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ジョージア映画「懺悔」

 この映画の本当の価値は今、ここ日本で観てもわからないだろう。やはり、あの時代にあの場所で観てこそ、そのすさまじさが分かるのだろう。
  この映画は全体主義や独裁を告発するとともに骨太の宗教映画だ。
 その映画とはジョージア映画の最高峰といわれる「祈り 三部作」の最終作「懺悔」(テンギズ・アブラゼ監督/1984年/カラー/153分)である。その作品を2024年9月20日(金)、渋谷のユーロスペースで観た。
 この映画の縦軸は架空のストーリーの形をとりながら描かれる全体主義かつ独裁主義であった時代の人々である。
 主人公の市長ヴェルラムのちょび髭や挙動がスターリンと並ぶ20世紀の独裁者ヒトラーに似ていると思ったのは偶然か。
 この映画ではベートーベンの「歓喜の歌」が何度か流れる。この歌はもともとキリスト教の特別な日に歌われたが、ドイツではナチス時代には利用され、戦後は連合国が勝利の歌として歌ったという歴史がある。
 この映画のもう一本の柱、太い横軸として宗教、この場合はキリスト教、もっといえば神と人間の関係がきめ細かく描写されて、肝となっている。
 この「懺悔」が製作された1984年当時、ジョージアはソ連邦の一共和国だった。共産主義は本来的には宗教を認めていない。
 だから、世界で一番古いキリスト教国の一つであるジョージアでもソ連によって教会が閉じられたり、宗教画が白塗りにされたりしたのだ。
 スターリンはちなみにジョージアのゴリ市出身だ。この作品は反ソビエト映画とみなされて上映出来ず、地下に潜らざるを得なくなる。

ゴルバチョフとシェワルナゼ
 だが、1985年春に共産党書記長に就いたゴルバチョフの改革、ペレストロイカ、グラスノスチを背景に、外務大臣となったジョージア出身のシェワルナゼや映画人たちの働き掛けもあって、ついに86年秋にまずジョージアで、87年にはモスクワを皮切りにソビエト全土で公開された。
 ちなみにジョージアはソ連崩壊後の1991年に再び独立した。
 ジョージア映画祭2024の主宰者はらだたけひでさんは著書「グルジア映画への旅」で「映画は、これまでの人類の過ちの歴史を俯瞰するように深く、今後同じ過ちを繰り返してはならないという願いがこめられ、モニュメンタルな存在感があります」と書いた。
 「主人公の姓、アラヴィゼは「誰でもない」という意味の「アラヴィン」というジョージア語から作られました。彼は恐怖政治を行ったすべての独裁者の集合的人物像なのです」(はらださん)。
 この映画は独裁者として権勢を誇った元市長のヴェルラムが亡くなる時から始まる。そしてその遺体が三回にわたって掘り起こされてしまうのだ。

ヴェルラム(右)


 犯人は、ヴェルラムによって画家の父サンドロと母親を殺された娘ニノだった。ニノはその日にケーキを作っている場面が冒頭に出てくる。あたかも誕生日や結婚式のお祝いであるかのように。
 ちなみにジョージアでニノという名前は特別である。ジョージアにキリスト教をもたらした人物が聖ニノだからだ。
 そして、ニノが裁判にかけられて法廷でなぜヴェルラムの遺体を掘り起こしたのかという理由を時代を追って回想していきながら説明する。その回想シーンがこの映画の中心となっていく。
 幼かったニノのもとに市長になったばかりのヴェルラムの息子アベルが遊びに来る。ニノはアベルに十字架をあげるが、ヴェルラムはその十字架を返すためにニノの家を再び訪れるという場面がある。

ニノ、母親、画家の父親がヴェルラムの市長就任演説を聞いている


 十字架が効果的に使われているのだ。
 ニノの父サンドロがヴェルラムに捕らえられて最後に吊り下げられ苦しみながら亡くなっていく姿は十字架にはりつけられたキリストを彷彿させる。
 そして、タイトルにもなっている懺悔。ニノに一回は十字架をもらった、ヴェルラムの息子は彼が批判的に見ていて責めた父親を殺してしまった。
 ヴェルラムの息子は地下に降りて神に懺悔する。
 すると声が聞こえてくる、神父の声なのだろうか、「お前は神に懺悔しているつもりだろうが、懺悔している相手は悪魔だ」という声だ。
 映画の最後、老婆がニノに尋ねる「この道は教会に通じていますか?」と。するとニノは答える「いいえ、このヴェルラム通りは通じていません」。老婆はいう「教会に通じない道が何の役に立つのですか」と。
 なんとも深く、考えさせられる重厚な映画である。

ヴェルラムの遺体の周りを踊る女


 さて、今日のジョージアが再び揺れている。
 今年に入ってからロシアの反政府勢力を抑えるための法律を模した「反スパイ法」あるいは「ロシア法」が強い反対を押し切って成立し、またここにきて性的少数者(LGBT)の権利を制限する法律も可決された。
 この揺り戻しによって、ジョージアが目指してきた欧州連合(EU)への加盟に不透明感が漂っている。ロシア人が多数流入し、大国の影響下に否が応でも置かれている同国がEUに接近するのは当然の帰結であるのにだ。
 映画の公開にも関わったシェワルナゼだが、首都トビリシ中心部の広場にベルリンの壁の一部が置かれ、そこのプレートに名前が記されている。
 また、広場の名称自体「ヨーロッパ広場」といい、そこには青いEUの旗が白と赤のジョージアの旗と共に風になびいている。
 さらに、街中の壁にロシアに侵攻されたウクライナへの連帯を示すためジョージア国旗がウクライナ国旗と一緒にペイントされていたりする。
 いたずら書きの中には「プーチン死ね」あるいは「ロシアよ、地獄へ行け」といった文字を見つけることもある。
 こんな状況下、映画「懺悔」を観てジョージアの人たちは独裁者プーチンの顔が脳裏に浮かんだりするのだろうか?
 いつの日かプーチンの墓が掘り起こされたり、プーチンの家族が神?あるいは悪魔?に懺悔をすることがあるのだろうか?



 
 
 

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