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「沖縄戦の図」監督に聞く

 今の日本に生きる人たちにぜひ見て、そこから何かを感じてもらいたい映画がやって来た。『丸木位里・俊 沖縄戦の図 全14部』である。
 画家の丸木位里さんと丸木俊さんが共同で描いた沖縄地上戦の全14部の絵をひとつひとつ順番に紹介していく映画だ。
 2023年7月15日(土)、「ポレポレ東中野」(東京都中野区東中野4-4-1)での上映初日にあたり、監督を務めたNHKの元ディレクターの河邑厚徳(かわむら・あつのり)さんに聞いた。

河邑厚徳監督 


 「日本が曲がり角に立って、戦争に片脚を突っこんでいるのではないかと思えるような今、沖縄戦を考えるというのは、日本に住む私たちにとってストライクド真ん中のテーマだと思います」と河邑さんは語る。
 「いつも沖縄が犠牲になります。辺野古沖の基地建設問題も全然進展がないし、南西諸島にミサイル基地を建設する動きなど、日本の安全のためだといわれると、みんな『そうなんだ』と思うようになっている」。
 「また、月に一度くらい北朝鮮がミサイルを発射してアラートが発せられる度に、防衛力(増強が必要なん)だと自然に刷り込まれていく。巧妙に操作されているような感じがします」。
 意識に刷り込まれて心理操作されてしまいやすい日本人について、河邑さんは「明治以来、人と同じでなければいけないという同調圧力が強くて、それは教育によるものだ」と分析。
 「つきあいのあった(評論家の)加藤周一さんにいわせると、これは『日本人の集団主義』で、家族を含めた組織を重視し、個性がなく、個人は集団に埋没してしまっている」と河邑さんはいう。
 河邑さんによると、兵士も上官に従い軍隊という集団のため行動するが、今の会社員も上司に従い会社という組織のため行動しており、通底するものがある。「戦争というのはいきなり起こる話なのではありません」。

丸木俊さんと丸木位里さん 撮影:石川文洋氏


 そんな日本人を覚醒させる力を持つのが芸術だと河邑さんは信じている。
 丸木位里と丸木俊という「二人の天才画家が描いている『沖縄戦の図』の中に人の心に訴えるものがふんだんにあるのを発見し、徹底的にそれらの絵と対峙していこうと思ったのです」と河邑さんは語った。
 河邑さんはNHKのディレクターとして沖縄の本土復帰直後から沖縄について歴史、紀行、芸能、戦争など幅広いテーマで10本以上の番組を作って来た。「ディレクターとして一番通った島が沖縄です」。
 河邑さんが、丸木夫妻の『沖縄戦の図』がある佐喜眞美術館を訪れたのは2020年のことだった。14枚の絵のうち6点が展示されていて、「その中で一番大きい『沖縄戦の図』に心を掴まれてしまった。衝撃だった。一つのアート作品を見てあれほど身が震えたことはなかった。これは凄いと」。

佐喜眞美術館  
「沖縄戦の図」の前で唄う新垣成世さん


 「この凄さを伝えたらまったく新しい映像作品になると直感的に思いました」と河邑さん。そして、全14枚の絵を1から14まで見ていく、いわば映像によるストーリーで沖縄戦を俯瞰して見ていき、同時に戦争にいろいろな側面があるのが見えてくれば、今までやったことがないドキュメンタリーになると思ったという。
 河邑さんは今までのドキュメンタリーの手法に限界を感じていた。沖縄戦については新しい資料や米軍の映像を使ったりして、戦後あらゆる媒体において企画されてきたが「見ている人に届いていなかった」。「届いていたら今のような状況でないはず」だという。
 「沖縄戦の図」全14部は丸木夫妻が「沖縄戦について日本人が撮影した写真が一枚もなく、すべてアメリカ人が写したものであることから、日本人側からの目で見たものを形に残しておかないといけないと思って、どうしても描かなければいけない」という思いで描いた。

河邑厚徳監督 


 沖縄戦の図の連作は、「久米島の虐殺1」、「久米島の虐殺2」から始まる。丸木夫妻は日本兵が行った島民たちの虐殺に強い関心を抱いていたという。次が「亀甲墓」。接収された土地で今は米軍基地になっている中に多くの島民の墓が残されている。
 そして「自然壕(ガマ)」、「喜屋武(きゃん)岬」。さらに「集団自決」。人は敵兵を「鬼畜米英」と刷り込まれて彼らにレイプされて殺されるくらいならば家族同士で死んだ方がましだと考えてしまったのだ。「戦争悪がここに凝縮されている」と丸木夫妻は考えた。
 河邑さんも「皇民化政策という教育によって人はそこまで変わることが出来るのだろうか」との問いを発している。
 そして「暁の実弾射撃」、「ひめゆりの塔」、「沖縄戦の図」、「沖縄戦ーガマ」、「沖縄戦ーきゃん岬」と続き、読谷三部作ー「チビチリガマ」、「シムクガマ」、「残波大獅子」で締めくくられる。

「チビチリガマ」の一部


 「シムクガマ」という作品は出稼ぎでハワイに渡り沖縄に戻っていた読谷村出身のウチナーンチュ(沖縄人)の説得で自決を免れて脱出して助かったあとの「空っぽのガマ」が描かれている。河邑さんは「これを最後に持ってくるところが丸木作品の凄さです」という。最後の最後の「残波大獅子」は読谷村の若々しい希望が描かれている作品。
 1945年3月26日に米軍は慶良間諸島を占拠し、4月1日に沖縄本島西海岸から上陸した。牛島満司令官らが自決した6月23日に沖縄戦が終わったとされる。連合国の終了宣言は7月2日。降伏調印式は9月7日。
 沖縄戦での両軍および民間人を含めた地上戦の戦没者は20万人を超えるとされる。日本側の死者・行方不明者は18万8千人。そのうち沖縄出身者は12万2千人で、そのなかで民間人が9万4千人を占めていた。沖縄島民のなんと4人に1人が犠牲になったのである。

 7月28日(金)までポレポレ東中野にて公開中。8月1日(火)~8月6日(日)の東京都写真美術館ホール(東京都目黒区三田1-13-3)ほかにて全国順次公開。


 
 
  
 
 

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