私が東海道を歩く10の理由
2020年の9月、私は東海道を歩くことを決意した。
東京日本橋から京都三条大橋まで、五十三の宿場を結ぶ全長500kmにも及ぶ日本一の街道、それが東海道である。
「東海道を己の足のみで歩く」
なぜ私はそのような困難に挑んだのか。
実際に東海道を歩いた記録とともに、その理由を読者の皆様にお伝えできればと思う。
2020年9月19日 1日目
その日は天気の良い秋晴れだった。
私は朝から電車に乗り、住んでいる大阪から京都の三条大橋に赴いた。
三条大橋を前にして、気持ちの昂りを感じずにはいられなかった。
今から私は、あの古典的名著「東海道中膝栗毛」と同じ旅に出るのだという高揚感を……
「東海道中膝栗毛」はもはや説明不要だろう。江戸時代後期の作家・十返舎一九が書いた滑稽本である。
弥次郎兵衛と喜多八、通称弥次さん喜多さんが東海道を徒歩旅行する珍道中をユーモラスに描いた作品だ。
弥次喜多のように東京から出発とはいかず、京都から東京に向けて逆のルートを歩く形となるが、それでも東海道を膝栗毛(=徒歩)で旅することに変わりはなかった。
私が「東海道中膝栗毛」を初めて読んだのは18歳の頃である。その物語の面白さは若き私の心をとらえて離さなかった。
下半身不随の喜多さんがまた歩けるようになる可能性を聖人の遺体に見出し「ぼくはまだ『マイナス』なんだッ!『ゼロ』に向かって行きたいッ!」と慟哭するシーンは胸が震えたし、8th.STAGEで弥次さんが大統領に敗れ、喜多さんに後を託して絶命するシーンは涙無しには読めなかった。
それまで一番好きな部は5部だったが、なんなら7部が一番面白くない?とまで思ったものだ。
東海道を歩く理由① 「東海道中膝栗毛」に憧れたから。
11時過ぎ、いよいよ私は三条大橋から東に向かって歩を進めた。
気温も高すぎず、歩くには最適の気候だった。
蹴上のあたりはすごく雰囲気が良い。なんかこう道とか緑とかが…なんかいいな~と思って歩いていたら、道を間違えた。
最初意味が分からなくて混乱したのだが、さっきの写真の国道一号線をそのまま歩いて進むと東海道から外れてしまうのだ。一号線から枝分かれしているこの狭い道こそが東海道であり、1キロほど歩いたあとで地図を見てそのことに気がついたため、まあまあの距離を引き返す羽目になった。
引き返すのだるいな……と思ったが、こんなことで挫けてはいられない。
「東海道中膝栗毛」の弥次さんも言っていた。
「オレはこのTDH(とうかい・どうちゅう・ひざくりげ)レースでいつも近道を試みたが、『一番の近道は遠回りだった』『遠回りこそが俺の最短の道だった』」
(十返舎一九「東海道中膝栗毛」より引用)
「一番の近道は遠回り」
その言葉を胸に、この遥かなる東海道を歩き続ける覚悟を新たにした。
しばらく狭い道を歩いているとまた広い道に出て、JR山科駅周辺に辿り着いた。
お腹が空いたので偶然見かけたこじゃれたレストランで遅めのランチとしゃれこもうということで、こじゃれたハンバーグランチをいただいた。
こじゃれたハンバーグは大変おいしかった。こういう「こじゃれ」に出逢えることも東海道徒歩旅行の醍醐味なのである。
東海道を歩く理由② 「こじゃれ」に出逢えるから。
そのあと山科駅前のカフェで一休みしていたら、なんと二時間も経過していた。ツイッターを見たり漫画を読んだりしていただけなのに…
気合を入れ直して再び東海道を歩き始めた。
しばらく歩いていたらすっかり日が暮れてしまったが、私は歩みを止めなかった。足に疲労が蓄積しているのが自分でも分かったが、「歩みを止めたくない」「歩き続けたい」という東海道に対する私の熱いパトスは、とどまるところを知らなかったのだ。
19時を過ぎた頃、ついに私は辿り着いた。
五十三の宿場のうち、三条大橋から数えて一つ目の宿場、大津宿である。
宿場と言っても今は跡地の看板しか立っていなかったが、私は達成感でいっぱいだった。
残りの宿場は五十二。まだまだ道のりは果てしないが、着実に私は東海道を進んでいる。
たとえ蟻のような歩みであったとしても、歩き続ければ、いつか必ず目的地に辿り着くのだ。歩みを止めさえしなければ……
大津宿跡地からJR大津駅まで徒歩10分ぐらいなので、そのあとは歩いて駅まで行き、駅前のちゃんぽん亭でちゃんぽんを食べて、電車で大阪の家に帰った。
え??
そりゃあ帰るよ。だってもう夜遅いんだから。
なんか文句あんの??
