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自然に勝るアートなし:坂本龍一展

 坂本龍一といえば世界的な音楽家だが、私にとっては原発や神宮外苑再開発問題などで積極的な発言をした環境活動家でもあった。
 反原発を訴えて集会に参加したり、神宮外苑の再開発反対を小池百合子東京都知事宛てに手紙を送り、訴えた。
 だから坂本さんが亡くなった後のニュースで音楽家としての側面だけを報じることに終始して、彼の環境保護運動とりわけ反原発について一切触れない報道があったのを怪訝に思ったのである。
 それも彼にとっては人生におけるアートだっただろうにと思ったからだ。
 音楽では、坂本さんは嫌がるだろうけれど、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のテクノポップや1999年のミニ・アルバム『ウラBTTB』の「Energy Flow」といったメロディアスな作品が大好きだった。
 特に『ウラBTTB』の3曲は私がメンタルをやられて苦しんでいる時に繰り返し聞いて心を癒された作品たちだったのだ。
 そんな勝手な個人的思い入れを抱きつつ、東京都現代美術館(東京都江東区三好)で2025年3月30日(日)まで開かれている日本初の最大規模の個展「音を視る 時を聴く 坂本龍一」を同2月4日(火)に訪れた。


 開館時間は午前10時から午後6時まで(3月7日、14日、21日、28日、29日は午後8時まで/展示室入場は閉館の30分前まで)。休館日 は月曜日(2月24日は開館)、2月25日。
  観覧料は一般2400円、大学生・専門学校生・65 歳以上1700円、中高生960円、小学生以下無料。

 

 坂本さんは自然に勝るアートはないと思っていたことはおそらく間違いないと思う。いくら頑張っても自然には勝てないと分かっていたのだろう。
 自然の素晴らしさを人工的なインスタレーションを通じて表現しようとしているのを見ると、どこかしら矛盾を感じてしまう自分がいる。
 しかし、坂本さんは生涯にわたって追求し続けたことはそういうことだったのではないだろうか。
 そんなことを思いながらインスタレーション作品を見ていった。

 坂本さんも分かっていたことだろうが、人間も自然の一部であり、そのことを自覚すべきで、ゆえに人は自然をやみくもに痛めつけてはいけないと。
 それゆえに小池都知事に送った手紙で次のように書いた。
 「率直に言って、目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。これらの樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎません。この樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です」。

神宮外苑のイチョウ並木(2024年10月28日撮影)


 本展では、坂本さんの創作活動における長年の関心事であった音と時間をテーマに、未発表の新作と、これまでの代表作から成る没入型・体感型サウンド・インスタレーション作品10点あまりを、美術館屋内外の空間にダイナミックに構成・展開して紹介している。
 自然と音と時間ーー何て研ぎ澄まされた関心事の収斂なのだろう。2023年3月28日に71歳で亡くなるまで50年以上に渡り、多彩な表現活動を通して時代の先端を切り開いてきた坂本さんが到着した境地。
 坂本さんは90年代からはマルチメディアを駆使したライブパフォーマンスを展開し、さらに2000年 代以降は、さまざまなアーティストとの協働を通して、音を展示空間に立体的に設置する試みを積極的に思考、実践。 
 自然と音と時間を人が体感するのは目と耳を通してだ。坂本さんの先駆的・実験的な創作活動の軌跡の一つの極みにあったのは創作活動をする人間自身すなわち自然への回帰にあったのではないだろうか。

 コラボレーション・アーティストは:高谷史郎(たかたにしろう)、真鍋大度(まなべだいと)、カールステン・ニコライ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、Zakkubalan、岩井俊雄(いわいとしお)で、スペシャル・コラボレーションの相手は中谷芙二子(なかやふじこ)。
 坂本龍一+高谷史郎 両氏のコラボレーションによる作品5点が展示されている。 坂本さんが2011 年の東日本大震災の津波で被災した宮城県農業高等学校のピアノに出会い、泥水を浴びて「音が狂ってしまい」元に戻ることがないピアノ、それを「自然によって調律されたピアノ」と捉えて作品化した《IS YOUR TIME》(2017/2024)。



 水に”浮かぶ”被災ピアノ。そのピアノの上空には”空”が作られており、しかし、その空には無数の”雪”が舞っている。
 大自然の営みによって一つのモノに還ったピアノが世界各地の地震データを使って、地球を鳴動する装置として生まれ変わった。

「坂本龍一音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、2024年 坂本龍一 with 高谷史郎IS YOUR TIME2017/2024 ©2024 KAB Inc.  撮影:福永一夫


 坂本さんと高谷さん二人のインスタレーションには水や霧が重要な要素として繰り返し登場する。
 2007年に発表された代表作《LIFE–fluid, invisible, inaudible...》(2007) は、坂本のオペラ『LIFE』(1999) を ベースとするサウンドと映像に包まれた空間に、頭上に浮かんだ9つの水槽が明滅する中を、庭を散策するようにしばし佇みながら、ゆっくりと歩み、従来のリニアな体験とは異なる時空間の拡がりと流れを体感できるインスタレーション作品。
 坂本さんは「時間を飛び超えて宇宙に放り出されたような感覚だ」と語っていたという(2025年2月2日放送・NHK Eテレ「日曜美術館」)。

