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ビートルズ出張鑑定団
【スピリチュアル・ビートルズ】ビートルズのお宝限定で出張鑑定団in小平が実現した。おなじみのビートルズ鑑定士・本多康宏さんが登場。ビートルズ研究家の藤本国彦さんも加わった。さらにレアなことに、本多さんはギターを持って、藤本さんたちと一緒にビートルズ・ナンバーを熱唱したのだ。
ビートルズ・サークルの「エンジョイ・ザ・ビートルズ」は2023年10月21日(土)に小平市上宿公民館ホール(東京都小平市小川町1-308)で「第一回ビートルズデイ」を開いた。
まずサークルの会長を務めるマーティン北村さんより挨拶があった。「今日は楽しみましょう。私の挨拶はこの一言につきます。そして、毎月第一、第三土曜日にビートルズに関するサークル活動を、藤本さんに来ていただいて、行っています。映像を見たり音源を聞かせてもらっています」。
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ビートルズなんてのは文学じゃない
次に、スペシャル・ゲストの本多さんの「ビートルズ鑑定士になるまで」と題した講演があった。本多さんはテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」で知られるビートルズ・スペシャリスト。
もともとは「ただのビートルズ・ファン」だったが、いろいろとあってビートルズを扱う仕事をするようになったという。他の仕事は一切していないと本多さん。「ビートルズだけで何とか食いつないでいる」。
中学生の時に友人が持ってきたLP「ミート・ザ・ビートルズ」の一曲目「抱きしめたい」を聞いてノックアウトされてしまった。それからはもうビートルズ一色となって、他のアーティストのレコードはすべてビートルズのものと交換してしまったほどだと説明した。
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中学を卒業するとスパルタ教育の高校に進学。英語の授業で好きな文学を持ってこいといわれて、本多さんはビートルズの「Across the Universe」やジョン・レノンの「Imagine」といった曲の歌詞を持っていった。
すると先生は「ビートルズなんてのは文学ではない。ちゃんと勉強しないといい大学に入れないぞ。いい大学に入れないといい会社に入れないぞ。将来、路頭に迷うぞ」と言い放った。
当初、目指していた医学部に進めなかった本多さんは上京した。進学した都内の大学でバンド・サークルに入ったが、隣のサークルにはのちのブルーハーツの中心メンバーとなる甲本ヒロトさんがいたという。
それまで本多さんは歌詞もうろ覚えであったりしたが、先輩に「やるならちゃんとやろうよ」と叱咤激励されて、ビートルズの曲をきちんと歌えるように「教育」を受けたと振り返る。
路頭に迷った時期も
大学を卒業すると「わりと大きな会社」に就職した。最初は「思うように出来るのが半分、我慢が半分」だと思っていたが、現実は「我慢が9割、思うようになるのが1割」だと知った。
結局、会社には行かなくなってしまった。
その後、住むところもなくなり、ビートルズ・コレクションとギターだけを倉庫に保管して、一年くらい友人の家などを転々とした。そのあと、ファン・クラブを訪ねたが門前払いされてしまった。次に訪れたのが原宿にあった専門店「GET BACK」。そこで働くことになる。
しばらくして貯めたおカネでイギリスに赴く。「ビートルズのことをちゃんと勉強したいので、日本人がいないビジネス英語学校に行って、一切日本語を使わない生活を何度か繰り返したのです」。
そこで、オークションのことを学んだり、銀行のチェック(小切手)のサインの話を聞いたり、本多さんは勉強を進めた。そして気づいたのは「サインというのは目に写るもの以外を見る必要がある」ということ。つまり、どんなインクを使っているのとかetc.。
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1995年に本多さんは一人で高田馬場に「ビートルズ研究所」(東京都新宿区下落合1-3-16ジョリーメゾン407)を開いた。本物しか扱わないというポリシーを貫くビートルズのちょっとした博物館である。世界中からのビートルズ・マニアが集う場所となっている。
そのあとで本多さんは鑑定の基本的な考え方や贋作についてなど具体的な話をした。まず鑑定については「思い込みとか自分の気持ちは一切排除しないと間違いやすくなります」と語った。
偽物がたくさんあるビートルズ
「ビートルズは偽物がたくさんあります。上手に偽物を作れば、専門店でもだませます」と本多さんは話して、最近の贋作の例について説明した。例えば、1966(昭和41)年のビートルズ日本武道館公演のチケット。
「一目見てぞくっとする違和感がありました。隅々まで見て見るとデジタルで作りこんだ偽物で、80倍くらいの拡大鏡で見ないとわからなかった」。本多さんは鑑定を見送らせてもらうとして持って帰ってもらった。
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しばらくすると、都内の中古レコード・チェーン店で「未使用チケット」として20万円で出ていたという。それから定期的に「未使用チケット」が現れるようになった。「あれくらいのクオリティだと日本製でしょう」。
あと、ポール・マッカートニーが「Let it be」や「Hey Jude」を作曲した時に使っていたという触れ込みのドイツ製のピアノが軽井沢のコレクターから出てきたといって鑑定に持ち込まれたという。これにはイギリスの楽器店の「鑑定書」がついていたというが、「世界的な偽物」だった。
