「51.55」【9月23日(月)】

 時代のヒーローは個人の趣味嗜好を超越する。


 イチローが完投して、ゴジラがホームランを放ち、松坂が後輩風を靡かせていた。

 9月23日は、そんな伝説の月曜日となった。

 何年か前からやっている、イチロー率いる草野球チーム「KOBE CHIBEN」と高校女子野球選抜チームとの交流試合。世界の二刀流、Shohei Otaniの超絶大活躍に慣れ親しんでしまった令和の青少年からすれば、おじさんと女子高生の試合など、レベルが低くて見ていられないのかもしれないけれど、平成と共にあった壮年中年の者にとってはそうではない。

 イチローと松井秀喜が同じ空間で野球をしているという画面だけで、十分すぎるほどに見る意味がある映像なのだ。

 ことわっておくが、俺は特段熱心な野球ファンではない。むしろ、まだまだ野球実況中継というものが地上波で幅を利かせていた時代に、21時台22時台のバラエティ番組の視聴を妨げる野球はにっくきスポーツでさえあったと言ってよい。

 それでも普通に庶民的な生活を行っていれば、「国民の関心事」としてイチローやゴジラの活躍のさまというのは否が応でも目に入ってくるのが平成という時代であった。

 俺は昔から捻くれた人間だから、「数々の記録を打ち立てたイチローは日本の誇り」だと思ったことはないし、「ワールドシリーズで大暴れしてヤンキースを優勝に導いたゴジラから勇気をもらった」ことも一度もない。

 それでも齢50のイチローが、髪の毛の色以外はピンシャンしていて、投げて打って走る姿には胸を熱くさせてしまうし、同じく齢50の松井が、よたよた見るも無惨な守備を見せつつも、バッターボックスに立つや否や、在りし日の「ゴジラ」に様変わるのにはどうにも参ってしまった。

 それだけ彼らの存在の大きさと、野球というスポーツが平成年間を通じて築いてきた文化の大きさに嘆息する思いだった。

 令和を生きる青少年には、そういう時代のヒーローはいるのだろうか。20年後くらいにすっかりジジイになったヒカキンなんかを見てこみ上げるものがあったりするのだろうか。そうだったらいいのか悪いのかもわからないけれど、自分にもしっかりと大衆的なものが根付いていることを確認できた、良い野球視聴であった。

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