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野見山暁治追悼展

 昨年102歳で亡くなった画家の野見山暁治(のみやまぎょうじ)さんを追悼する展覧会が練馬区立美術館(東京都練馬区貫井1-36-16)で2024年12月25日(水)まで開催されている。
 その「追悼 野見山暁治 野っ原との契約」を同11月22日(金)に訪れた。現在、フランスから帰国後から晩年までの後期の展示となっている。
 油彩画、ドローイング、版画に加えて、練馬区のアトリエでの野見山の愛用品など、前後期を通じておよそ80点が紹介されている。


 前期(2024年10月6日~11月10日)は池袋モンパルナスで過ごした東京美術学校時代から、戦後の炭鉱や骸骨といった具象的なイメージを描く時期を経てフランス留学に至るまでを概観した。
 呼び寄せていた妻・陽子を亡くし1957年にパリからライ・レ・ロースへ引っ越して以降、野見山は人間や風景といったモチーフを継続しつつ、線描と色面の組み合わせによって、平面性が強調され、表現主義的な傾向を持つ抽象化へと向かっていった。
 前期から引き続き展示されている作品の一つが《自画像》である。

《自画像》1937年 油彩・板

 さて後期展示に移ろう。
 野見山はスペインでの滞在も含めておよそ12年間のフランス留学から1964年6月に帰国した後、山や海など自然や身近な事物をモチーフにしながら独自のイメージを展開させ追求し続けた。
 1970年代、野見山は練馬区と福岡県糸島市に住居兼アトリエを構えた。この頃、東京藝術大学での教職をはじめ多岐にわたる活動をしており、油彩作品の数は減少する。しかし、ドローイングを通じた表現の模索は続いており、1980年代半ば頃から油彩画も数多く描かれた。

《岳》1966年 油彩・キャンバス 
《山から》1984年 インク・グワッシュ・紙 
《ある日》1982年 油彩・キャンバス 
《古びた衣装》1974年 インク・グワッシュ・紙 
《ニューヨーク》1984年 インク・グワッシュ・紙

 野見山は戸外で観察するだけでなく、アトリエの中でも風景を生み出した。アトリエに持ち込まれた枯れた雑草や古い舞台衣装を描いたのが《古びた衣装》という作品である。
 また、野見山は風景の中の水平線や地平線、あるいは建築物の輪郭線を、モチーフを囲い込んだり、画面を分断する境界を示す直線として画面に展開させていった。
 2000年代の作品の特徴の一つとして絵具を塗り重ねることによる重層的で複雑な色彩があげられる。
 もう一つの特徴は有機的でうごめくようなかたちだ。
 これは野見山が自然の景色や身近な事物を描く中で探って来た心象風景がそのような動的なイメージで現れたといえるかもしれない。

《束の間》²004-2016年 油彩・キャンバス 
題不詳(絶筆)2023年 油彩・キャンバス

 野見山は1920年、福岡県飯塚市に炭鉱経営者の子として生まれる。
 中学校で美術部に入り、将来画家になることを決意。
 中学校を卒業後、東京美術学校油絵科予科に入学、翌年本科へ。
 その頃はもっぱら炭鉱を描いていた。
 およそ12年間のフランス留学を経て、抽象画へと変わってゆく。
 文化勲章受章者。
 2023年6月22日に亡くなった。102歳だった。
 著書が多数ある。

 同追悼展の開館時間は午前10時から午後6時(入館は午後5時半まで)。休館日は月曜日。観覧料は一般500円、高校・大学生および65-74歳300円、中学生以下および75歳以上は無料。
 


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