本多さんが、ビートルズが実際に使っていたアップル・スタジオ、アビーロード・スタジオ、トライデント・スタジオにあったピアノと照合してみても番号が合わなかったのだという。しばらくすると同じ鑑定書がついたピアノが国内のほかの場所から出てきたという。
ビートルズ出張鑑定団in小平
本多さんの講演が終わると、第二部の「ビートルズ出張鑑定団in小平」に移った。まずシアン菊地さんが持ってきたお宝はサージェント・ペパーのピクチャーレコード。藤本さんはちらっと見て「大したことないですね。5000円くらい」と茶々を入れた。
だが、本人評価額は40万円。本多さんが鑑定すると25000円だった。大幅ダウンだ。レコードをかけてみるとビートルズではなくKISSのエース・フレーリーのソロ楽曲が流れたのだ。
本多さんが説明した。「プレスの段階で取り違えたのです。マスターテープをまずプレス工場で原盤に起こします。原盤を作って型に起こしたものをマザーレコードといいます。そこからスタンパーに起こします。銀色のきれいな円盤で、それに塩化ビニールをプレスするとレコードになります」。
「日本盤だからこの金額を出しました。外国では多いです。珍品として集めている人がいますが、これはかなり珍しいです」と本多さんは言った。
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次にマーティン北村さんはジョージ・ハリスンの生写真を持ってきた。20数年前にリバプール在住の日本人から手に入れたという。裏には鉛筆でユルゲン・フォルマ―のサインが入っている。本人評価額は30000円。
本多さんは鑑定の結果として50000円だとした。「1960年頃のハンブルクでのジョージです。17歳の時です。サインは本物だと思います。もしこの写真がファーストプリントだったら80000円ぐらいつくと思います。最近、ジョージのものが人気です」。
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ニール斉藤さんが鑑定を依頼したのは「ビートルズ65」の帯付き初盤のLPレコード。本人評価額8000円に対して本多さんは17000円。
「レコードのコンディションはあまりよくないです。でもオデオンの初盤の帯付きで、わりと珍しい帯です。当時はジャケットの顔が隠れるということで帯を外して捨ててしまう人が多かったのです。もし帯が破れていなければ20000円以上だったでしょう」と本多さんは話した。
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最後に顧問の藤本さんが音楽プロデューサーの川原伸司さんから頂いたという竹中労著の「ビートルズレポート」の贈呈用のカバーつき。本人評価額はビートルズ来日の年をかけて「1966円」。本多さんは「竹中さんが日本公演の舞台裏をまとめたドキュメンタリー本です。伝説的な本で、この内容が研究家に大いに参考にされました」と話した。
鑑定結果は15893円。ビートルズやくざの異名をとる藤本さんにかけて「893(やくざ)」を盛り込んだ数字だ。「一昔前なら30000円くらいついたでしょう。贈呈版のカバーつきはそれほど出ていない。カバーだけで数千円が付くと思います」と本多さん。
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本多さんと藤本さんがバンドに参加
出張鑑定団が終わり休憩を挟んでいよいよバンド演奏となった。
バンドメンバーはロク岩川さん(ギター、ボーカル、コーラス)、カーリー大和田さん(ボーカル、コーラス、パーカッション)、シアン菊地さん(ベース)、ニール斉藤さん(ギター)、モリー清水さん(ドラム、コーラス)、ストゥ須藤さん(キーボード、コーラス)。
一曲目は鑑定団といえばこの曲「Help」。カーリー大和田さんがボーカルを務めた。後追いコーラスもばっちり。
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二曲目は「The Night Before」。藤本さんがリード・ボーカルを務めて力強い歌声を披露した。
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三曲目から本多さんが加わった。本多さんがリードボーカル、藤本さんらがハーモニーで「In My Life」を演奏した。四曲目は「If I fell」。本多さんがボーカルとギター。藤本さんもボーカルを務めた。
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五曲目は「I saw her standing there」で藤本さんがリード・ボーカルでロックして、本多さんはギターとボーカルを担当。六曲目は本多さんと藤本さんが「One After 909」でジョンとポールのツイン・ボーカルさながらに歌い、本多さんはギターも演奏した。
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締めは「Get Back」のシングル・バージョン。藤本さんがリード・ボーカル。本多さんはジョンのリード・ギターをばっちりコピー演奏。
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歌い終わるや本多さんはレコードと同じセリフを話したー「I'd like to say thank you・・・on behalf of our group and ourselves, I hope we've passed the audition」。
そして本多さんが一言ーー「オーディション受かりましたか?」。