「愛しのマン・レイ」展
画家、写真家、オブジェ作家、映像作家という多彩な顔を持つアメリカのマルチ・アーティストであり「モダン・アートの先駆者」ともいわれるマン・レイ(1890-1976)。
マン・レイはヌード写真でも知られているアーティストだ。
マン・レイの独創的かつ愉快な作品群を紹介する「生誕135年 愛しのマン・レイ」展が2025年3月23日(日)まで東京富士美術館(東京都八王子市谷野町492-1)で開催中だ。
マン・レイは、 彼が時代をともにしたシュルレアリストの画家や詩⼈は元より、社交界 で知り合った貴族や名⼠、はたまた⾃⾝の恋⼈や友⼈の妻など多くの個 性的な⼥性たちとも広く交友関係を結んだ。
本展では、同館が所蔵するマン・レイのコレクションに、マン・レイ の最期の愛妻ジュリエットとも⽣前交友し、⽇本におけるマン・ レイ蒐集家また研究家の第一人者として知られる⽯原輝雄⽒が所蔵する作品と、マ ン・レイに関する膨⼤なアーカイブ資料を加えて、360点を紹介している。
マン・レイは1890年、米フィラデルフィアに生まれた。数年後に一家はニューヨークのブルックリン区に転居した。
高校では製図を学び、卒業後は出版社で図案を作ることを仕事とした。同時に画廊に出入りするようになり、画家としても活動する。
1915年にフランスの詩人アドン・ラクロアと結婚。この頃、本名ではなくマン・レイと名乗るようになる。マルセル・デュシャンとだって、のちにニューヨーク・ダダとよばれる運動を進めていく。
1921年、エコール・ド・パリの時代だったパリに渡って、モンパルナス界隈に住む。写真に傾倒していったのもこの頃だ。パリのダダイストたちと交友を深める。また、フランスの歌手・モデルのキキと恋仲となる。
彫刻家コンスタンティン・ブランクーシとも交友し、彼に写真の手ほどきをする。シュールレアリストたちともつながり、影響を受ける。
当時のアーティストたちの写真も撮影した。
1940年には戦火を避けて、アメリカに渡ってロサンゼルスで暮らす。1951年、フランスに戻り、再びモンパルナスに居を定めて、パリでの活動を再開した。1976年11月、パリで死去。
(wikipediaを参照した)
開館時間は午前10時から午後5時(午後4時半で受付終了)。休館日は毎週月曜日、2月25日(火)(2月24日は開館)。入場料金は大人1500円、大高生900円、中小生500円、未就学児無料。