相米慎二監督の作品
相米慎二(そうまい・しんじ)監督の映画を観た。
生誕75年そして33回忌という節目であることから、名画座「新文芸坐」(東京都豊島区東池袋1-43-5マルハン池袋ビル3F:03-3971-9422)で相米監督の作品が特集上映されている。2023年5月11日(木)、12日(金)の両日、足を運び、計3本鑑賞した。
まず観たのは『魚影の群れ』(1983年)だ。夏目雅子が主役の映画化だと思っていた。もちろん、彼女は魅力的でスクリーンを明るくしてくれている。でも彼女以上に素晴らしいのが緒方拳と佐藤浩一だと思った。
青森県大間の漁師を演じる緒形拳。その娘が夏目雅子。幼い頃に母親が若い男と逃げてしまい、以来男手一つで育てられた。佐藤浩市は町で喫茶店をやっていたが、夏目雅子といい仲になり、漁師になろうと奮闘する。
海の男を描いた映画だ。だが、安心して見ていられない。どこか不穏さが拭えないのだ。それはきっと海の上での仕事だからだろう。文字通りの命懸けでマグロを仕留めようとする漁師たちには一瞬の油断も許されない。
スクリーン上で鮮やかな色といえば緒形拳の上着の赤ぐらいだ。ブルー・スカイというけれど青くない。ブルー・オーシャンというけれど青くない。空も海も灰色だ。眩いような明るさはない。タイトルにある「魚影」の影というのはそういうところからのニュアンスを含むのではないか。
漁師たちが息を抜くことが出来るのは陸(おか)に上がった時だけ。焼酎を流し込み女を抱く。再び海に出るまでの束の間の休息だ。海の男である緒形拳。陸の人だったが海の男になろうと努力している佐藤浩市。
夏目雅子のおかげでこの映画の人気は盤石になった。確かに、当時俳優として脂が乗りきっていた彼女の活き活きとした演技は素晴らしかった。
魚臭い漁師町の夏目雅子
どちらかといえば都会的なイメージだった夏目雅子は、魚臭い漁師町の女を演じきった。しかし、主役は彼女なのか?主に描かれているのは漁師たち、海の男たちの陸の拠点である大間という港町、そして海原だった。
当時のパンフレットで、相米監督自身は次のように書いていたー「『魚影の群れ』には、様々な”別れ”がさりげなく、しかも、ドラマチックに描かれています。そしてこの作品の”別れ”には、常に海という大自然が介在します。『魚影の群れ』で描かれている海は、ロマネスクなものではなく、神秘と怖れを人間に強いる存在として描かれています」
「そのなかで、それぞれの人生が交差し、火花を散らし、想い、よどみ、哀しみ、絶望の渕に立ち、そして希望の水平線を目指します」。
そしてもう1作品。不真面目なようで真面目。不正解と正解の境目があいまいなことがあるように、不真面目と真面目の境界も分かりにくい。むしろ、交じりあっていることこそが「正しい」あり方なのかもしれない。
それが、相米監督の『あ、春』(98年)から受けた印象である。とりわけ評価が高い作品で、99年度キネマ旬報ベストテンの第1位になるとともに、第49回ベルリン国際映画祭では国際映画批評家連盟賞を受賞した。
証券会社に勤めるサラリーマンの佐藤浩市は、妻である斎藤由貴、義母の藤村志保と一緒に平穏な暮らしを送っている。
そこに突然現れたのが、昔死んだはずの父・山崎努だった。不真面目ないたずらを真面目な顔をして、冗談なのかどうかもわからないように繰り広げる山崎努がそんな真面目な家族に、良くも悪くも「刺激」を与えていく。
家族、親子の摩訶不思議な絆
「ぐんと円熟をみせる相米演出が、家族、親子というものの摩訶不思議な絆を滋味あふれるまなざしで静かに見つめた、晩年の代表的な傑作である」と「シネアスト 相米慎二」(キネマ旬報社)という本では評価した。
相米監督自身は語った。「自分が計算して考えてやっているのが壊れる時が一番おもしろいですからね」(キネマ旬報1999年1月上旬号)。
『光る女』という87年の作品。見始めてしばらくすると「これは寺山修司なのではないか」と思った。相米は日活時代に寺山のもとでロマンポルノを制作したことがあったということからの連想もあった。
サーカス、ピエロといった道具立て。クラブというかサロンというか、そういう空間設定。私は寺山修司を思いながら見続けた。
「シネアスト 相米慎二」(キネマ旬報社)にもこういう記述があった。「”天井桟敷”的なキッチュの美学が・・・屑だらけの夢の島から大自然の滝上に至る様々なロケセットまでを貫き、意表を突く空間造形の積み重ねによって相米はこの美女と野獣の寓話をごく幻夢的な味わいにした」。
また、記録係の今村治子は「相米慎二という未来」(講談社)の中で「誰かが「フェリーニやろうよ」って言って、「光る女」のクラブのジョコンダの空間、フェリーニをやろうじゃなくて、フェリーニみたいになればいいねっていう志」があったと証言している。
寺山修司かフェリーニか
北海道の紋別郡の滝上から出てきた野人をプロレスラーの武藤敬司が演じている。幼な馴染で結婚の約束をした安田成美を探しに来たが、やがて秘密クラブ「ジョコンダ」で格闘技の見世物に出るようになる。そこで歌っているオペラ歌手の秋吉満ちるは冷静な顔をしつつも野人が気になっている。
彼らに秘密クラブのオーナーのすまけいなども加わり、寺山修司かフェリーニかというような妖しい世界が展開されていく。
相米監督自身のこの作品についての評価はそう高くないようだった。「素足のやつがコンクリートの上を歩いてるなんて、これぐらい単純に映画的である話はそうそうないですからね。いまはみんな靴履いてるわけだし、やっぱり単純な映画本来のどきどきしたらいいっていう、それだけのことで、それ以上の映画なんかじゃないつもりなんですけれどね」。
でも私は『魚影の群れ』や『あ、春』にも負けないような味がある作品だと思った。そしてこれだけバラエティ溢れる作品を撮ることが出来る相米監督の才能がいかばかりだったかと考えざるをえなかった。
相米慎二は1948年、岩手県盛岡に生まれる。72年に中央大学を中退し、日活撮影所に入所。主にロマンポルノの助監督を務める。76年にフリーとなり、80年、薬師丸ひろ子主演の『翔んだカップル』で映画監督デビュー。週刊少年マガジン連載の柳沢きみおによるマンガの映画化だった。
「初めて薬師丸ひろ子さんに会ったらね、レストランかホテルかすごく暗いところだったんだけど、彼女のいる周りだけはぼんやり明るかった。そういうのって、もう、こっちが彼女に呼ばれてるようなもんだよね」と相米監督は「最低な日々」(ライスプレス発売)で振り返っていた。
81年の『セーラー服と機関銃』は興行収入47億円で、その年の映画興行収入1位になった。相米監督は語った。「この作品は薬師丸ひろ子っていうマリア様を巡る話・・・この映画は大ヒットしたけど、それはもう公開するより先に、薬師丸って女の子を取り巻く状況が高まっていたから」。
その後も、『魚影の群れ』などの傑作を世に問い、多くのファンの支持を集めた。だが、2001年9月9日、死去。53歳だった。