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山内若菜展@第五福竜丸

 太平洋のマーシャル諸島近海のビキニ環礁で日本の遠洋マグロ漁船・第五福竜丸がアメリカの水爆実験によって死の灰を浴びて、乗り組み員23名全員が被ばくしてから今年で70年。
 その節目の年に都立第五福竜丸展示館(江東区夢の島2-1-1夢の島公園内)で2025年1月19日(日)まで「山内若菜展 ふたつの太陽 命を紡ぐちいさな生きものたち」を開催中。(月曜日休館)
 2024年11月4日(月・振)に訪れた。

第五福竜丸展示館正面 
展示会入り口の《神々の船》


 「この展示館がこれほど多くの絵で埋まったことはこれまでにありません」と第五福竜丸平和協会の市田真理事務局長は話す。
 原爆、福島などを巨大なキャンバスを中心に描いている山内若菜さん。そういうテーマで描いているから告発調なのかと思いきや、若菜さんは「一番言いたいのは小さな命の発露ということなのです」という。
 午前10時半になると若菜さんによるギャラリートークが始まった。若菜さんは《牧場 放》という大きな作品の前に立った。
 「福島で死んでいった生きものたちを生き返らせて、死を生に反転させているのです」と若菜さん。

《牧場 放》

 若菜さんは東日本大震災・東京電力福島第一原発事故の二年後の2013年から福島に通い始めた。飯舘村では放射能の影響からだろう40頭以上の牛が変死した。また死産する牛も少なくなかった。
 若菜さんは「福島滞在中に死んでゆく牛や馬を見ました。その命のあり方を見て、またイノシシが増え過ぎて、捕らえて檻に入れ、殺す手伝いもしました。ある時、イノシシが檻にぶつかって、真っ赤な血が出て、それが自分にかかったことがありました」と話す。
 この絵の左下に描かれているイノシシの赤がそれだという。また、牛に乗っているのは牧場主の娘さんだと説明する。
 絵に動物の毛や自分の毛を混ぜ込んだと若菜さんはいう。「それによって”生き返るように”と呪術行為をしているのです」。
 次に今回の展覧会のタイトルにもなっている大作《ふたつの太陽》の前へと移動した。「絵巻物風のこの作品を見て自分なりのストーリーを考えたり感じてほしいのです。たくさんの生きもの、命が潜んでいる作品です」。

《ふたつの太陽》
《ふたつの太陽》の前の若菜さん

 「この作品は最初は黒だったのですが、命の讃歌を描くなら多くの色を使わなければと考えて、多色になったのです」。
 横長の作品の左側に第五福竜丸、被ばくマグロなどが描かれ、右半分には樹木などが描かれている。若菜さんは「この二つーー「第五福竜丸」と「讃歌 樹木」が組み合わさってふたつの太陽なのです」と説明する。
 その間に被ばくアオギリ、被ばくモチノキなどが描かれている。

《ふたつの太陽》(部分)


 そして若菜さんはこんな話もした「広島サミットのためにバッサリ切られた被ばく樹木があったんです。そのために私はしだれ柳のハートのような形の切り株を描き足したんです」。

《ふたつの太陽》(部分)

 「小さくとも大きな力がこの世の中を形作っていると思います。小さくとも美しい。そんな灯(ともしび)がメラメラと大きくなって希望の灯(ひ)をかかげるのです。実は私たちは小さくはないのです」。
 若菜さんは続いて《刻の川 揺》という4.5メートルX3.2メートルというこれまた大きな作品の前へと進み出た。
 手が被ばくして真っ黒になっている少女が描かれているが、「”誰かが私のことを分かってくれるだろう”と人を信じている少女です」と若菜さんは話す。右下には被ばくした猫も描かれている。

《刻の川 揺》の前で説明する若菜さん

 「見るべき広島の”痕跡”がたくさん描かれている作品です」。
 若菜さんは「たくさんの問題はつながり合っています。平和、原爆、原発、第五福竜丸・・・そのつながり合っている空間を(自分の作品で)体現することが出来たような気がしています」という。
 入口近くには《牧場 放》、《刻の川 揺》と並んで三部作のもう一つ《天空 昇》が展示されている。
 これは長崎を描いた作品で、原爆投下で破壊され、後に再建された浦上天主堂に向かっていろいろな動物の体が組み合わさった不死鳥が火の中から飛び立つ様子が示されている。

《天空 昇》 

 若菜さんは1977年、神奈川県生まれ。絵が好きで小学生の頃から「自由な絵描き」になりたかった。夢をかなえるために武蔵野美術短大専攻科を修了したが、卒業後に就職した会社で試練が待っていた。
 いわゆるブラック企業だったが15年勤めることになったのだ。
 また派遣会社で働いている時に、ハムを運んでいると転んでしまった。しかし、若菜さんを気遣う言葉がかけられる代わりに「ハムは大丈夫か?」。若菜さんは「私はハム以下なのかと思いました」という。
 生きる道に迷っていた若菜さんだったが、一つのきっかけは3・11だったという。福島で見た牛や馬たちの命。
 画家一本でやっていくことを決意した。
 若菜さんは2009年、ロシアで「シベリア抑留を忘れない文化交流」を開始し、以降、ロシア国立極東美術館などで定期的に個展を開催。2017年には同美術館で「牧場展」を開催した。
 2016年と2021年には丸木美術展で個展を開いた。丸木夫妻の描いた広島の絵には衝撃を受けて熱心に模写をしたという。
 そして2023年、福島県南相馬市の「おれたちの伝承館」の天井画となる作品を制作した。2021年、第8回日経日本画大賞受賞。
 また、小学校に出向いて授業を行なったり、講演会なども行っている。
 「片瀬山Gallery Espoirーきぼうー」(神奈川県藤沢市片瀬山3-34-4(加藤宅):℡090-8776-7501)では若菜さんの作品が常設展示されている。
 また彩流社から若菜さんの著書「いのちの絵から学ぶ 戦争・原発から平和へ」が発売される。本体2000円。

展示されている第五福竜丸 
水爆ブラボーの写真 
第五福竜丸の被爆を説明するパネル 
第五福竜丸のエンジン 1967年に廃船となり、他の船のエンジンとなる しかしその船が1968年に座礁・沈没し海中に沈んだ 1996年になって海中からひきあげられる 東京都がそのエンジンの寄贈を受けて第五福竜丸展示館前で展示されている




 


 

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