東海道を歩く理由③ 帰りたくなったらいつでも帰れるから。
【東海道1日目】
移動距離…約10km(三条橋~大津宿)
残りの距離…約504km
2020年9月27日 2日目
前回の東海道旅から1週間が経った。
あの時東海道を歩いて感じた「熱」はいまだ私の中で温度を保ち続けていたのだ。
今再び、二度目の東海道へ。
私は電車(JR京都線新快速)に乗って、大阪駅から大津駅まで40分かけて赴いた。運賃は片道990円だった。
JR大津駅から前回のセーブポイントである大津宿まで歩いた。徒歩10分ほどだった。
ここからまた私は新たなスタートを切る。
目指すは500km先の東京・日本橋だ。
しばらく歩くとすぐ琵琶湖が見えた。琵琶湖の南端にかかる瀬田唐橋を渡る。
瀬田唐橋から臨む琵琶湖の情景は、それはもう素晴らしいものであった。
ゴミ捨て場に導かれるままに、私はひたすら東に向かって東海道を歩く。
14時ごろに次の宿場である草津宿にたどり着いた。跡地しか残っていなかった大津宿と違って建物が残っていたので、入場料を払って中に入ってみた。なんか昔の服とか書物とかが展示してあった。
まだ14時過ぎ。今日も本当に天気の良い秋晴れだ。まだまだ先は長い。さて………
よ〜〜〜〜〜〜〜し
帰るか!!
もう無理もう無理、だってもう18キロも歩いたからね。脚ガクガクよ?
あんたら一度に18キロも歩けんの?歩けないよね?まあ18キロ休みなしに歩いたわけじゃなくて途中ラーメン屋でラーメン食べたけど。それでも18キロも歩けるのかっつってんの。これ以上歩いたら命に関わるよ?東海道なめんなし。
というわけで私はJR草津駅から電車に乗って大阪に帰った。
【東海道2日目】
移動距離…約18km(大津宿~草津宿)
残りの距離…約486km
2020年10月3日 3日目
あれから一週間後、私は三度目の東海道に赴いた。
毎週末ずっと東海道を歩いているので、「暇なの?」「友達いないの?」という疑問がそろそろ浮かんでくることと思われる。
それでも私は歩き続ける。
そこに東海道があるから……
あと、暇だから………
東海道を歩く理由④ 暇だから。
前回のセーブポイントである草津宿まで電車で行き、そこからまたスタートする。運賃は片道1170円だった。
ここまでは割と街中を歩いていたが、ここからは滋賀県から三重方面へと東に歩くことになり、見晴らしの良い田舎道を歩くことが増えてきた。
三条大橋から数えて3つ目の宿場、石部宿に到着した。残る宿場はあと50。いける……!
4つ目の宿場・水口宿までの道の途中にあるJR三雲駅に到達したところでこの日は終わりにして、電車に乗って大阪に帰った。帰りの運賃は1520円だった。
なぜ4つ目の宿場まで歩かないのか。そこまで行くと電車がなくなるからである。ここから先の東海道は三重県に入るまで駅が一切無い。まさに地獄の淵を歩くヘル・エッジ・ロードなのだ。電車というぬるま湯に頭頂部まで浸かりきっている都会人にはこのような道を歩くことは到底不可能だろう。強靭な精神を持つ私だからこそ成し遂げることのできる偉業なのだ。え?バス?バスはある。でも田舎の知らないバスってなんか乗るの怖いから…
【東海道3日目】
移動距離…約18km(草津宿~石部宿〜)
残りの距離…約468km
2020年11月14日 4日目
前回の東海道歩きから1ヶ月の時が過ぎた。私は決して毎週一人寂しく東海道を歩く以外にやることのない孤独なおじさんではなく、色々予定があって忙しい時もあるのだ。友達とかもたくさんいるし、最高の仲間に囲まれて毎日がパーティーってなもんなのである。
東海道なんか歩いてる場合とちゃうんすわ!!!
それでも歩く、東海道を………
もはやなんでこんなことをしているのか自分でも全くわからない………
東海道を歩く理由⑤ 東海道を歩く理由はわからない。
いつものように電車で前回のセーブポイントまで向かう。前回のセーブポイントはJR三雲駅。運賃は片道1520円。1時間半ぐらいかかった。
う〜〜〜〜ん…………
高(たか)ない?そして、遠(とお)ない?
もしかして、このやり方を続けると、これから先東京方面に進めは進むほど高く遠くなる?
