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731・原爆・ビキニ・フクシマ

 第二次世界大戦中に細菌兵器による人体実験などを行っていた731部隊の幹部たちは戦後、米国による日本統治の都合によって免責され、彼らの経験が利用された。原爆調査にも元731部隊員は加わったのだ。
 また、1954年のビキニ環礁における米水爆実験による第五福竜丸の被爆も日米で政治決着がなされた。
 731部隊、原爆、ビキニ、フクシマは見えない糸でつながっている。
 「731・原爆・ビキニ・フクシマ」展が八王子市中央図書館で2024年12月23日(月)まで開かれている。
 午前10時から午後7時まで(最終日は午後3時まで)。無料。
 731部隊は1933年に秘密裏に設置された。その名称(秘匿名)は1941年に作られた。満州国における細菌戦の攻撃命令は参謀本部作戦第二課が行い、研究は陸軍省医務局が管轄していた。防疫給水部全体のネットワークは石井四郎軍医中佐の名前から石井機関と呼ばれた。


 戦争に負けると731部隊が行っていたことが漏れるのを恐れて証拠隠滅を図ろうとした。だが、731部隊の幹部たちは当然戦犯だ。
 今回の展示の責任者、五井信治さん(冒頭の写真)は「被団協は今回のノーベル平和賞受賞スピーチで国が償ってくれないと2回も発言しました」。
 「ではアジアの被害者たちや日本でも空襲の被害者たちはどうなるのでしょうか。日本が加害責任をきちんと言っていれば違っていたと思います」。

 1945年8月6日、広島に原爆が投下され甚大な被害をもたらした。その原爆調査に元731部隊員が加わっていた。そして調査結果はアメリカに渡されていたのだが、被爆者の治療に役立てられることはなく、日本としてアメリカとの敗戦処理交渉を有利に進めるために使われた。


 また天皇に戦争責任が及ぶことを恐れるなか、石井の側近らが暗躍しマッカーサー元帥と接触。1947年、731部隊員の戦犯免責がなされる。
 復権した彼らは戦後枢要な地位を占めていく。

〇内藤良一  日本ブラッドバンク社長(のちのミドリ十字)
〇二木秀雄  日本ブラッドバンク重役 ジープ社社長
〇園口忠雄  自衛隊衛生学校長
〇所安夫   東大教授
〇安東浜次  東大教授実験動物中央研究所所長
〇石川太刀雄 金沢大学癌研究所所長
〇吉村寿人  京都府立医科大学学長
〇岡本耕造  京都大学医学部長  など
 
 ちなみに1986年に大阪府の病院で旧ミドリ十字の非加熱血液製剤を投与された肝障害患者が死亡する事件が起きた。

原爆コーナー  
 

 1955年から1957年にかけて日本各地でアメリカと新聞社が協力して「原子力の平和利用」のための博覧会が開かれた。
 原爆を投下された日本人に色濃い核アレルギーを払拭しようという狙いがあったことは間違いない。
 この最中の1956年1月には正力松太郎国務大臣を長とする原子力委員会は「原子力の平和利用」を確認し、「5年以内に原子力発電を実現させる」という目標を発表した。なお正力は読売新聞社社主だった。

 1954年、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカの水爆実験が行われ、近くで操業していた第五福竜丸など日本の船舶1000隻が被爆した。
 いわゆる「死の灰」を船員たちは浴びたのだ。もちろん現地の住民たちも被ばくしたのである。
 第五福竜丸だけがクローズアップされて、「見舞金」として日本政府にアメリカから200万ドルが支払われた。いわゆる政治決着だ。
 この水爆実験の被爆調査にも元731部隊関係者が協力した。
 この事件は原子力の平和利用を目指す勢力にとっては「障害」だった一方、核の恐怖を訴える者たちは「それ見たことか」となり、原水爆禁止運動が盛り上がった。
 ビキニのコーナーの原画制作者は森本忠彦氏。日本語が分からない人たちにも分かってもらいたいと英文での説明もついている。

 

 フクシマに関しては、音楽の力による復興支援プロジェクト「ビートルズのチカラ!」からパネルが出展された。
 このプロジェクトは3.11後、数か月して立ち上げられた。東北地方のビートルズを演奏するアマチュアバンドがライブを行って収益を被災地に寄付している。今では東北のみならず日本全国の被災地支援をしている。

 
 

 現在、福島県内で確認されている子どもの甲状腺がん患者は390人。その問題についての展示もある。
 国や自治体が被ばくに関して適切な情報を提供せずに「安全神話」を振りまいたことで無用な被ばくを子どもたちが被ったとして裁判が起こされた。
 この問題に原発推進派は敏感だ。電通はメディア向けに福島報道について指南しているが、一番のNGワードが「甲状腺がん」だそうだ。
 だからメディアによる報道がほとんどなされていない。

 


 

  

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