気持ちよくなるためにここで髪の毛を切ってもらうのよ、そういう付加価値のために1000円カットじゃなくてわざわざ美容院に来るってわけよ)

 「いやー、また店暇なときに一局お手合わせ願いたいっすねー」

 そうですね、楽しかったし、また指しましょうね。

 「うーん、アレっすねー、白髪の感じ、なんかちょうどいいっすねー。これやったらまだまだ染めなくていいっすねー、いい感じっすよー」



 いやいやいやいや、最後に何言ってんだコイツ?いや、確かに白髪が気になる話はちょっと前の来店のときにしたのよ。少しずつ目につき始めてるなー、てこっちも自覚あるから。だから白髪の話をするのはいいんだけど、「白髪の感じがちょうどいい」て何?それはもう、白髪がメインになりつつあるそれやん。それって、最近のイチローとかギバちゃんに対して言う言葉では?俺の場合は「まだまだ目立たない」とか「気にならない」とか、そういう言葉で表現すべきでは?


 なんだかいたずらに不安な気持ちにさせられてしまったので、美容師という職業を「将来娘が結婚相手として連れてきたら難色を示すtier」上位に入れておこう。


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