タブ純 吉田正を歌う
昭和を代表する作曲家の一人で国民栄誉賞受賞者、吉田正さん の出身地は茨城県日立市である。その功績を称え、楽曲を後世に残していくために同市には吉田正音楽記念館がある。
その記念館による「大屋根広場コンサート~吉田メロディーを継承するアーティストたち~」が2023年12月17日(日)に日立市役所大屋根広場(茨城県日立市助川町1-1-1)で開かれた。
登場したのは「女ギター流し・シンガーソングライター」のおかゆさんと昭和歌謡漫談のタブレット純さんの二人。
最初に登場したのはおかゆさん。彼女は2014年からギター一本抱えて流しを始めて、5年後には47都道府県を制覇。「その流しの時に吉田メロディーの名曲の数々のリクエストを受けました」。
「インディーズ時代にBS日本テレビで歌ってほしいとリクエストされた歌」だとしてまず披露したのは「傷だらけの人生」だった。
これは鶴田浩二の歌唱でヒットした。語りが入っていることでも有名だ。もちろん、おかゆさんもその語りを再現した。
「昭和の時代の古風な硬派な歌ですが自分でも懐かしく唄えるのです。それは吉田先生の都会的なメロディーラインが魅力的だからだと思います」。
続いては「和歌山県を訪れた時に碑が建っていました」といって「和歌山ブルース」を歌った。古都清乃が昭和43年にリリースして、10年以上経ってから有線放送で火が点いた歌である。
吉田メロディーは一旦お休み。「私の天国にいる母が一番好きだったペドロ・アンド・カプリシャスの「ジョニーへの伝言」」といって、おかゆさんは見事な歌唱を披露してくれた。
「昨年(2022年)10月に秋元順子さんに「一杯のジュテーム」という曲を提供しました。NHKラジオ深夜便のテーマ曲に採用されて一か月間ラジオでずっと流れました」といって作者のおかゆさんが歌った。
おかゆさんがデビューした2019年、NHKの「うたこん」に出演して秋元さんの「愛のままに」を歌った。おかゆさんと同じ誕生日の秋元さんとの不思議な縁を感じるという話をした。
次はオリジナル曲で今年、オリコン演歌・歌謡曲ランキングで1位を記録した「渋谷のマリア」。
「道玄坂でマリアは生まれたの」で始まり、「歌うのが大好きな母の姿見て」「雑踏にまぎれて育てられた」といった歌詞が並ぶ。
「渋谷のマリアは気付けば独りぼっち。ギターを抱えて歌っているよ」とあるように、まさにおかゆさんの自伝的楽曲ともいえよう。
ここでおかゆさんに代わってタブレット純さんがフランク永井さんの「東京カチート」を歌いながら登場した。
挨拶が済み、タブ純さんは言った「お天気のいい日にお散歩していたら後ろから「どけ!ババア」と言われました。ニセ・アルフィーともいわれています」。会場中で爆笑が起こった。
そしてタブ純さんは日立市との関わりについて「5回くらいプライベートで来ています。吉田先生の記念館には3回行きました。そして動物園でカピパラと遊んで、駅の近くの銭湯に入って帰るコースがあります」と話した。
ここでタブ純さんは似顔絵を使ってのものまねを披露した。
タブ純さんは22年前に古本屋の仕事をやめて和田弘とマヒナスターズに加入した。そのマヒナのナンバーでタブ純さんが一番好きなのは「泣かないで」だが、この日は「泣けるうちゃいいさ」と歌った。
ギターのチューニングをしているかと思いきや、いきなり「コモエスタ赤坂」を歌い始めた。続いて、タブ純さんがマヒナに入って初めてソロをとった思い出の曲「公園の手品師」。
久保浩の「霧の中の少女」、三田明の「美しい十代」と続けた後は、タブ純さんのオリジナル「銀河に抱かれて」。この曲は今年、NHKラジオ深夜便の曲としてオンエアされた。「今年嬉しかった出来事です」。
フランク永井の「霧子のタンゴ」が終わると、おかゆさんが再びステージに戻ってきて、タブ純さんとしばしトーク。
すると会場の最前列にいた元NHKアナウンサーの宮本隆治さんがおかゆさんに呼ばれてステージに上がった。
宮本さんはおかゆさんとは面識があったが、「タブ純さんと会いたくてプライベートでやってきたんです」と話した。
せっかくだからということで宮本さんも参加。「誰よりも君を愛す」の一番をタブ純さん、二番をおかゆさん、三番を宮本さんが歌った。
歌い終わるとタブ純さんが低い声で「うまいじゃねえかよ」。おかゆさんは「ちょっとフランク永井さんっぽい」とコメントした。
次も3人で「東京ナイトクラブ」。タブ純さんとおかゆさんの「寒い朝」の後、3人で締めくくりの「いつでも夢を」を歌い上げた。これはもちろん橋幸夫さんと吉永小百合さんのデュエットで日本レコード大賞受賞曲。
会場は天井があるもののほぼ外。気温はおよそ7度と冷え込んだが、会場は歌あり笑いありのステージでボルテージが上がった。
そんな2時間だった。
(余談:1998年、吉田正さんに国民栄誉賞が授与されるという発表の場に私はいた。首相官邸記者クラブにいたからだ。村岡兼造官房長官が発表し、理由として「異国の丘」に戦中戦後、多くの人々が勇気づけられ、吉田メロディーは戦後の日本を明るく照らしたと評価したという記憶がある。会見終了後、私は吉田先生の奥様に電話してコメントをもらった。長いコメントでなかったのでおそらく「驚きました」といったものだったのだろう。授賞式にはご遺族のほか、橋幸夫さんと作曲家の遠藤実さんがいらっしゃった。橋本龍太郎首相から授与された。)