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抽象絵画クリント初上陸へ

 スウェーデン出身で抽象絵画の先駆者ヒルマ・アフ・クリントのアジア初の大回顧展「ヒルマ・アフ・クリント展」が2025年3月4日(火)から6月15日(日)まで東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)で開催される。
 本展では、すべて初来日となる約140点が出品される。
 これらの作品は画家の存命中および死後も長らく展示されることがなかったが日本でも日の目を見る。
 ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)は、ワシリー・カンディンスキーやピエト・モンドリアンら同時代のアーティストに先駆け、抽象絵画を創案した画家として近年再評価の機運が高まっている。

ヒルマ・アフ・クリント,ハムガータン(ストックホルム)のスタジオにて 1895年頃  ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation


 彼女の残した1000点を超える作品群は、長らく限られた人たちに知られるばかりだった。だが、1980年代以降、いくつかの展覧会で紹介が始まり、21世紀に入ると、その存在は一挙に世界的なものとなっている。
 2018年から翌年にかけてニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催された回顧展では、同館史上最多となる60万人もの動員を記録した。
 「ヒルマ・アフ・クリント展」のハイライトは代表的作品群「神殿のための絵画」のなかでも異例の巨大なサイズで描かれた《10の最大物》(1907年)。人生の四つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)を描いた10点組の大作で、高さは3メートルを超える。

 ヒルマ・アフ・クリント 《10の最大物,グループIV,No. 2,幼年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 315×234cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation
 ヒルマ・アフ・クリント 《10の最大物,グループIV,No. 3,青年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 321×240cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation
 ヒルマ・アフ・クリント 《10の最大物,グループIV,No. 7,成人期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 315×235cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation
ヒルマ・アフ・クリント 《10の最大物,グループIV,No. 9,老年期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 320×238cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation

第1章「アカデミーでの教育から、職業画家へ」
 ヒルマ・アフ・クリントは1862年、ストックホルムの裕福な家庭の第4子として生まれた。父親ヴィクトルは海軍士官で、天文学、航海術、数学などが身近にある環境は後のアフ・クリントの制作に大きな影響を与える。
 1882年、王立芸術アカデミーに入学。アカデミーは1864年から本格的に女性の入学を認めていたとはいえ、女性のアーティストは当時のスウェーデンではまだ数少ない存在だった。
 在学中に制作された人体デッサンにおける正確な形態把握、あるいはこの時期に制作されたと思われる植物図鑑のように綿密な写生からは、彼女が習得した技術の高さが見て取れよう。
 1887年、アカデミーを優秀な成績で卒業したアフ・クリントは、主に肖像画や風景画を手がける職業画家としてのキャリアを順調にスタートする。また児童書や医学書の挿画に携わったり、多方面で活躍した。

第2章「精神世界の探求」
 アフ・クリントがスピリチュアリズムに関心を持ち始めたのは1879年頃、彼女が17歳の時とされている。アカデミーでの美術教育と並行しながら、スピリチュアリズムは彼女の思想や表現を形成、決定づける要因となっていく。当時のストックホルムには神秘主義的思想を信奉する団体がいくつか存在していた。特に影響を受けたのは、ヘレナ・ブラヴァツキーが提唱し、世界的に受容された神智学だった。彼女は瞑想や降霊術の集いに頻繁に参加して、知識を深めていった。

第3章「神殿のための絵画」
 1904年、アフ・クリントは特に親しい4人の女性と1896年に結成したグループ「5人」の降霊術の集いにおいて、高次の霊的存在より物質世界からの解放や霊的能力を高めることによって人間の進化を目指す、神智学の教えについての絵を描くようにと告げられる。この啓示によって開始されたのが、全193点からなる「神殿のための絵画」だ。
 「神殿のための絵画」は中断期間を挟みながら1906年から1915年まで約10年をかけて制作された。サイズ、クオリティ、体系性、すべての面からアフ・クリントの画業の中核をなす作品群で、「原初の混沌」「エロス」「10の最大物」「進化」「白鳥」といった複数のシリーズやグループから構成されている。多様な要素から構成されたこれらの作品群はそれらすべてが眼に見えない実在の知覚、探求へと向けられている。

 ヒルマ・アフ・クリント 《エロス・シリーズ,WU/薔薇シリーズ,グループII,No. 5》 1907年 油彩・キャンバス 58×79cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation
 ヒルマ・アフ・クリント 《白鳥,SUWシリーズ,グループIX:パート1,No. 1》 1914-1915年 油彩・キャンバス 150×150cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation

 アフ・クリントの生きた時代において、彼女が探求した眼に見えない実在とは、精神世界にのみに関わる重要事ではなかった。トーマス・エジソンやニコラ・テスラによる電気に関わる発明、ヴィルヘルム・レントゲンによるX線の発見、キュリー夫妻による放射線の研究など、19世紀後半から20世紀初頭にかけて展開された科学分野における画期的な発明や発見の数々もまた肉眼では見ることの出来ない世界の把握に関わるものだった。
 この時代のスピリチュアリズムなど神秘主義的思想には、こういった科学的実践と共通する探求として関心が寄せられていた側面があった。

ヒルマ・アフ・クリント 《祭壇画,グループX,No. 1》 1915年 油彩、箔・キャンバス 237.5×179.5cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation

第4章「「神殿のための絵画」以降:人智学への旅」
 「神殿のための絵画」を1915年に完結させた後、アフ・クリントの制作はいくつかの展開を見せた。1917年の「原子シリーズ」や1920年の「穀物についての作品」などは自然科学と精神世界双方への関心や、眼に見えない存在の知覚可能性という点において「神殿のための絵画」に連なるものだが、表現としてはより幾何学性や図式性が増しているのが特徴。

第5章「体系の完成へ向けて」
 1920年代に始まる水彩を中心とした制作は人智学や宗教、神話に関わるような具体的モチーフを回帰させながら晩年まで続く。
 制作の一方で、1920年代半ば以降、アフ・クリントは自身の思想や表現について記した過去のノートの編集や改訂の作業を始める。彼女の後半生においては、この編集者的、アーキビスト的作業が、あるいは制作以上に大事な仕事だったのではないかとも思われる。

ヒルマ・アフ・クリント 《無題》 1934年 水彩・紙 50×35 cm ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation

 開館時間は午前10時から午後5時(金・土曜日は午後8時まで)。入館は閉館の30分前まで。休館日は月曜日。ただし、3月31日、5月5日は開館。5月7日は閉館。
 問い合わせは℡050-5541-8600(ハローダイヤル)。展覧会公式サイトは https://art.nikkei.com/hilmaafklint/


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