「坂本龍一音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、2024年 坂本龍一+高谷史郎LIFE–fluid, invisible, inaudible...2007 ©2024 KAB Inc.  撮影:丸尾隆一 
床に映る「水面」(筆者撮影)


 《water state 1》(2013)、そして本展にあわせて制作された《async–immersion tokyo》《TIME TIME》(いずれも2024)も展示している。
 坂本さんは、2017年リリースのアルバム『async』をきっかけに、同アルバムを「立体的に聴かせる」ことを意図した。
 そして、Zakkubalanさん、アピチャッポン・ウィーラセタクンさん、高谷史郎さんらとインスタレーション作品を制作した。
 Zakkubalanさんとのコラボレーション作品《async–volume》 (2017) は、『async』制作のために坂本さんが多くの時間を過ごしたニューヨークのスタジオやリビング、庭などの断片的な映像が、それぞれの場所の環境音とアルバム楽曲の音素材をミックスしたサウンドとともに一つのインスタレーションとして構成された作品だ。

「坂本龍一音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、2024年 坂本龍一+Zakkubalanasync–volume2017年(筆者撮影) 
「坂本龍一音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、2024年 坂本龍一+Zakkubalanasync–volume2017年(筆者撮影)


 24台の iPhoneと iPad が壁に配され、鑑賞者は世界に開かれたたくさんの“小さな光る窓”を通して坂本さんの内面を覗き込むような、あたかも胎内にいるような感覚に囚われるだろう。
 タイの映画監督・アーティスト、アピチャッポン・ウィーラセタクンさんとのコラボレーション作品《async–first light》(2017) において、坂本さんは「Disintegration」「 Life, Life」の2曲を映像用にアレンジした。
 「デジタルハリネズミ」と呼ばれる小型カメラを親しい人たちに渡して撮 影してもらった映像で構成された本作は、解像度が低く粗い画面に独特の温かみのある色味でそれぞれの私的な日常 が切り取られている。
 音楽を空間に立体的に設置する「設置音楽」のコンセプトに沿って、アルバム『async』の楽曲を使ったいくつかのインスタレーション作品を制作している坂本さんと高谷さんだが、《async–immersion tokyo》(2024) は、坂本さんの没後にこれまでの「async」シリーズを深化させた形で AMBIENT KYOTO2023で発表した大型インスタレーションを同美術館の展示空間にあわせて再構成する新作。

「坂本龍一音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、2024年 坂本龍一+高谷史郎async–immersion tokyo2024年 (筆者撮影)

 坂本さんと真鍋大度さんとのコラボレーション《センシング・ストリームズ 2024–不可視、不可聴 (MOT version)》は、携帯電話、WiFi、 ラジオなどで使用されている電磁波という人間が知覚できない「流れ(ストリーム)」を一種の生態系と捉えた作品だ。
 今回の展示のために屋外に16メートルに渡って延びる帯状のLEDディスプレイを用い、常に変貌を遂げる東京という大都市の目に見えないインフラの姿を映像と音で描き出している。

 1970年に大阪万博のペプシ館を水を使った人工の霧で覆った「霧の彫刻」で知られ、世界各地で霧のプロジェクトを実施している中谷芙二子さんとのスペシャル・コラボレーションもある。
 坂本龍一+中谷芙二子+高谷史郎《LIFE–WELL TOKYO》 霧の彫刻 #47662 は、東京都現代美術館屋外のサンクンガーデンを使って、霧と光と音が一体となった、自然への敬愛 や畏怖の念を想起させるような夢幻のシンフォニーを奏でている。

中谷芙二子《ロンドンフォグ》霧パフォーマンス #03779、2017年「BMW Tate Live Exhibition: Ten Days Six Nights」展示風景、テート・モダン、ロンドン、英国 コラボレ ーション:田中泯(ダンス)、高谷史郎(照明)、坂本龍一(音楽) 撮影:越田乃梨子  

 坂本さんは1952年、東京都生まれ。
 1978年『千のナイフ』でソロデビュー。
 同年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」結 成に参加し、「ライディーン」などがヒット、世界的にもテクノポップの旗手として名声を得る。1983 年のYMO散開後も多方面で活躍。
 デヴィッド・ボウイ、ビートたけしらとともに坂本さん自身も出演した大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』(1983)の音楽では 英国アカデミー賞、映画『ラストエンペラー』の音楽ではアカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞、他を受賞した。
 環境や平和問題への取り組みも多く、森林保全団体「more trees」を創設。また「東北ユースオーケストラ」を立ち上げるなど音楽を通じた東北地方太平洋沖地震被災者支援活動も行った。
 1980年代から2000年代を通じて、多くの展覧会や大型メディア映像イベントに参画した。また没後も最新のMR作品「KAGAMI」がニューヨーク、マンチェスター、ロンドン、他を巡回するなど、アート界への積極的な越境は今も続いている。2023 年3 月28日、71歳で逝去。

(冒頭の写真は:坂本龍一|音を視る 時を聴く」東京都現代美術館、
坂本龍一×岩井俊雄《Music Plays Images X Images Play Music》1996-97/2024(筆者撮影))


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