散歩
ムギコちゃんを散歩させていると
と書こうとして、いやいや、ムギコちゃんを散歩させているとき、俺も同時に散歩してるやん、と気づく。
ムギコちゃんの散歩をする
という表現にすると、先ほどよりは多少主体性が出るものの、「する」というわりには動作が下半身に寄りすぎている。「する」という圧倒的な行為性は、手を中心とする上半身を動かすことを基本とするのではないか。
ムギコちゃんを散歩させながら俺も散歩する
紛うことなき真実であるが、真実すぎるがゆえにあまりにも情感がない。掛け替えのない愛犬とのラブラブランデブータイムなのだから、もう少し情緒に満ちたものでなければならない。
ムギコちゃんと散歩する
うん、これだな。「を」でも「の」でもない。そりゃそう。単純明快に、「と」が相応しい。
ムギコちゃんと散歩に行く
これもいい。
雨も止んだことだし、一緒に散歩に行こうか、ムギコちゃん。