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輪廻を歌ったジョージ
ビートルズのメンバーでは、ジョージ・ハリスンが早くから東洋哲学に着目し、古今東西の宗教を学ぶうちに独自の宗教観、信仰心をもった。
私が特に注目べきだと思うのは、70年に発表された「アート・オブ・ダイイング」という曲だ。
「死の美学」とでも訳したらいいタイトルのこの歌は、仏教やヒンズー教などの「輪廻」(りんね)の思想を題材にしている。
ジョージは「私たちはみんな、ここを去らねばならない時がくる」と歌い、そして「私たちのほとんどは、ここに戻ってくる時がくる。完全なる存在になりたいという私たちの願いに連れ戻されて」と歌う。
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「ここ」を「この世」ととらえるならば、私たちのほとんどはこの世を一回死んで去っても再び生まれ変わるということを歌っているようにとれるのだ。そして歌詞からすると、帰ってこられる人、戻らない人がいるようだ。
ジョージの自伝「アイ・ミー・マイン」によると、「だれもが死に対する不安を抱いている。だが、死の本当の目的は、誕生なのだ」。
「死にたくないと思っているかぎり、生まれることもないのである」。
「だから死の美学は、人が死ぬ際に死を意識しながら身体を離れていくことができたときに成立する。そこまでの境地に達した行者は、再び生まれ変わらなくてもよいとされている」。
生まれ変わらなくてもよい境地にまで達するには、われわれは「カルマ」といわれる業(ごう)あるいは因果応報をこれ以上作り出さないように努力しなければならないという。
逃れられぬカルマのなかで、私たちはそれをなんとか消失させよう、つまり自分の望みをかなえよう、とするが、それが可能なのは、精神世界において非常に高いレベルに達することができた一部の者に限られる、と言う。
だから、大多数の人がこの世に戻ってくる(生まれ変わる)というのだ。
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生まれ変わり続けるということは「苦行」のようでもある。
82年に発表された「サークルズ」という曲では、われわれが生まれたときに魂が肉体を雇い入れ、死とともに離れ、また生まれ変わるということをジョージは歌い、命はぐるぐると円を描くように堂々巡りを続けるとした。
そして、「円を描くのを止めるのは、失うことも得ることも、上も下もみんな同じになったときだ」とした。
2001年にこの世を去ったジョージが仏教徒だったのか、ヒンズー教徒だったのか、クリシュナ教徒だったのかという議論があった。
しかし、彼は「いかなる宗教団体にも属して」おらず、「神の意識という共通の目標」を目指していた妻オリビアは言う。
「罪や神秘を信仰に掲げる宗教団体の教えや教義を受けつけることなく、すべての宗教の神髄を信じました」。