「脱原発社会を目指して」
茨城県・東海村元村長の村上達也さんはいうー「福島第一原発事故の時には54基の原発が動いていて、さらに14基を作ろうとしていた。事故後もいまだにそのことが尾を引いているんです」。
「敦賀もそう、大間もそう、新たに作ろうとしている。とてもじゃない。地震のあるところに原発を作るなんて世界の非常識です」。
「JCO臨界事故を経験して思ったのは日本人は夜郎自大だってこと」。
「役人たちと話していて、例えば「アメリカと比べ原子力規制に係る人が足りないのではないか」などというと彼らは「日本人は優秀で真面目だから大丈夫だ」という」。
「そういう姿勢で科学をやるんですよ。敦賀などの若狭地方なんてあの半島だらけの地形を見たら安全なはずがないでしょう?能登だってそうでしょう。小学生にも分かりますよ、地図を見れば。女川、玄海みんな(地形が)ギザギザなところに作っている」。
村上さんは原発施設が集まる東海村の村長に1997年選ばれた。99年に地元で起こったJCO臨界事故(作業員3人が被爆、うち2人が死亡)や2011年の東京電力福島第一原発事故の対応に当たった。
それらの経験を踏まえて村上元村長は、2024年8月2日(金)に婦選会館(東京都渋谷区代々木2-21-11)で開かれたセミナー「なぜ日本は原発を止められないのか?~脱原発社会を目指して」で話をした。
村上元村長は、政治を決めるのは最後はやはり普通の人々だという。
「結局は民衆ですよ。官対民ということでいえば、官というのは利益共同体を作る。それに対して民衆は闘ってきた。だが今、原発について民衆、国民のみんなが福島事故のことを忘れかけている」。
「能登半島地震のことだって半年経って「まだテレビでやってるのか」という反応です。世の中の流れが速くなっている分、忘れやすくなっている」と村上元村長は心配する。
それを食い止めるためにはとにかく多くの人に現場に行ってもらうことだと村上元村長はいう。「福島なら新しく作られた双葉のきれいな駅の所に立ってみるといい。そこには誰もいませんから。福島の除染残土だって黒い袋に入れられて積み重ねられ、「21世紀のピラミッド」です」。
「それで除染したからなんて言ってるけどばかばかしい。広大な山林(阿武隈山地)は除染ゼロ。とにかくそういう実態を知るためには行ってもらうことです」。
さらに、福島県双葉町から現在は埼玉県加須市に避難している鵜沼久江さんも現地を見てほしいと訴える。「双葉にいらっしゃってください。いつでもご案内出来ますのでどうぞ。中間貯蔵庫の中に私の土地があるので許可をとってあるので、そこにも入れます。現地をご覧になってください」。
福島第一原発が立地する自治体のひとつ双葉町。鵜沼さんは事故の翌日3月12日から原発から10キロのところへ避難。しばらくしてさいたまスーパーアリーナに来るまでは「厳しい生活を強いられた」。
一旦は双葉に戻って様子を見たが、牛が重なり合って死んでいたという。
鵜沼さんはご主人としばらくさいたまスーパーアリーナで避難生活を送っていた。ご主人は「自分の暮らす基盤を埼玉に作らなければ」と前向きに話していた。そうこうするうちにご主人は血液検査で食道がんだと分かる。
大腸がんにもなった。そして2年目には肝臓がんも見つかる。「主人の最後の言葉は「俺は放射能にやられたんだ」」でした。避難して3年目、それから一人になりました」と鵜沼さんは話した。
また、「原発銀座」といわれるほどに原発が多数立地する福井県の細川かをり県議もこの日のセミナーに参加した。
「「近畿トライアングル」という地震の巣と「ひずみ集中帯」の両方が重なっているところが原発銀座なんです。一番危ないところによく原発をあれだけ作ったもんだなって」。
敦賀が故郷の細川さん。福島第一原発事故の後に耐震基準が見直されました。例えば、高浜原発なら550ガルから700ガルへ、大飯ならば700から856へ、美浜は750から993へと見直された。
しかし、「2007年の中越沖地震の時に柏崎で2000ガル以上だったことを考えると、私はまったく足りないと思っている」という。
福井県議は36名いる。無所属である細川さんを含めて「党派などのしばりなく自由にモノが言える」のは4人だけだと話す。
そして原発が集中する「ほぼ嶺南地域の人たちの意見中心に原発のことは決めているんです」と地元の事情を解説した。
「福井県は原発に優しい県なんです」と細川県議。驚いたこととして話したのは「敦賀原発の手前に洞穴があって、そこに低レベル放射性のモノ、例えば作業服だとかが積んであるんです。原発に関して(推進派は)いいとこどりをするけれど、後始末が大変なんです」。
また、基調講演を行ったジャーナリストの青木美希さんは避難者への住宅提供を政府が打ち切ることに関して憤りを隠さない。
昨年12月半ばに福島県浪江町に青木さんは行った。避難解除されて国が「住むことができると言っている場所」で「アラームが鳴り出したのです。除染はしてあるけど、事故前の10倍(の放射線量)でした」。
「住宅提供を打ち切られたら住むところがないので帰らざるをえなくなって(依然として放射能リスクが高い)福島に帰ってきている人たちがいるんです。これが国の施策なんです」と青木さんは話す。
「地元では医療や介護などがまだちゃんと受けられない。それにもかかわらず、実質的な協議もされずに国は避難指示を解除し、そのうえ、解除の見通しがたたない帰還困難区域のところも含めた全避難者への住宅提供を打ち切る」というのだ。
福島の問題は東京都も無縁ではないと青木さんはいう。新宿御苑や所沢に汚染土を試験的に持ってこようとしている。「今後、全国の自治体に汚染土を使ってもらうための布石です。汚染土を全部運びだしたいので、防潮堤などを作る時に使えると(国は)言っているのです」。
「日本の会社ってどうやったら自分たちが儲けられるかってことだけを考えているのであって、社会のことを考えているわけではありません」。
「結局のところ、会社、ビジネスはインセンティブで動くんで、再エネのほうが儲かるのなら変わります」。
そして「政治を変えないといけない」と青木さんは強調した。