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映画「パレスチナの子供たち」

 イスラエルはユダヤ人以外の人たちはいくらでも殺してもいいぐらいに思っているのではないか。そう感じざるを得ないほど酷いことがパレスチナなで数十年にわたって進行している。
 これはジェノサイド(大量虐殺)であり民族浄化であるといっても過言ではない。決して「悪者」ハマスへの報復などではない。
 ハマスがイスラエルに対して越境攻撃をした2023年10月7日を起点とするならば、それ以降だけでもガザ側の死者は4万人を超え、そのうち3割程度が子どもの犠牲者とされる。
 イスラエルはこの攻撃はテロリスト掃討だと主張しているが、その犠牲になった子どもたちはテロリストなのだろうか?
 2024年10月8日(火)、映画「忘れない、パレスチナの子どもたちを」(イギリス/2022年/原題「Eleven Days in May」/カラー/84分)をアップリンク吉祥寺で観た。

アップリンク吉祥寺ギャラリーで開催中のハービー・山口氏のヨルダン川西岸地区写真展


 2021年5月の11日間、イスラエル軍の空爆によって少なくとも67人のガザの子どもたちが亡くなった。
 このニュースを見たイギリス人映画監督マイケル・ウィンターボトムは、パレスチナ人映画監督のムハンマド・サウワーフと協力して、これら若い犠牲者たちを追悼する映画を作ろうと決意したのだ。

子どもたちの死は数値や統計では測れない
 サウワーフ監督はいう「私たちは、子どもたちの死をニュースの数値や統計にすぎないものとして終わらせたくありませんでした。私たちの目的は、彼らの夢、思い出、そして彼らが思い描いた未来を記録することでした」。
 「この映画が、私たち一人ひとりに小さくとも何かをする力を与え、議論を呼び起こし、意識を高め、人類の連帯を呼び掛けるきっかけになることを願っています・・・子どもたちが苦しんでいる間に、私たちが沈黙することは許されません。私たちは、植民地主義や戦争の利益追求に燃料を供給してはなりません」(映画パンフレットより)。
 映画は亡くなった子どもたちの家族による思い出話から成る。「一緒にいて楽しい子だった」「兄は優しくてよくふざけあっていた」「無邪気な女の子だった」といった話から、母親の「すべてが息子を思い出させる。夢に出てくるのを毎晩待っています」といった悲痛な声まで。

同上


 そして変わり果てた姿になった彼ら彼女らにすがる家族たち、埋葬シーンなども次から次へと出てくるのだ。
 死体が多数ある、空爆された現場で叫ぶ声が聞こえるー「神よ!」。
 これほど死というものが日常、次から次へと起こる世界があることは今の日本では考えられない。しかし、パレスチナの人たちは死とともに生きている。いつになったら真の平和が訪れるのかと思わざるを得ない。
 一番幼い犠牲者は生後7か月の赤ちゃんだ。

何十年にもわたるイスラエルの占領と暴力
 イスラエルの現在の攻撃を昨年10月7日のイスラム組織ハマスのイスラエルに対する越境攻撃がきっかけだとよくいわれる。
 この認識は間違いだ。確かにエスカレートはしただろう。このハマスの攻撃を擁護するわけではないが、何十年にもわたるイスラエルによるパレスチナに対する占領と暴力の歴史を考えなければいけない。
 早稲田大学教授の岡真理著「ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義」(大和書房)によると、「ガザ地区は1967年以来、西岸とともに50年以上にわたってイスラエルの占領下にあります。さらに2007年以降は、イスラエルに完全封鎖されています」。
 「物資も人間も、イスラエルが許可する物しか搬入・搬出、入域・出域ができません…ガザで生産した物もガザの外に出荷することができない。ガザの経済基盤は破壊され、住民の多くが極度の貧困状態に置かれています」。
 ハマスにしても彼らはイスラエルが主張するようなテロリストではなく、民主的な選挙で住民に選ばれた組織なのだと岡教授はいう。
 アメリカをはじめとする大国の関与と背景にある軍事産業についても多くの識者が指摘しているところだ。 

 ハマスの越境攻撃から1年が経ち、日本の主要各紙も特集記事などを掲載した。例えば、10月8日付読売新聞夕刊はトップ記事で「イスラエルの多方面攻撃 ヒズボラやフーシ 190発超発射」と報じた。
 この見出しだけを読むと、「イスラエルが攻撃されてるんだなぁ 酷いな、ヒズボラやフーシ」って思ってしまうかもしれない。
 こういうことが積み重なると先入観が植えつけられる。こっちも悪いけどあっちも悪いとか、この問題に関しては瞬間風速的にはそういうことがいえても、歴史的に考えたら絶対的に悪いのはイスラエルだ。
 メディアの問題がある。
 日本のメディアの国際報道は外電に大きく影響される。外電つまり外国通信社・新聞社はいわゆるアングロ・サクソン支配である。
 そこは当然ユダヤ目線が色濃いと考えていいだろう。それをなぞって報じていれば当然、それを読む人もそういう目線になってくるのだろう。
 歴史に学ぶべきなのだ。
 かつてホロコーストで悲惨な経験を強いられたユダヤ人が、今やパレスチナでホロコーストを行なっている。
 長い長い歴史の審判を経ないといけないが、そういう観点からいえば、ユダヤ人あるいはイスラエルは自分に不利なかたちで歴史の上塗りをしてしまっているような気がしてならないのだが、どうだろうか?


 
  

 

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