BGM:ずっと真夜中でいいのに。「暗く黒く」
そのような疑念が私の頭をもたげたが、考えないようにしてまた東海道を歩き始めた。
11月半ばではあったがこの日は快晴で暖かく、歩くにはよい気候だった。
しばらく歩いて、三条大橋から数えて4つ目の宿場である水口宿に到着した。残る宿場は49箇所。ふざけるんじゃないよ。
でも、見てくださいよこの美しき日本の秋。その牧歌的な美しさを……
東海道を歩こうなんて蛮行に出なければこんな美しさには生涯巡り会えなかったでしょうね。
一句詠みます。
東海道を歩く理由⑥ 秋満ちて いづこも同じ 東海道
というわけで日が暮れるまで歩き、5つ目の宿場・土山宿に到着したところで今日はクローズである。近くに駅はないのでバスで帰るしかない。田舎の知らないバスに乗るのは怖いと前に書いたが、勇気を振り絞って知らないバスに乗って帰った。帰りは2時間半ぐらいかかった気がする。
【東海道4日目】
移動距離…約19km(〜水口宿〜土山宿)
残りの距離…約449km
2021年2月20日 5日目
年が明けた。
真冬に東海道など歩いたら100%死ぬので冬の間は控えていたが、この日は2月にしては大変暖かい快晴の日だったので、東海道を歩きに行くことにした。
この道を行けばどうなるものか。迷わず行けよ………
大阪駅から約一時間かけて草津駅まで行き、そこからJR草津線に乗り換えて貴生川駅まで約30分かけて行き、そこからバスに乗って前回のセーブポイントである土山宿跡まで行く。
スタート地点に行くだけで毎回こんなことしとるんすわ。江戸時代の人は移動手段が徒歩しかなくて大変とか言いますけどね、江戸時代の人はこんな苦労してないですよね。江戸時代ね、年貢がどうとか飢饉がどうとかそら大変やと思いますわ。そやかて令和を生きるワシらも大変な思いして歯ぁ食いしばって生きとんすわ。やれ感染症だの、やれ高齢化だの円安だの、そんな中で片道2時間以上かけて東海道歩いとんすわ。なぁ!!
東海道を歩く理由⑦ 令和人の意地を見せるため。
土山宿から再び東海道を歩き始めると、神社が眼前に現れた。なんと神社の中を東海道が走っているのである。これには驚かされたし、なんとなくテンションが上がった。
神社が縁日みたいな雰囲気でいい感じだったのも束の間、しばらく歩くと完全なる山道になってきた。登山かな?と思った。
それもそのはず、滋賀県と三重県の県境にある鈴鹿峠にとうとうやってきたのだ。東海道の三大難所の一つに数えられる鈴鹿峠。望むところである。困難に挑むため、そして乗り越えるために私は生きているのだから…
東海道を歩く理由⑧ 困難を乗り越えるために生きているから。
あ~~~~~~しんどい。もう本当にしんどい。しんどいし何が悲しくて冬の山道を一人で歩かなあかんの?どういう余暇の使い方?アホなん?
と、こんな奇行に走った我が身の愚かさを呪ったが、鈴鹿峠は意外と大したことなく、峠を越えて無事三重県に突入した。
次の宿場に向けて歩く、ひたすらに歩く……
歩けども歩けども同じような景色で、日も暮れてきて心細くなってきたところでランチパックトラックと邂逅し、大いに高揚した。私は東海道を歩くという奇行の他に、ランチパックを100種類食べるという奇行も同時並行で行っており、奇行と奇行がクロスした瞬間に心打ち震えたのだ。これがスティーブジョブズの言ってたConnecting The Dots…?
東海道を歩く理由⑨ Stay Hungry,Stay Foolish
しばらく歩くといかにも東海道然としたいい感じの街道になってきた。これは…ゴールが近い…!
三条大橋から数えて7つめの宿場・関宿に到着だァーーーー!!JR関駅という駅も近くにある!!帰れる!!
この日の行程はここまでとし、JR関駅から3時間ぐらいかけて電車を乗り継いで大阪に帰った。行きと帰りが違うルートだったのは5回目にして初めてだった。
【東海道5日目】
移動距離…約18km(土山宿〜坂下宿〜関宿)
移動総距離…約83km
残りの距離…約431km
この記事を書いている今は2022年の7月。あれから一年半の時が過ぎた。私の東海道旅行記はいまだ三重県の関宿で止まっている。
なぜそこで止まっているのか?その一年半の間、何もなかったと言えば嘘になる。かといって何かあったと言えばそれも嘘になる。私は基本暇なので東海道歩きにいける日はいくらでもあった。
でもな~~もうセーブポイントに行くだけで電車で片道3時間かかるんスよ。往復で6時間よ?というかそろそろ日帰りがキツくなってきて泊まりで行かなきゃならない感じになってきた。そうするとまた金も時間もかかるっていうか…そもそも休日にちょっとずつ東海道を歩いて京都から東京まで踏破するというのが無理があるというか、東京行くまでに交通費いくらかかんねんっていうか……100%絶対不可能っていうかネ………
う~~~~~~ん…
う~~~~~~ん…
う~~~~~~ん…………
東海道の旅は終わったわけではない。
次回の旅の具体的な日程などは何も決まっていないが、行けたら行く。そう、行けたら行くのである。
行けたら行くイコール行かないみたいに捉える奴いるけど、それは人間理解が浅すぎるんですよね。私の行けたら行くは本当に行けたら行くやつだし、「行けたら行く」って言って本当に行って驚かれたこともあるし。だから東海道も本当にまた行けたら行く。行けたらね。
東海道を歩く理由⑩ 行けたら行くという気持ちで生きているから。
〜終〜